魔族街の人間1
「……というわけで、人間により森が征圧されていたため、報告をと思い……」
とある部屋の一室に、男女が対面していた。
男は壮麗なデスクの前に腰掛け、デスクに肘を付いて両手を組み、そこに顔を乗せている。
ジト目なのは目の前の女が報告を始めてからずっとだった。
女はしどろもどろで顔を青褪めさせながらも必死に自分の報告を行う。
相手が信用していない事くらいは理解していたが、それでも報告しなければならない苦行を行っていた。
「ムイムイ君、君ねぇ、今回の命令違反、その言い訳じゃ通らないよ。何しろ現場の隊員から君が途中で居なくなったと聞いている。噂じゃ妖しい生物を二人も自宅に連れ帰ったそうじゃないか。なんなんだいあの赤い生物と白い生物は?」
「は、はっ、その、あれは……そう、新種と思われる魔族が死にかけていたので自宅に保護しております」
「つまり、不法移民を勝手に自宅に連れ帰った訳か」
「いえ、あのその……」
「もういい、分かった。処分については後に自宅に伝えるとしよう。帰りたまえ」
「は、はっ!」
「ああそれと……」
敬礼して踵を返したムイムイを、男は呼びとめる。
びくんっと身体を硬直させたムイムイは油の切れた機械のように振り返った。
「報告があるまで自宅謹慎だ。破れば懲罰房に行ってもらうから」
絶望的な宣言にその場にくず折れたかったムイムイだったが、気力を振り絞って駐屯地を後にする。
一度だけ、振り返る。
大きな建物は魔王軍本拠地、魔王城城下町に存在するアルテイム駐屯場である。練兵を行うため街の郊外に作られたこの場が、ムイムイが務める軍の軍団長が居る場所だ。
今回はムイムイが勝手に戦線を離れたことに対する報告、そして処分の検討のために呼ばれたのだ。
郊外から足早に街へと戻る。
正直、出来るだけ早く立ち去りたかった。家に戻りたかった。
安息の地に行きたいとか、そんなことではない。
家に居る二人の悪夢が暴走しないか気が気でないからだ。
あれの存在がバレてしまえば自分の身が危ない。
急げ急げ急げ。
心は走っているつもりで早足で歩く。周囲の魔族があまりに速い歩みと強張った顔に何事かと振り向いて来るが気にしてなどいられなかった。
ようやく自分の家へと辿りつく。
それなりに大きな貴族邸という奴だ。
ムイムイ自身が建てた家ではなく先祖代々で引き継がれた家である。
ただし、随分ボロが来ているのでそろそろ建て替え時期だと父が言っていた。
そんな金はムイムイの家族には無いのだが。所詮はしがない貧乏貴族。娘も軍属にならねば食いぶちが無い程の安月給だ。
「あら、お嬢様、おかえりなさいませ」
家の前で掃除をしていた老婆が挨拶をしてくる。
祖父の代よりずっとこの家に居てくれる老婆だ。
何故この家で家政婦をしてくれているのかは未だに知らない。
とりあえず、給料をもらって仕事をしている存在ではなく、趣味か何かでずっと住み込みで働いているお婆さんと認識している。
もしかしたら祖父の愛人か何かだったのかもしれない。
とりあえず家に対して敵意を持った人では無いので住み込みで働くお婆さんという認識で居る。
そんな老婆に挨拶を交わして屋敷の中へ。
広々とした廊下を歩く。正直言えばモノ寂しい。家政婦も居ないので誰もいない広い廊下はなぜか寂寥感があるのだ。
なんだか徐々に衰退する自分の家の没落を示唆しているようでムイムイはこの廊下を歩くのが嫌だった。
そして、それも徐々に現実になりつつある。
父と母はそれなりの重役に付いているのでまだなんとか館の維持はできているが、兄は官僚の道を失敗し家に引き籠もり部屋から出て来ない。
弟は早々に軍属に入ったが、戦闘センスがあまりにもなかったせいで今重傷で入院している。
回復魔法では四肢欠損までは治せなかったのだ。
唯一起死回生の可能性があるのは下の弟。
頭がいいので父がよく仕事現場に連れていっているのだが、まだ三年と少ししか生きていない彼に何を求めろと言うのか。
そして、最大の問題の種が、ここにある。
とある部屋の扉を開く。そこには二つのベッドが存在し、二人の男女が寝そべっていた。
リラックスムード漂う男女はムイムイに気付くと片手を上げて挨拶する。
「よぉ、おかえり」
「ムイムイさん、どうでした?」
「お、お前達の、お前達のせいでぇっ、自宅謹慎になったじゃないかぁッ!!」
軍属になってから初の命令無視、自分の経歴に傷が付いたのも、上司に睨まれたのも、何もかもがこの目の前にいるスポーツマン系男と冷めた視線の黒髪女のせいである。
人間だ。また人間のせいだ。全て人間のせいだ。
「お前達は絶対に殺す、私が確実に息の根を止めてやるっ」
真名さえ奪われなければ。悔しげに叫びながら部屋の扉を乱暴に占め、自室に引き籠もるムイムイだった。




