消された女
「矢鵺歌が女神……か」
矢鵺歌の行動は基本悲劇のヒロインといった具合だった。
宮廷魔術師に真名を奪われ恋人のようにされ、俺を殺し、若萌を捕縛し、奴隷化しようとした。
俺が人魚の血の御蔭で復活して宮廷魔術師を倒せたから若萌を救えたし矢鵺歌の真名も取り戻せたと思っていたが、アレは矢鵺歌の策略でもあったらしい。
あの時点で俺を殺し、絶望した若萌をさらに地獄に付き落とすつもりだったのだ。操ってるつもりだった宮廷魔術師は女神自体が意識操作していたのだろうから自分はただ真名を奪われた設定だけで何かされるつもりはなかったのだろう。あるいは自分も絶望に染まりたいどうしようもない破滅思考か?
まぁどっちでもいい。とにかくこの世界の女神は悪だ。
自分の都合で異世界から勇者を呼び出し絶望に叩き落として殺すような奴を、生かしておくべきじゃない。女神は敵だ。最終的に倒すべき存在だ。
だが、俺に何が出来る? 相手は自分の認識できる世界から逸脱している存在だ。ただ闘っただけでは敗北だろう。
ディアに頼ったところで意味はない。なぜなら彼も女神が作りだした存在でしかないのだから。
つまり、この世界で俺が頼れるのは異世界から来た勇者たちだけだ。
彼らと力を合わせて女神の思惑を超越するしか手はない。
あるいは、異世界からこの女神の思惑に気付いた超越者が現れるのを待ち望むか。
否、だろう。誰ともない正義の味方を待ってなど居られない。なぜなら俺自身が正義の味方であるのだから。悪がいるのなら、倒すしかないだろう。
今はまだ手はないが、それを探っていくしかない。さすがに愛と勇気と希望でなんとかできる状況でもないしな。
それまでは確かに若萌の言うように素知らぬ顔で監視するしかないだろう。
「そう言えばチキサニ、お前なんかいろいろ言ってたよな。モシレなんとかって」
「言った。クンネ ラムピリカポンメノコ。黒の聖女がクアニにくれた。これ、私が巫女として祭り上げられた理由の書」
懐からチキサニが一冊のノートを取り出す。この世界にはあり得ない大学ノートA4サイズだ。
思わず受け取り、パラパラとめくる。
そこには、あり得ない事が書かれていた。
「若萌、稀良螺、ちょっと予想外の物が見つかった。俺の部屋に来れないか? ディアも、一緒の方がいいかもしれん」
『何? まぁいいわ、ちょっと待っててくれる? 用意してそちらに向かうわ』
『私も行った方がいいの? あ、ちょっと待って、誰か来たみたい』
二人が動き出したのだろう、念話が途切れる。
というか稀良螺、さっき誰が来ても開けるなと言っただろ。大丈夫なのか?
コンコン、と音が聞こえ、彼女はベッドから身を起こした。
ベッドから降りて伸びを一つ。身体を伸ばして鍵を開ける。
ドアを開くと目の前には一人の少女。
「矢鵺歌……?」
「ええ。少し話があるの、入っても?」
「え。ええ……」
少し戸惑いながら、彼女は矢鵺歌を迎え入れる。
無防備に背中を見せて歩く女に、矢鵺歌はゆっくりと近づいた。
部屋の中央に向った彼女の後ろでドアを閉め、背中に抱きつくように矢鵺歌が迫る。
「や、矢鵺歌?」
「あのね。私、嬉しいのよ。貴女が生きててくれて」
「それはさっきも聞いたわ、私も貴女と再会できて嬉しいわ」
背中に抱きつかれたまま、女は答える。
そんな女の背中に、ズムと何かが差し込まれた。
え? 驚く女の背骨の隙間を入り込み、心臓に到達する鋭い何か。ごふり、口から血が零れる。
「や、矢鵺……歌?」
「嬉しいのよ。貴女が戻ってきてくれて。どっかで野垂れ死ぬ訳じゃ無く、友人と思っていた存在に裏切られて絶望に沈みながら死んでいく貴女を見ることが出来て」
すっと、鋭い何かが抜かれて行く、よろめきながら彼女は背後に居た矢鵺歌を振り向いた。
嗤っていた。おおよそ彼女の知る矢鵺歌では見せないような醜悪な笑みで、矢鵺歌は彼女を嗤って見ていた。
「な、なぜ? 矢鵺歌……」
「ふふ。あはは。いい顔よロシータ。そうよ。これよ。私はその顔が見たかったっ! あは、あはは、あははははははははははははははははははははははははっ」
片手に持たれていたのは鏃。血塗れの矢はロシータの血に塗れていた。
なんとか回復魔法を使おうとしたロシータだが身体が上手く動かない。
「チキサニの持って来た矢にね、毒が塗ってあったのよ。ふふ。苦しい? 即死毒ではなくじわじわ来るように調整してあげたのよ!」
「あ、あんた一体、なぜ……矢鵺歌……」
「ああ、いい。やっぱりいいわ。絶望して死ぬ姿、最高よっ」
「違う……こんなの矢鵺歌じゃ……魔王陛下、この矢鵺歌は……」
「消えなさいロシータ。ああ。可哀想なロシータ。私を生き返しさえしなければ、戻って気さえしなければ、絶望に沈むことはなかったのに。ふふ。あはは、あははははははははははははははははははははははははははははっ」
女神の狂刃に倒れた犠牲者を、この時俺はまだ、知る由も無かった……
本日のアイヌ語
ラムピリカポンメノコ=心やさしい乙女




