東の決戦1
想定外だった。
息も絶え絶えに、必死に走る。
後など見ている予定はない。むしろ見れば死ぬ。
必死に前を見て走る。
ソルティアラは生まれて初めて全力疾走を行っていた。
こんなことなら運動をしておけばよかった。
コルセットで絞めた腹の贅肉が今は一番に恨めしい。
縺れる足を必死に動かし、森の出口向けてひたすらに走る。
しかし、背後の気配は一向に離れて行かない。確実に距離を詰めて来ている。
終わる。このままだと自分は終わる。
追い付かれる訳にはいかない。自分は一瞬で終わってしまう。
相手は獲物を追い詰める狩人だ。獲物が必死に逃げるのを追って楽しんでいるのだろう。
狩られる側に回りたくなどなかった。だが、今は絶望的でも逃げなければならない。
魔神に追い付かれれば全てが終わる。でも、このままルトバニア向けて逃げれば、もしかしたら、もしかしたら……
あっ。と気付いた時には遅かった。
小石に蹴躓き無様にこける。
地面に顔を打ち付け、鼻血が垂れる。
惨めだ。本来であればルトバニア城で父共々戦況報告を聞いているだけでよかったのだ。
わざわざ前線に出る必要などなかった。
今回の闘い終了後に、兵士を率いてそのまま王位簒奪をもくろんだ結果が、これだった。
子飼いの兵士は全て死んでしまった。もう、王位簒奪すらも狙えない。
じゃくり。手元の土を掴むように引っ掻く。
自分が思い描いた覇道が魔神の出現で一瞬で崩壊した。
なぜ? こうなった? 私は悪くないのに。
悔しげに歪むソルティアラの瞳に、足が映った。
「鬼ごっこは、終わりか?」
全身が凍りついた。
目の前に、既に居た。
魔神ラオルゥが既に追い付いていた。
真上を見たい。確認したい。
そう思うが気力で顔を下に向ける。
見たら終わる。
彼女の魔眼を見た瞬間、自分は散る。はじけ飛ぶ。
「さて、一思いに殺してやるべきなのだろうが。勇者の子孫でもあるしな。ソルティアラよ、このまま踏み潰されて死ぬのと我が目を見て散るのと、どちらがいい?」
「い、嫌……」
「二択だよ。死ぬ以外に道は残っていない。あと10秒。強制的に踏み潰す」
頭の上に、靴の感覚。
「きゅーう」
このまま何も行動しなければ終わる。
「はーち」
しかし行動することなど既に出来ない。
「なーな」
少し動いただけでも、魔神は自分を踏み潰すだろう。
「ろーく」
誰か、誰か助けて。
「ごー」
私を救って。
「よーん」
カードの勇者様。
「さーん」
お父様。
「にー」
他の誰でもいい、誰か、私を……
「いーち」
「大悟――――ッ!」
「ソルティアラぁッ!!」
希望が、聞こえた。
ゼロ。ラオルゥが声を出すより先に、頭の上にあった足が唐突に消えた。
思わず顔を上げたソルティアラの側を、そいつは通り過ぎて行く。
ラオルゥの背中に体当たりした大悟が、諸共にソルティアラの後ろへ飛んで行き地面を転がった。
「だ、大悟?」
「痛たた……な、なんとか間に合った」
「むぅ、痛いじゃないか大悟よ」
大したダメージは受けていないと、ラオルゥが立ち上がる。
思わず視界に収めてしまったソルティアラは顔を青くするが、今のラオルゥは眼帯で眼を隠した状態だった。
自分は目隠し状態のラオルゥ相手に逃げまどっていた事に気付いた羞恥が湧くが、後ろを確認できなかった以上分かるはずもなかったのでこればかりは仕方無かった。
「ラオルゥ、何故だ。何故ソルティアラを殺そうとする? 俺達は集まりはしたが魔王軍に敵対行動はしてないはずだ!」
「どうせ勇者が来しだい動いていただろう。まぁ、そのようなことはどうでもいいのだ」
立ち上がり、剣を向ける大悟に、ラオルゥはニヤリと笑う。
「ソルティアラには言ったがな。これはただの私怨だよ。我が世話になった勇者を騙し、后にし、思うがままに蹂躙した腐った王の子孫がのさばる。その事が許せんのだよ」
「どんな理由だよ。ソルティアラには関係ないじゃないか! そんな数世代前の王がしでかしたことでなぜソルティアラが殺されなきゃならないッ!」
「親の失態は子が請け負う。先祖への復讐は子孫が受ける。そちらが終わったつもりでも、我にとっては未だに終わっていないのだ」
二人の主張は絶対に折り合わないのだと、ラオルゥは強気に出る。
大悟にとっては災難でしかない。惚れた女が最悪の魔神に狙われているだけのこと。
ならばこそ、自分はソルティアラの盾であり剣となるしかない。
「退けよラオルゥ。これ以上するのなら、俺があんたを止める!」
「やってみせろよ勇者クン。魔神を止められるならばな!」
すらり、ラオルゥが初めて剣を手にする。背中に背負っていたにしては巨大すぎる。アイテムボックスのようなものから取り出したのだろうと大悟は当りを付ける。
大悟の剣よりも一回り大きな両手剣。
ソレを片手で振り回し、ラオルゥがニタリと微笑む。
「さぁ、ソルティアラを守り切れるか勇者クン。魔神ラオルゥ、楽には倒せんぞ?」
決戦が、始まった。




