第27話
「……ん?」
酷く重苦しい瞼を、どうにかこうにか蒼真は開ける。
先程からずっと、体、主に口周りがおかしな事には気が付いていた。
だが、それを確認するのはあまりに眠くて、酷く億劫だった。
本来なら少しでも異変を感じたら、眠いや、億劫等と言わずに飛び起きるべきだろう。
蒼真もこれが宿ではなく、野宿などだったらそうしていただろう。
いや、普通だったら、宿とか野宿とか関係無く、飛び起きていただろう。
それをしなかったのは、異常なまでに強いこの眠気のせいである。
更に言い訳を重ねるならば、蒼真にはこの異常が直感的にだが、自分を害しようとしているものではないと感じていた。
だが、そんな眠気も、直感も、ぐりぐりと口内を弄りまわされては言い訳にすることが出来ず、重い瞼を持ち上げるしかなかった。
部屋の明かりは点いていないが、何故か、開け放たれた部屋のドアから、微かに月明かりが入り込み、一つの小さな人影を照らし出す。
その小さな人影は、うさぎの目のように真っ赤な色の目をしていて、この暗い室内では、夜道を歩く猫の目のように、異彩を放っている。
「……カリ……ナ?」
その小さな人影に蒼真は見覚えがあり、無意識にその人物の名前を呼ぶ。
名前を呼ばれたカリナはそれに驚いたのか、大きく目を見開いている。いや、寝ぼけ眼の目を開いた時から、驚いたような表情をしていたような気がする。
「……まさか……もう、朝?」
それだと寝過ごしてしまった事になる。そう思って、蒼真は少しでも油断をすれば夢の世界に誘おうとする目をごしごしと擦り付ける。
すると、大分眠気が治まった気がする。
「すまん……寝過ごし――」
大分眠気が治まり、徐々に動き出した頭がカリナを認識する。
「――誰だっ!?」
すると、蒼真にはそれがカリナではないとはっきりと認識出来た。
蒼真は誰何の声を上げながら、ベッドから飛び起きると、近くに立て掛けておいた剣を手にする。
一方、カリナに似た人物は、そんな蒼真を見て、目を大きく見開き、驚いた様子だが、その真っ赤な瞳の奥には興味深そうな輝きが見え隠れしている。
「質問に答えろ! お前は誰だ!」
蒼真はカリナに似た人物から、なるべく視線を外さないように気を付けて、隣のベッドを盗み見る。そこには、いるはずの拓也がいない。トイレにでも行っているのか、それとも目の前のカリナに似た人物に何かされたのか。
くっそ、異変を感じた時に起きるべきだった……いや、あの眠気もこいつが原因かもしれないのか。
「誰って……私だよ、蒼真。カリナ、だよ?」
言って、蒼真をじっと見つめるカリナに似た人物。その赤い瞳が気のせいか揺れ動いたように蒼真には見えた。
すると、それと連動するように蒼真は一瞬だけ、クラリと軽い目眩に襲われる。
蒼真はそれを急に飛び起きたせいだと判断して、目の前の人物を注視する。
見た目も同じ、声も同じ――だが、醸し出す雰囲気が全くの別人。
くっそ、擬態するモンスターなんかこの辺に棲息していたか? 記憶には無いが、目の前のカリナがカリナじゃないのは確実だ。だが、見た目だけじゃなくて、声も擬態出来るのか? そもそも、こっちの言っている言葉を理解している? だとしたら、かなり高レベルのモンスター……楽観的に言って、俺には手に負えない。とにかく、どうにかしてこの部屋から逃げて助けを呼ばないとだな。
ふと、思い浮かんだのは苦楽を共にした仲間の二人ではなく、リーンの姿。確証は無いが、リーンならどうにかしてくれると蒼真は思った。
「ねぇ? どうしたの? 蒼真? 何だか怖いよ? 少し、落ち着いて、ね?」
剣の鞘に手を掛けたまま、微動だにしない蒼真にカリナに似た人物はそう言って、不思議そうに、小さく、愛らしく、首を傾げる。
そんな態度に気が抜けたのか、それとも警戒すら緩むほどに可愛らしかったのか、蒼真の全身から少しだけ力が抜ける。
「カリナを――いや、拓也はどうした?」
蒼真はそんな自分の気を引き締めようと、すらっと鞘から剣を抜き放ち、正眼に構える。すると、カリナに似た人物がびくっと体を震わせて、不安の表情を浮かべる。
だが、蒼真にはその表情が作られたもので、その下にある素顔では、蒼真の事を毛ほども脅威と思っていないと感じられた。
小さな子供に怒鳴られた屈強な戦士がふざけて怖がってみせる。
そんな、隔絶した実力差がある、絶対的優位な立場の人物が行う遊び、戯れにしか思えない。
「そ、蒼真の仲間の人? わ、私が来た時には、い、いなかった、よ? ご、ごめんね。わ、私は、ただ、蒼真をびっくりさせたかったの」
うるうると、涙を少し垂れ下がった目に浮かべながら、カリナに似た人物が震えた声で告げる。
すると、蒼真の心臓が一度、どくんっと、軽く跳ね上がった。
擬態した偽物と理解していても、そのカリナに似た姿の涙を見て、無意識的に罪悪感を覚えたのだろうか?
――いや、擬態ではなく、憑依。という可能性もあるのか。
じりじりと、すり足でカリナに似ている人物を中心にして円を描くように、部屋から脱出を試みながら、蒼真はふとそんな事を思った。
この辺りでは見たことが無いが、蒼真の故郷では時折、自らの肉体を持たない低レベルのモンスターが人間や動物にとり憑く事があった。
蒼真の故郷ではそれを『狐憑き』と呼んでいた。
ただ、狐憑きに遭った人間は言葉を忘れて、理性すら無くし、獣のようにただ暴れまわるだけだった。
狐憑きに遭った人間を『救う』には、とり憑いたモンスターだけを攻撃して殺すか、とり憑いた人間の中から追い出すしかない。
だとすると、厄介だ。擬態なら躊躇いなく攻撃出来るが、憑依だとすれば、体はカリナのままだ。迂闊に攻撃出来ない。肉体を持たないモンスターのみを攻撃する術を俺は持っていない……もっとも、持っていたとしても、俺の攻撃が当たるとは思えないんだが。
「だ、だから、怒らないで」
ぽろりと、カリナに似た人物の目尻から涙が零れ落ち、許しを請うような目で蒼真をじっと見つめる。
すると、一瞬だけ蒼真の視界が暗くなった。
……何だ? さっきから……もしかして、何か魔法を掛けられているのか?
自身を襲った三度目の異常で蒼真はそう考える。だが、三度とも大した事は起こっていない。だから大丈夫だろうと、警戒を怠るのは愚行だが、警戒しすぎて動きが鈍くなるもの愚行。何とも難しい所である。
「……ふむ」
唐突に、カリナに似ている人物が、涙を引っ込めて、
「幻術、催眠、誘惑と色々魔法を使ってみたが、効いておらんのか? それに魔法だけでなく――妾の持つ、即死の魔眼すら効いておる気配が無い。これは、ちとショックじゃな。此奴が盲目という訳でもなかろうしの。何か、それらを防ぐ強力なマジックアイテムでも所有しておるのか? だとしたら、いくら妾でもこの距離はちと離れすぎだの」
そう呟くと、不思議そうに首を傾げた――その刹那。蒼真の視界からカリナに似た人物が消えた。
「――ぁ?」
そして、気が付けば、いつの間にか蒼真は天井を見上げていた。
「ふむ。ここまで近づけば、いくら強力なマジックアイテムでも問題なかろう」
一体、何が起こったのか理解出来ない蒼真の視界に、ぬっと、カリナに似た人物が顔を覗かせる。そこでようやく蒼真は自分が仰向けに倒れている事を理解する。
カリナに似た人物は、蒼真の顔をむんずと掴むと、その小さな指先で乱暴に、蒼真の両目を見開かせる。
「さて、抗えるのかの?」
言って、目と目を突き合わせんばかりに、自らの目を蒼真の目に近づける。その瞳は禍々しさすら感じさせる程に紅い。
その禍々しさに蒼真は思わず身構える。
そのまま、一秒、二秒、三秒、四秒、と時間が流れるが、蒼真にはこれといった異常は見当たらないし、感じられない。
「ふむ。結果は同じか。というより、おかしな事に先程より手応えが無いの」
言って、やれやれと言わんばかりに肩を竦めると、顔を離すカリナに似た人物。
「……何をした?」
そんな意味深な言葉に蒼真は思わず問いかける。というのも、先程からずっと起き上がろうとしているのだが、乗られているだけのはずなのに、全く起き上がれない。どころか、全く下半身が動かせない。
更には、開いた足で押さえられているだけの両腕も、指先から先が全く動かせない。
その不安を紛らわす為に、蒼真は動かせる口を開いたのだ。
「何、先ほどと同じよ。幻術、催眠、誘惑、そして、即死の魔眼。これらを貴様にかけたのだが、どれも効いておらん……まさか、貴様、妾より高レベルなのか? いや、それは無いか。妾より高レベルの奴がこうも簡単に押し倒される訳が無いからの……では、対抗魔法? 妾の魔法を無効化する程の? もしくはこの至近からでも妾の魔法や魔眼を防げる程の、飛び抜けて高位のマジックアイテム? そんな貴重で、高価な物をこの程度の冒険者が所有しているとでも? ……分からん」
ぶつぶつと何やら考え込むカリナに似た人物。その様子はとても無防備に見えるが、蒼真は未だに床に張り付けられたままである。
「だが、油断せずに殺せば良いじゃろう」
言って、手のひらにサッカーボール程の火球を作り出すカリナに似た人物。
その熱気が蒼真の髪を、額を、頬を、鼻を、口を、ちりちりと焦がす。あれが蒼真の顔に直撃したら、顔面の原型が分からなくなるに違いない。
……これは、生き延びられそうに無いな。
そう悟って、蒼真は思わず、ごくりと唾を飲み込む。
「……ふむ。魔法全般に抵抗するやもしれんな……ということは、こうして押し倒せた事を考えると、物理的に殺したほうが、手っ取り早くて確実か?」
後はその火球を蒼真の顔面に振り下ろすだけといった所で、カリナに似た人物は火球を消すと、蒼真の首に小さく、ほっそりとした手を遣る。
そして、ぎゅっと蒼真の首を締める。
「――かっ」
その力は小さな少女では有り得ない程に強く、蒼真は堪らずにうめき声を漏らす。思わず、その手を振りほどこうとするが、体は相変わらず、ぴくりとも動かない。
「よしよし。ちゃんと効いておるようじゃの」
カリナに似た人物はそう満足そうに頷くと、手の力を強める。当然、蒼真の苦しみは増すが、まだ耐えられる。蒼真は必死に動かせる顔を動かして、カリナに似た人物の手から逃れようとする。
「――ごっ――かっ」
だが、不意にこみ上げてきた咳が、首を絞められて出口を抑えられていた為に、肺に迷い込み、一気に蒼真は苦しみに耐え切れなくなる。そして、急速に視界が白く染まっていく。
「さらばじゃ、愛しき人よ」
カリナに似ている人物が、最後に何を言ったのかも聞き取れずに、蒼真は意識を失くした。




