第31話
その日の晩、まだ綺麗な円を描いた月の下。一人の少年が村全体を睥睨するように、ぷかぷかと空を漂う雲のように、空に浮かんでいた。
「――ちっ、一人も殺せないとは、あのクズが」
月明かりすら呑み込んでしまうような闇色の髪の毛、血のように赤い瞳には不機嫌さが見て取れる。その眼光だけで心臓の弱い人なら卒倒してしまいそうである。
「まったく、遊ばずにとっとと殺しておけば一人くらいは殺せたものを」
言って、舌打ちをする少年。
「それにしても、あの褐色のゴミ、即死の魔眼を抵抗したような気がするが……あの程度の冒険者が抵抗できる代物じゃないはずだが……俺様の見間違いか?」
少年は蒼真がラミアに襲撃された出来事を一部始終見ていた。その場にはいなくとも、魔法を使って見ていた。だが、ここまで最初から最後まで見れるとは思っていなかった。何故なら、リーンによって、早かれ遅かれ魔法が阻害されると思っていたからだ。
「ふむ」
少年は今更ながらに何故リーンが魔法を阻害しなかったのかを考える。直ぐに考えられる理由は二つ。
一つ。
魔法自体に気がつかなかった。
少しでも長く覗き見する為に隠密の効果を付与していたが、以前のように念入りにはしなかった。いつものリーンだったら気が付くレベル。だが、あの時のリーンはかなり慌てていた様子。有り得ない事もない。
二つ。
見られているのに気が付いていたが、見られても問題が無いと判断したか。
これは十分に有り得る。実際に見られていようがいまいがリーンにとっては何も問題にはならないのだから。
だが、どうにもしっくりこない。
「――何を考えているんですか?」
喉に小骨が刺さったかのような不快感に襲われていた少年の背後から不意に声が響く。
少年はそれに内心で驚きつつも、背後に向かって魔法を放つ。
闇夜に浮かぶ上がる大きな火球。
家くらいならば住民が逃げるまでに燃え尽きるであろう程に、その火球は大きい。
だが、少年の放った火球は音も無く消え去る。まるで、最初からそんなものなど無かったかのように。
だが少年に焦りはない。
あんな即席の火球で倒せる、どころか、かすり傷すら負わせられない事は分かっていたからだ。少年には襲撃者が誰か分かっていた。いや、少年に気づかれずに少年の背後を取れる人物などそうそういるわけがない。
だから火球は襲撃者から距離を取る為の目くらましだ。
襲撃者と自分を比べてみてどちらが接近戦に強いかと問われれば、残念ながら襲撃者のほうだろう。
だから、まず距離を取りたかった。魔法の打ち合いならまだ自分に分がある。
「よぉ、リーン。久しぶりだな」
十分に距離を取った少年は襲撃者を確認してにやりと笑う。
だが、少年は気がついていない。それが襲撃者の目的であった事を。二人がいつの間にか、村からかなり遠ざかっている事を。
「そうですね。こうして顔を見るのは久しぶりですね。もっとも、覗き見大好きな三汰君からすれば久しぶりという訳でも無いでしょうけれど」
言って、リーンがやれやれとため息を吐く。
「ちょっと待て、それじゃ俺様が覗き魔みたいじゃないな」
言いつつ、少年、こと三汰は魔力を練り上げる。
「えっ。違うんですか?」
言って、目を大きくして驚いてみせるリーン。
「断じて違うっ」
言って、雷撃を放つ三汰。
その雷撃は闇夜を切り裂き、リーンへと目にも止まらぬ速さで一直線に向かう。
「まさか、自覚が無いとは……びっくりです」
雷撃が迫る中、リーンは信じられないものを見たという表情をして、唐突に消えた。
目標を失った雷撃はそのまま直進し、夜空に溶け込んでいった。
「――くっそ」
それを見て三汰は慌てて周りに障壁を作る。それも一つでは無く、三つを重ねるように。つまり、三重の防御魔法を三汰は咄嗟に使ったのだ。
三汰が作り出す障壁は一枚でも破るのは困難である。冒険者でそれを可能とするのは一流の冒険者が辛うじて破れるといった所であろう。
それを三枚。
咄嗟に作ったからといって、一枚の強度が本来より弱いという事も無い。
「――えいっ」
が、突如して三汰の正面に現れたリーンは易易とこれら三枚を小さな拳で突き破る。見る見る三汰に迫る、リーンの小さいながらも凶暴な拳。
――くっそ! やはり三枚では破られるか! この馬鹿力女めっ!
そう内心で毒づきながら三汰は咄嗟に光球を放つ。
刹那、二人の間に閃光が走る。
そして、ここが好機とばかりに三汰はリーンがいた所に向かって、これでもかと魔法を放つ。
火、水、風、雷、光、闇。
と、その数と種類は魔法の展覧会でも開けそうなほどであり、リーンがいた周辺はここが地獄かと言わんばかりの惨状である。
が、そんな地獄の中から、リーンが無傷で飛び出してくる。
――ちっ。やはりこの距離ではリーンには敵わないか。
このままではジリ貧である。三汰はそう判断して自分が得意とする距離まで逃げようとする。
「逃がしませんよ?」
だが、そんな事はリーンが許さない。
リーンは逃げようとする三汰の足首をむんずと掴むと、ぶんっと、棒きれでも振り回るように、軽々と三汰を地面へと向かって投げる。
そして、自らも宙を蹴り、弾丸のように地面へと吸い込まれていく三汰に向かっていく。
「――くっ」
三汰は本来ならば自らを囲むように張る障壁を、前面だけに張ってその強度を上げる。地面に叩きつけられるより、リーンからの攻撃のほうが脅威だからだ。
その障壁を都合、五枚。
そして、地面に叩きつけられるより早く、リーンの拳が三汰の障壁に届く。
リーンからの振り下ろされる拳の一撃目で障壁にヒビが入り、二撃目で半壊し、三撃目で消滅する。
これならば暫くは持つだろう。そう判断した三汰は直ぐに訪れるであろう衝撃に備えて歯を食い縛った。
その刹那。
「めんどくさいですね――とりゃっ」
リーンのそんなぼやきが耳に飛び込んでくるのと同時に、残り三枚あった障壁が破られた。
いや、消滅していないところを見ると、破られたというよりは貫通してきたといったほうが正しいのだろう。
「――はっ?」
今まで見たことがない光景を目にして、三汰は迫り来るリーンの拳の事も忘れて間抜けな声を漏らす。
と、同時に三汰の顔面にリーンの拳が突き刺さる。
「――がぁっ!」
直後、三汰は地面に叩きつけられた。
轟音。
本来なら三汰を受け止めるはずの地面は、その衝撃に耐え切れずにくぼみ落ち、小さなクレーターを生成する。
「いつもの歯ごたえが無いですね。やはりラミアちゃんに魔力を分け与えたのが理由ですかね」
大地に縫い付けられた三汰を嘲笑うかのように、夜闇の空に浮かんだリーンが三汰を見下ろして言う。
リーンの言っている事は正しい。いつもの三汰ならここまで一方的な展開にはなっていない。
「まぁ、私には都合が良いんですけどね」
言って、満面の笑みを浮かべる。
だが、それを見た三汰の心の中で、嫌な予感がゆっくりと鎌首を持ち上げた。
「三汰君。私、怒っています」
ぷく~っと頬を膨らませて怒りを表してみせるリーン。その仕草と台詞が噛み合っていないが、三汰にはリーンが本気で怒っているのが分かった。
……これは拙い……早く逃げないと。
そう内心で焦りはするものの、先ほどのリーンの攻撃をまともに食らった為に、まだ体が言うことをきかない。
「ましろ位なら笑って許してあげましたが、ラミアちゃんレベルはダメです――危うく蒼真さんが死ぬところでした」
言って、拳を握り締めるリーン。
……いや、俺様は殺すつもりだったんだが。
「という訳でお仕置きです」
言って、にっこり笑ったリーンの拳が徐々に光を放ち始める。その輝きは徐々に大きく、強くなっていく。
……あっ。拙い。これは拙い。いくら俺様の再生能力が強大とは言っても、あれをまともに食らったら拙いんじゃないか?
「あっ。間違っても死なないで下さいね。三汰君はいずれチーム最弱が倒さなくちゃいけない存在なので」
言って、放たれた弾丸のようにリーンが三汰に突進する。
三汰は辛うじて障壁を張る事に成功する。
が、そんな苦し紛れの障壁ではリーンを止める事は出来ず、リーンの拳が三汰の腹部に深々と刺さる。
瞬間。三汰を襲う激痛。
「――ごがっ」
三汰の体がくの字に曲がる。その表情は苦悶を浮かべている。よく見れば、リーンの拳は三汰の腹部を突き破り、地面にまで届いている。
リーンがその拳を引き抜くと、ぼこりと音を立てながら血のような液体が吹き出す。
「おお、もう再生が始まってますね。相変わらず頑丈ですね」
見る見ると塞がっていく腹部を見ながらリーンが感嘆の声を漏らす。
「当たり前だっ。俺様を誰だと思ってやがる!」
「おっ、もう喋れるまで回復したんですかぁ。凄いですね――じゃ、その調子で頑張って下さい」
「――ちょっ、おいっ――ぐぅがぁ」
それから一方的な暴力が止んだのは、ゆっくりと朝日が昇り始めた頃であった。




