第29話
「あれ? 貴方、吸血鬼ですか? でも、その子は――ああ、憑依ですか。珍しいですね、プライドの高い貴方達が憑依するなんて」
ジリジリと離れていく彼我の距離を気にした様子も無く、リーンが淡々と告げる。
――こやつ! 何故、妾の正体を!? しかも口ぶりからするに、他の吸血鬼も知っておるのか?
「う~ん。おかしいですね。最近まで貴方の存在を私は感知出来ませんでした……これはまた三汰君が絡んでますかね。ましろ位までなら、笑って許してあげられますけれど、貴方レベルになると流石に――」
言って、少しだけ言葉を溜めて、にっこりと、まるで天使や女神を彷彿させる愛らしい笑顔を浮かべて、
「――仕返しをしなくては、ダメ、ですね」
と、小さく呟く。
その呟きを捉えたラミアの全身が、何故か、ぶるりと震え上がる。
「とは言いましたが、もしかしたら三汰君は関係無いかもしれません。そこで、貴方に聞きたいのですが、どうしてこんな事をしたんですか?」
こてんと首を愛らしく傾げて、ラミアに問いかけるリーン。その姿はどこからどうみても無防備としか言い様がない。
そんなリーンの言葉を聞き、ラミアは正直に話すべきかどうかを考える。
「あ、ある御方に頼まれたのじゃ。三人ほど、町にいる冒険者を殺して欲しいと」
自分の事を話してはいけないとはあの御方は言っていなかった。だが、もしかしたら、この娘に話す事があの御方の機嫌を損ねる事になりかねない。そんな事で殺されでもしたら堪らない。だから、話すかどうかは慎重に考えなければいけない――。
「――えっ?」
そう未だに頭の中で考えている間に、気が付けばラミアの口は勝手に言葉を発していた。その事にラミアは驚きの声を漏らす。
「それは黒い髪をした、真っ赤な瞳の、背が低い、男の子ですか?」
そうリーンに言われてラミアはあの御方の姿を思い出す。すると、リーンの言ったとおりの容姿をしていた。
「ああ、そうじゃ」
だが、ここは素直に頷いていいものか? まだあの御方の情報をこの娘に渡す前ならば――いや、誤情報を与えてこの娘をかく乱するという手も使える。何があの御方の怒りの琴線に触れるかどうか分からないこの状況下では、そうした方が安全――。
「――えっ?」
再び、ラミアの口は考えるより先に動いていた。
まさか、精神系の魔法を使われた? それに妾が、かかった、というのか? ……それも信じられん、信じられんが、そうでもなければ妾の状況を説明出来ん。
唖然としながら、ラミアは自らの状態をチェックしようと、魔法を発動する。これで、何か異常や異状が発生していたら分かるはずである。
そして、魔法がラミアに結果を告げる。その結果は異常、異状ともに無し。つまり、ラミアは魔法にかかってはいない。
……なん……じゃと? では、一体、何故?
「仕返し。確定。ですね。私が含まれていなかったのは、まぁ、普通に無理だと思ったのでしょう。私に対する嫌がらせもここまでくると笑っていられませんね――っと。貴重な情報をありがとうございます」
言って、ぺこりとラミアに向かってお辞儀をするリーン。
「さて、それで貴方の処遇、何ですけれど――私、怒っています」
ゆっくりと頭を上げたリーンは、そんな台詞とは裏腹に笑顔だ。子供のように無邪気な笑顔。見ていると心がほっこりする笑顔。
だが、それを見たラミアの背筋からツツーと嫌な汗が流れる。
何故じゃ、何故先ほどからずっと、体と心が一致せん。あの笑顔と脆弱な少女に、妾の体は一体、何を感じておるのじゃ?
こんな事は生まれて初めてである。
「私が何に怒っているか、分かりますか?」
にこにことバカみたいに笑っているリーンは先程から、いや、対峙したときからずっと無防備で隙だらけである。魔法一つで瞬殺出来る。そう心の中では判断しているのに、先程から体がそれを拒否する。何もするなと訴えてくる。
「わ、妾が蒼真を殺した。から、かの?」
言葉に詰まりながらも、ラミアは答える。他にリーンが怒る原因など思い浮かばない。これで違うと答えられたらあまりにも理不尽すぎるだろう。
「正解。と言いたい所ですが、正確には蒼真さんを『殺しかけた』または『死ぬ寸前までおいやった』から。ですね」
言って、無造作に近寄ってくるリーンを見て、ラミアは慌てて距離を取る。それは大げさなくらいに大きく、開け放ったままだったドアから身を投げ出して、廊下の壁にぶつかってしまう程である。
言うまでもなく、これもラミアには予想外だったが、この際、気にしても仕方がないだろう。考えた所で正解など出てくるはずもない。
「い、いや! わ、妾は確実に蒼真を殺した! この手で首の骨を折り、確認の為に心臓の鼓動まで確認したのじゃ! 死んでいた! 確実に蒼真は死んでおった!」
そうだ。確かに殺したのだ。では、何故、蒼真は息をしていた? 何故、胸が上下していた?
「ええ、あのままじゃ死んでいたでしょうね。でも、ギリギリで間に合いました……私の到着が後数秒遅かったら……そう思うと、ぞっとします」
言って、顔を歪ませると、寒さに耐えるように自らの体を抱きしめ、ぶるりと体を震わせるリーン。
「う、嘘じゃ! 例え、万が一即死を免れておったとしても、あの状態の蒼真を回復、しかもあの短時間でなど、出来るはずがなかろう! 不可能じゃ!」
そう、ラミア、いや、この世界の常識では有り得ない事なのだ。
「嘘じゃないですよ?」
言って、ちらりと蒼真を見遣るリーン。ラミアもつられるように蒼真を見る。
すると、蒼真の胸は確かに上下している。しかも、先程よりもそれをはっきりと目視出来る。この世界の常識では有り得ない事だ。
――いや、一人だけ。可能かもしれない人物がいた。
ふと、ラミアの頭に浮かぶ一人の人物。それは魔族の頂点に立つ存在。
「き、貴様――いや、貴方は『魔王様』か?」
会ったことは無いが、昔、信じられない事に、人間の勇者に倒されたと聞いた事がある存在。
だが、一方で、実は勇者に倒されてなどはおらずに今も生きている。だが、その時に負った傷が酷い為に、長い時を掛けて回復させている最中だという話もラミアには聞いた事があった。
自らの予想を口にしてラミアは自らの言葉に納得する――そして、ようやく心と体が一致する。震えが止まらないのだ。カチカチと耳元で歯の根が合わずに震えて音を立てている。全身からは冷や汗が吹き出て、足は生まれた小鹿みたいにおぼつかない。
つまり、自分は先程からずっとリーンを恐れていたという事だ。
だが、それを聞いたリーンは一瞬だけキョトンとしてから、
「いやいや、私、あそこまで強くないですよ。あの人の足元にも及びません。そもそも、私は人間です」
捲し立てるようにそう言って、右手をぶんぶんと顔の前で左右に振る。
「そ、そうなのか?」
それではお前は何者なのじゃ?
そう聞いてみたい気もするが、聞きたく無い自分もいる。
「はい。今の私では、手加減をされて一分持つかどうかですね……今は、ですが」
そんな葛藤をラミアがしていると、丁度良い事に、リーンが別の疑問をラミアに思い浮かばせた。その為、ラミアはそれに飛びつく。
その台詞や表情から、どうやらリーンは魔王と直接会った事があるらしい。それだけでなく、戦った事もあるらしい。
「そ、それは直接会った事が――」
それが真実なのかどうか確かめるべく、ラミアは口を開く。
「そんな事より、貴方の処遇です」
が、それを遮る形でリーンが言葉を重ねて、その姿を消した。
そして、気が付けばリーンはラミアの目の前で頬杖をついていた。
「――ひっ」
そのあまりの出来事に、ラミアは思わず悲鳴を漏らして、尻餅をつく。
「三汰君の命令だったとしても、私の『仲間』を殺しかけたのは、許せません。だけど、貴方では、三汰君の命令に逆らえないのも、理解出来ます――けれど、納得は出来ません」
言って、リーンが冷たい目つきをラミアに向ける。
それは雷のようにラミアの心を貫き、絶対零度のような冷たさでラミアの心を凍らせる――それは殺気という名の凶器。
「――っ」
思わず、ラミアは即死の魔眼を使う。それは生存本能が行ったのだろう。
――このままでは殺される。と。
「即死の魔眼ですか。残念ながら貴方の魔眼では私の抵抗は貫けないですよ」
言って、ラミアの肩を左手でがっしりと掴んだリーンは、ゆっくりと、ラミアに見せつけるように右手を持ち上げ――振り下ろす。
その瞬間。ラミアの世界は真っ黒に染まった。まるで、テレビの電源を切ったかのように、ぷつんっと急に暗くなった。
そして、何事も無かったかのように、再び明るさを取り戻す。目の前では能面を付けたような無表情のリーンが、先ほどと同じ体勢でいる。
「な、何をした!?」
怒鳴るつもりなかった。いや、怒鳴ったなどおこがましい、それは情けないただの金切り声。癇癪を起こした子供のような声。ただ、そんな声でも、荒げずにはいられなかった。
そして、無駄と知りつつ。再び魔眼を発動させる。やはりリーンに効いた様子は無い。慌てて体を魔法で調べるも、返ってきたのは先ほどと同じく、異状も異常も無し。
だが、そんな訳が無かろう。目の前の人間が何もしていない訳が無い。
いや、一つだけ変化があった。
それは展開していた防御魔法がいつの間にか破られていた事だ。でも、一体何故? いつの間に?
得体の知れない恐怖がラミアにまとわりつく。
「貴方が蒼真さんにした事と同じですよ」
言って、再び右手を振り下ろすリーン。
すると、先ほどの出来事をリプレイするように、ラミアの視界は真っ暗になり、やがて光を取り戻す。目の前ではやはり、先ほどと同じ体勢のリーンがいる。
「蒼真にした事と同じこと……じゃと?」
再び魔法を使って体を調べるが、異状も異常も無し。だが、やはり咄嗟に展開させた防御魔法は破られている。
一体、自分は何をされたのだろうと、リーンの言った言葉を反芻してみるラミア。
「っ――」
そして、リーンの言った言葉を理解する。いや、理解してしまった。先ほど、ラミアが蒼真にした事、つまり、それは、
――殺しかけた。
という事。
「そ、それは、わ、妾が先ほど……死にかけた……という事か?」
恐る、恐ると、震える声でラミアがリーンに問いかける。
だが、それだとおかしい。自己回復能力は例えかすり傷でも発動する。だが、先程からそれが発動した気配がない。
と、なると、考えられる答えは二つ。
一つは、リーンが嘘を言っている場合。
そしても、もう一つは、
――自己回復能力が発動する暇も無く殺されたか。だ。
だが、例え殺されていたとして、どうやって自分は回復したのか? 自己回復能力でも、自らの回復魔法でも無く。
ふと、ラミアは思い当たる。
リーンが自らの肩を握り締めている事に。
つまり、リーンの言葉が正しく、ラミアの予想が正しいのなら、この少女は自分を、一瞬で瀕死に追い込み、それを一瞬で回復させたという事だ。
――何という壮大で、恐ろしい茶番だ。この少女は生命というものを、一体何だと思っているのだろう。
「正解――です」
言って、三度腕を振り下ろすリーン。
すると、当然とばかりに、そうなる事が世の理かのように、三度同じ現象を体験するラミア。
やはり、自己回復能力が発動した気配は無い。防御魔法は破られている。もう展開するのは魔力の無駄遣いだろう。
いや、ここに至ってそんな事を考えるのは見当違いだろう。三度殺されかけた、だが四度目は? 今度は本当に殺されるかもしれない。リーンに殺すつもりがなかったとしても、何かの手違いで、間違いで、死んでしまうかもしれない。
「わ、悪かった。あ、謝る。謝る、から。ゆ、許して――下さいっ」
痛みは無い、実感も無い――ただ、あるのは巨大な恐怖のみ。
三度されても尚、ラミアには殺されかけた実感がわかない。実感がわかないからこそ、恐ろしい。この少女は得体が知れないからこそ、恐ろしいのだ。そんな恐ろしい少女――いや、化物が言うのだから、自分は三度も死にかけたのだろう。
「ごべんなざい、ごべんなざい、ごべんなさい――」
自然と涙が出た。思わずリーンの腕に縋り付いて、頭を下げた。あまりの恐怖に腰が抜けていなければ、地面に頭を押し付けて、慈悲を乞うていただろう。今の自分は、みっともなく、哀れで、無様で、さぞ滑稽であろう――だが、それが一体何だと言うのだ。
「むぅ……これじゃ、何だか私が弱いものいじめをしているみたいじゃないですか」
ラミアの必死の謝罪に心が動かされたのか、リーンが眉をひそめる。
「ごべんなざい、ひっぐ、もう、ぢません、がら、ゆるぢで、ぐだざいっ」
それを聞いたラミアは、自分が助かるには、もうここしかないと、必死にリーンの腕に縋りつく力を強め、更に深々と頭を下げる。
「むぅ……仕方ありません」
言って、はぁ~っと大きくため息を吐くリーン。それを聞いたラミアは飛び上がるように顔を上げる。もしかしたら、これで助かるかも知れないと、淡い期待を抱いて。
「――あと、二回で許してあげます」
だが、そんなラミアの淡い期待を粉々に打ち砕くように、そう言って、にっこりと微笑むリーン。
「……あぁあぁあぁああぁあぁ」
あと『たった』二回と考えるのが正解なのだろう――だが、ラミアにはあと二回『も』と感じられ、絶望に沈み込む。
と、同時に全身の力が抜け、ラミアの下着が、じわじわと水気を含む。その水気はやがてラミアの下着では止めきれずに、廊下の床へと広がり、ラミアの足元に小さな水溜りを作り出した。
ラミアがその水溜りの存在に気が付いたのは、更に二回殺されかけ、ラッキーナンバーだからという下らない理由で、宣言した回数より一回多く、殺されかけた後であった。




