第24話
草木も眠る丑三つ時。
しんっと静まり返った森の中。昼間でもそこは薄暗く、人という存在を拒絶しているかのような空間。
それが今では絵の具で塗りつぶしたかのように暗く、全ての存在をその腹の中に呑みこもうとするかのように不気味である。
もうすぐ満月になろうかという月の光すら満足に届かない。
そんな森の中、不思議なことに暗闇の中でもはっきりと分かる、一つの小さな人影。
その人影は、ランプはおろか、松明や、光る鉱石と言った闇夜を照らす品を持っておらず、頼りない月明かりだけを頼りに、深夜の森を、迷いなく進んでいく。
そして、とある何の変哲の無い木までたどり着くと、その影に隠れる。
「集え」
そして、呟く。
小さいながら、やけに響いたその声に応じるように、どこからともなく、漆黒に包まれた森の中でも認識出来る異常な程に黒い靄のような小さな塊が無数に現れ、その小さな人影を覆い隠す。
「さて、さて、今日はどれ位集まったかのぉ」
小さな人影は楽しそうにそう呟き、ぱちりと指を鳴らす。
刹那。黒い靄が赤く光り輝く。
その輝きは数秒の間、深夜の森を照らし出した後、黒い靄ごと、ふっと霧散する。
「……むっ? 昨日より随分と少ないの」
小さな人影は不満そうに言って、眉をしかめる。
「ふむ。村人達の様子を見る限りじゃ、そろそろ限界かの……引き際、というやつか」
言って、小さな人影は大きくため息を吐く。
「まぁ、それなりに回復した事じゃし……」
唐突に、前触れも無く、小さな人影の指先に炎が一瞬だけ宿る。その揺れめきは一瞬とはいえ周囲をまるで昼間のように明るく照らし出した。その炎の大きさはそこらにいる三流冒険者の魔法使いより大きく、下手をすれば二流冒険者が使うレベルまで達しているかのような大きさである。
「くっそ――何が、それなりじゃ! こんな吐息を吹きかければ消えてしまいそうな火しかだせん!」
小さな人影は苛立たしそうにそうまくし立て、八つ当たりのように木を小さな拳で叩く。
すると、ドンっという大きな音が森に響き、寝ていた鳥たちが一斉に飛び起きて空へと逃げ出す。八つ当たりをされた木の表面は拳の形に窪みが出来上がっている。
「くっそ! こんな小枝すら折る事も出来ん!」
小さな人影はそう憎らしく喚くが、八つ当たりされた木の大きは平均的な成人男性を二人ほど並べた大きさをしており、決して小枝といえるものではない。
「くっそ! くっそ! くっそ! あれもこれもそれもどれもあのちびっこい全身鎧のやつのせいじゃ!」
小さな人影は自らの力がここまで弱体化してしまった原因である、白銀の全身鎧の姿を思い浮かべて下唇を噛み締め、地団駄を踏む。
約一年前、小さな人影はそいつと出会い、敗北を喫し、あっけなく死にかけた。
死にそうになる直前に偶々通りかかった小さな少女と出会ってなければ、今頃は天に召されていただろう。今でも瞼を閉じると憎らしい全身鎧の姿がはっきりと浮かぶ。
小さな人影が地団駄を踏みしめるごとに、小さな人影を震源とした弱い地震が発生する。
「……今に見ておれ……妾の力が戻ったら必ず見つけ出して、八つ裂きにしてくれる」
あの時は油断をしていた。力が増す夜だったとはいえ、月が出ていなかった。その夜が新月ではなく、満月だったら、いや、月さえ出ていれば自分に敗北などあり得なかった。
「……ふぅ~」
暫く地団駄を踏みし満足したのか、はたまた単純に疲れたのか、小さな人影は大きく深呼吸をする。
「何はともあれ、近日中に場所を移動するとしよう。そうと、決まればこの結界はもう用済みじゃな」
言って、八つ当たり受けた木に手をやる。
小さな人影はこの村に着いた時に村を囲み込むように結界を張った。他人から生命力を奪い、自らの力を回復させる為だ。
もっとも、その行為も小さな人影にとってみれば不快だった。
何故なら本来の自分ならこんな結界なんぞに頼らなくても同じこと、いや、それ以上に強力で効率の良い魔法を使えるからだ。
「――んっ?」
結界を解除しようとした小さな人影は僅かばかりだが違和感を感じ取った。
それは魚の小骨が喉に引っかかったような小さな違和感。
だが、はっきりと可笑しいと感じられる程度のものだ。
小さな人影はその違和感の正体を探るように目を閉じて、神経を研ぎ澄ませる。
「……壊れている? ……何故じゃ?」
そして、その違和感の正体を突き止める。どうやらこの村を囲むように張った五つの結界の内、一つが壊れているみたいなのだ。
「張ってから約一年間ほったらかしとったからの。自然に壊れても不思議では無いが……じゃから、今日は量が少なかったのか? しかし、昨日までは何の異常は感じられんかった……う~む」
小さな人影は考える。果たしてこれは重大な問題なのだろうか、と。自然に壊れたなら良い、だが、誰かに結界の存在を気づかれ、その効果すら見抜かれ、破壊されたのでは? しかも、人が壊したとなると、この綺麗で自然な壊し方。結界という存在を熟知している可能性が高い。
そうなってくると問題は弱体化した自分よりそいつは強いのか、弱いのか、こちらを害するつもりがあるのか、無いのか。
「これが人の手によるものだとすると一体誰が……あの冒険者達か?」
小さな人影は村に依頼できたという冒険者四人を思い浮かべ、そして首を左右に振る。
「……いや、有り得んか。どいつもこいつも弱体化した妾より弱いじゃろう」
弱体化したとはいえ、長年の経験や知識、本能的な部分で、自らより強いのか弱いのかぐらいの判断は出来る。それを信じるのならばあの冒険者達は良くて三流程度だろう。一番小さい女子に至ってはそこら辺にいる村人と大して変わらないだろう。
「……まぁ、良いか。どうせ壊すつもりだったんじゃ。一つ、壊す手間が省けたというだけじゃろう」
小さな人影はそう結論付けると、木に張った結界を破壊しようと魔法を発動させる。
すると、小さな人影の手が青白く光を放つと同時にぱりんっというガラスが割れるような音が周囲に響き渡った。
「残り――」
「――三つ。と言った所か?」
小さな人影の独り言に割り込む、一つの声。その声は高く、まだ声変わりをする前の少年とも、少女とも捉えられる。
「――っ」
その声が耳朶に届くと共に小さな人影の全身が粟立つ。
その圧倒的な実力差を悟って。
自分では決して敵わない相手だと知って。
ただひたすらに恐怖する。
こんな感情は一体何百年ぶりだろう。久しく忘れていた。
この前死にかけた時でも恐怖は無かった、ただただひたすらにあのちみっこい白銀の全身鎧を呪い、罵り、憤怒しただけだ。
「さて、残りカスよ。俺様が一度だけ貴様を手伝ってやろう。その代わり、俺様の頼みごとを一つだけ聞いてはくれまいか? ああ、頼みとは言ったが、貴様に拒否権なんぞ無いぞ?」
万全な状態、いや、更には満月の夜だったとしても絶対に勝てないであろう存在を目の前にして、小さな人影はただただ恐怖して首を縦に動かす事しか出来なかった。
夏の日差しから大地を守ろうとしているかのように木々が伸びた森の中。
呼吸を繰り返す度に鼻腔をくすぐる夏独特の草木の青臭い匂い。
木々では防ぎきれなかった木漏れ日の差す中を蒼真とカリナの二人は兄妹のように、手を繋ぎながら並んで歩く。
今日も気温が高いはずだが、殺人的な程に強い太陽光は、天まで届けとばかりに伸びた木々にその勢いを殺され、時折吹く風が涼しさを運んできて、夏の暑さを感じさせない。
思った程暑くなくて良かった。
そよそよと、山の中腹に位置している為か、少しひんやりとした風を頬に感じて、蒼真はしっかりと握り締められた左手を何となく見つめる。
今日は手伝わなくても大丈夫みたいだからデートしよう?
昨日と同じように宿屋を手伝うべく、眠い目を擦りながらどうにかベッドから抜け出した蒼真に向かってカリナが言った台詞である。
昨日休んだおかげか、従業員が今日は元気に出勤してきたのだ。この前に見かけた姿とはまるで別人のようになっていた。
もっとも、それは従業員だけでなく、村中の人々が昨日とはうってかわって元気になっていた。
異常なまでの睡眠不足は解消されたか、はたまた今日がたまたまで、また明日から睡眠不足になるのかは不明だが、村にとってみれば良い傾向だろう。
少し、話が逸れた。
話を戻すと、昨日蒼真が張り切って薪割りやら何やらをしたおかげで仕事にも余裕が出てきたので、今日はカリナのお手伝いも必要無いらしい。急に休みを貰ったカリナだが、特にしたい事は無い。部屋で一日中ごろごろしていても良いのだが、それだと折角の休日が勿体無い。と、いう訳で一緒に出かけようという事らしい。
その約束を交わしたのは太陽が昇り始めた頃だが、今ではその太陽が真上に昇っている。
何故ここまで時間が経っているのかと言うと、その理由はカリナの握られていない手を占領している、本日のお昼が入っているあろうバスケットである。
二人で出かける、軽いピクニックか? それをデートというんだからミストと同じようにカリナも背伸びをしたい年頃なんだろう……手を繋ぎたいと言われた時はこの暑い中、何でそんな事をしなくてはと思ったが、まぁ、思いのほか涼しくて良かった。
等と考えて蒼真は苦笑する。
ちなみに、この暑い中何で手を繋ぎたがるのか? というのは思っていただけでなく、実際に口に出してしまって、カリナを怒らせてしまった。
デートは手を繋ぐのもの。
という、カリナの言葉と一緒に無理やり繋がされてしまった。
かれこれ森に入って二十分は歩いただろうがそこまで距離は進んでいないだろう。
とはいうのも、小さいカリナに歩幅を合わしている為に、その歩くペースは非常にゆっくりである。
ちなみに蒼真は行き先を知らない。どうやらカリナのお気に入りの場所らしい。
さてさて、一体どこに連れて行ってくれるのやら。
蒼真はそんな事を考えながら、いつの間にか大きくなっていた歩幅を小さくした。




