猊下襲撃
「ふふ、はははっ。そうだ。そうなのだ。別に儂が戦場に出る必要性はないのだっ」
教国エルダーマイア猊下は嗤いながら行軍を行っていた。
連れている兵士は200も満たない。しかしながら彼は余裕だった。
なにしろ、今は戦場から遠ざかっている最中なのだから。
エルダーマイア自体は壊滅してしまったものの、国民は全て近くの村に身を寄せている。
女神自身からこの闘いが終われば褒美に国をくれると確約も貰えたので彼は幸福の絶頂期だった。
自分は村に戻って高みの見物をすればいい。
そう、エルダーマイアの勇者達は全員真名を奪い魔族と闘うように仕向けているのだ。
自分の護衛として残した光子も自分の危機には死力を尽くしてくれるので自分の安全は確約されているようなモノである。
「猊下、村が見えました」
「おお、それはよい。先触れを出し村長に兵士を迎える準備をさせよ」
「はっ!」
先触れの兵が馬を駆って突出する。
だが、その兵が村の門へと辿り着いた瞬間だった。
内側より現れた蛇女に噛みつかれ、悲鳴とともにアイテム化して消え去る。
全軍が止まった。
遠目に映った先触れ兵の死に、意味が分からず呆然と見送ってしまったのだ。
猊下もまた、あり得ない光景に呆然としていた。
「な、なぜ人族の村に、魔族が?」
ヒュンッ
耳に風切り音が聞こえた。
咄嗟に動いた光子により突き飛ばされた猊下の直ぐ横を矢が通過する。
「なっ、なっ?」
「予想通りに来たぞ! 全軍エルダーマイア猊下の首を狙え!」
突如、周囲から現れる奇襲部隊。馬に跨ったアウグルティースの弓矢部隊が一斉に弓を引く。
アウグルティースが託された部隊が猊下向けて襲いかかった。
「バカな!? 奇襲だと!? なぜ人族領に魔族が!?」
「マジックシールド!」
光子が自分と猊下に魔法の盾を作りだす。
魔法も物理攻撃も正面からなら受け切れるのだが、四方八方から囲むように矢を撃って来るアウグルティースの部隊に、猊下の護衛部隊は次々と撃たれて逝く。
「バカな!? こんなバカな!?」
信じられるわけがなかった。
自分は安全地帯に向かった筈だ。なぜ安全地帯で奇襲を受ける? 村に魔族が潜んでいる?
「猊下、御逃げをぉぉっ」
また一人、喉に矢を受けて絶命する。
叫んだ男に弾かれるように逃げようとする猊下だが、何処へ逃げろというのか?
エルダーマイアは壊滅し、逃げるべき村は既に占領され、奇襲部隊に四方を囲まれた袋の鼠。
「お前が猊下だな!」
倒れる兵士達を掻きわけるようにアウグルティースが現れる。
咄嗟に前に出ようとした光子だが、背後から猊下を狙ったムレーミアに気付いてそちらの迎撃に回ってしまった。
前後からの挟み打ち。ムレーミアに掛かりきりとなったため、光子からの援護は期待できない。
アウグルティースとの一騎打ち。
猊下に戦闘能力などなかった。
「ありえん、こんな、あり得る訳が……」
「我が忠誠を、陛下に捧ぐ。死ねぃっ!」
ひゅんっと風切り音。
アウグルティースの剣が振るわれたと気付いた時には、猊下の首が舞っていた。
同時に光子の真名命令が消え去り彼女が自由になる。
「……あ? 私、自由に……?」
「陛下の言っていた通り、勇者の真名縛りが解けたみたいですね」
「スマンなムレーミア。わざわざ手伝って貰って」
「いえ。私こそ。生存を報告せず、申し訳ありません」
死にたそうな目で告げるムレーミアに、アウグルティースはふっと笑みを浮かべる。
「全軍、猊下の暗殺は成功した。現地住民の協力はここで終わりだ。退くぞ」
「アウグルティース様?」
踵を返す奇襲部隊はムレーミアと光子を放置したまま魔王国へと向かって行く。
「ムレーミア。お前の生存は報告しない。好きに生きろ。もう、絶望に嘆く世界は終わりだ」
アウグルティースは一度だけ彼女を振りかえり、穏やかに微笑む。
「お前の人生に、幸福を」
言わんとすることを察したムレーミアはその場に崩折れる。
涙を流しアウグルティースの背中へと何度もありがとうございますと告げる彼女の側を、光子がふらふらと歩く。
「待って……私も、行く。エルダーマイアを、壊滅させたいの」
「よかろう。これから人族軍に奇襲を仕掛ける。付いて来るがいい」
寄ってきた光子を拾いあげ、馬で駆けだすアウグルティース。
彼らの後ろ姿を、ムレーミアはずっと見続けた。
「おねーちゃん。よかったね」
戦闘の行く末を門の奥から覗いていた少女が、ムレーミアを抱き寄せる。
人族の少女に抱きしめられ、ムレーミアは泣きだした。
嬉しいと言えばいいのだろうか? 死ね無くなったと嘆けばいいのだろうか? でも、今は。今だけは……
アウグルティースの願いどおりに、裏切り者と言われ続ける覚悟をして軍人として闘いを選んだ彼の分まで幸せに成りたい。そう思うムレーミアだった。




