滝宮 秀次 さま
さあお弁当を持って・・ピクニックならいいのですが・・。
サマー子爵領から車で南東に40分程行った所に、ストランド伯爵邸がある。
いつ来てもこの屋敷には威圧感がある。
田舎の小さな村にあるエミリーの家とは違って、中規模の街の中にあるこの屋敷は、偉そうに「えっへん」と言って建っているような気がする。
街で一番大きな教会とこの伯爵邸を結んだ大通りを中心に、ストランドの街並みは広がっている。
商店やレストラン、最近できた中規模のアウトレットモールをはじめ、各種商業施設がそこそこ揃っている住みやすいところだ。
エミリーたちが通っているジュニア・ハイ・スクールもこの街にある。
最近急激に人口が増えたのだが、それは中規模都市には珍しい大きな病院ができたことがきっかけだったのだろう。
その病院が出来たことによって、先のアウトレットモールなども進出して来たのではないだろうか。
エミリーの父親とおじい様が先日のパーティで、そんな話をしていた。
伯爵邸の守衛がいるゲートを通ってから2分ほどで、エミリーたちが乗った車は正面玄関の車よせに到着した。
そう、ここにはエミリーが一人で来たのではなく、みんなついて来ちゃったのだ。
ブリーとマリカは滝宮様目当てで、ミズ・クレマーはなぜか日本と言う国をリスペクトしている関係で、全員がいそいそとついて来てしまった。
皆で車を降りると、いつものように執事のパーマーが慇懃に扉を開けてくれた。
この人は見た目は怖いのだが、身内にはひどく優しい。
今もブリーやエミリーを見ると、ふさふさと垂れた眉毛の奥の灰色の目を、嬉しそうにキラキラさせている。
「旦那様がお待ちです。お電話があってからそわそわされていましたよ。」
「そうなの? 昨日の今日だからこちらに伺うのは早すぎるかと思っていたのだけど…。」
ブリー、なにが早すぎるよ。
ブリーが早く行こう!って先頭きって来たのに。
「滝宮様にご注文を受けたお弁当を持参したのだけれど、どちらにいらっしゃるのかしら?」
「滝宮様も皆様がいらっしゃることを聞かれてからは、旦那様と一緒にずっと待っておられます。青の間にいらっしゃいますよ。」
皇太子様…そんなに待ち遠しかったのかい、お弁当。
パーマーの案内で、皆でぞろぞろと一番大きな応接室である青の間に行くと、窓際の庭を眺めるソファーにおじい様と滝宮様が座っているのが見えた。
「おおっ、来たか。待ちかねたぞ。」
おじい様が満面の笑顔で立ち上がった。
そしてその後に立ち上がった滝宮様を見て驚いた。
背が高ーーーい。
すらりとした気品のある立ち姿。
硝子に映る秋の庭の花々を背景に、黒髪に、黒の薄手のセーター、黒のスラックスといった宮様の装いは、下手に華美に着飾った人とは違って、強烈な印象をエミリーたちに与えた。
びっくり。
ブリーが入れ込むはずだよ。
昨日はめんどくささが先に立って、じっくりこの人の事見てなかったからね。
衝撃にぼんやりしているブリーとマリカは放っておいて、最初に我に返ったエミリーが話しを進めることにした。
「おじい様、滝宮様、早いほうがいいかと思ってお弁当を作ってきました。なつみさんによるとお醤油やみりんがないので、本格的な日本料理ではないのですが、日本には各国の料理を日本風にアレンジした、庶民の家庭料理があるそうです。とりあえず子爵家にあるものですぐできるものを作ってみました。慣れないものですからこちらのミズ・クレマーやブリーにも手伝ってもらいました。」
「それはありがとうございます。皆さんにお手数をお掛けして申し訳ありません。すぐに作って頂けて、感謝しています。」
皇太子様は満面の笑みでそう言ってくれた。
やれやれ、御役目コンプリーーート。
「ん? 醤油とはソイソースのことだろう? ロンドンでは売ってるとこがあるだろうから、今度キャサリンが帰って来るときに、買ってこさせればいいじゃないか。今度の日曜日に帰って来るって言ってたぞ。」
えーー、おじい様また余計な情報を!
皆一緒に、伯爵邸で少し遅めのお茶をよばれた後、ブリーとミズ・クレマーは夕食まで残ったのだが、エミリーとマリカは早々に帰宅の途に就いた。
「この後、マリカを送って行って学園祭の打ち合わせがある。」
エミリーがそう言って帰ろうとしたが、マリカはひどく不満そうだった。
でも肩の凝る話合いなど、まっぴらごめんだ。
早々に退散するに限る。
後は大人の皆さんにお任せだ。
めんどくさいなんて思ってないよ。
私たち、まだ10歳だからね。
◇◇◇
その日の夜、エミリーは久しぶりに、図書室の本を誰にも煩わされることなく、堪能の溜息をついて読み終えた。
その時、ブリーが部屋に入ってきた。
「まだ寝てなかった? ちょっと聞いてよ。」
うっ、これから寝ようと思ってたんですけど…。
「お弁当、宮様に好評だったわよ。」
「へぇ~。」
「特に卵焼きが気にいってらしたわ。おみやげの、千枚漬け?も頂くのが楽しみだなんて、子供みたいに喜ばれて…。『エミリーさんたちにもよろしくお伝えください。』ですって。」
そうなの。
そりゃ、ようござんした。
家庭料理でも気に入って頂けたなら、なつみさんも喜ぶだろう。
ここまではよかった。
みんなで時間をかけて作ったものが褒められたのだ。
苦労も報われる。
しかし、それからのブリーの話と言ったら…。
「滝宮様が…。」
「滝宮様の…。」
そしてとうとう「秀次さまは…。」ときたもんだ。
眠い。
眠たい。
遠い島国の王子様がどんな素敵な人かなんて、正直どーでもいいんですけど…。
ブリーによると、滝宮様はオックスフォード大学の招待生で、こちらの言葉や生活習慣に慣れるまで、何件かの貴族の家に滞在されて、語学を学んでおられるらしい。
おじい様のところには、以前おじい様が外務省の高官をしていた関係で滞在されているとか。
日本はこちらと違って19歳から大学に入るらしく、今年、必修科目を日本で修められたばかりで、専門課程に進む前にご遊学あそばされたそうだ。
つまり今、20歳だそうである。
「4歳違いなのよー。ちょうどお似合いじゃない。」
…誰と?
わかった、わかったから一人で盛り上がってほしい。
キャスがロンドンのハイ・スクールに行った後、新たなブリー番を拝命して、キャスの苦労がよくわかった。
キャス…今までごめんよ。
ずっとブリーを押し付けて逃げてて。
誰か、もう宮様でもいいんだけど。
ブリーをもらってくれないかしら。
お年頃の16歳。
それなりのボン・キュッ・ボンでスタイルもいいし、顔もまあまあ。
家柄もそこそこ。
如才なさはお母さま譲りの筋金入り。
どこに出しても(外面は)恥ずかしくないし。
(家では)ちよっとめんどくさい人だけど、底意地は悪くないよ。
善良だよ。
こう言うとこも、恋フィルターが掛かると可愛く見えるもんじゃないの?
よく知らないけど…。
滔々と続く滝宮様情報に気が遠くなりながら、エミリーの夜は更けていくのであった。
こちらも眠くなりそうです。
次は「キャサリン姉さまと魔女のカンザス」です。