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 駅のロータリーから大学病院行きのバスに乗った。

「……佳耶って、ほんとわかんない」

 一番後ろの席に座った吉武がつぶやく。

「なんでこんなことまでするんだよ。俺のこと、嫌いになってもらえるように頑張ったのに」

 私は吉武の隣でその声を聞く。いきおいでつないだ手はそのままで。

「私を怒らせようと思って、あんなこと、しようとしたの?」

「最初は嬉しかったんだ。佳耶に『付き合わない?』なんて言われて、すごく浮かれてた」

 車内にアナウンスが流れて、バスがゆっくりと走り出す。

「だけど佳耶と付き合ってるうちに思った。なんか違うって。俺は佳耶が思ってるような人間じゃない。いつだって逃げることばかり考えてたし、今も逃げてる。佳耶みたいに頑張ってない」

 私だって、頑張ってなんかない。いつだって不安と不満で胸の中はいっぱいだ。

「だからさ。佳耶は俺みたいなやつと付き合わない方がいいと思ったんだ。はじめて付き合うんだったら、なおさら」

 吉武が黙り込んだ。

 一度バス停に停車したバスは、お婆さんをひとり乗せ、また走り始める。

 市街地を少し走ると、バスはすぐに坂道を上り始めた。大学病院があるのは、この坂の上だ。


「私……吉武のこと、嫌いじゃないよ?」

 バスに揺られながら、つぶやく。

「あの時は急だったし、びっくりして恥ずかしくて……でもほんとうは嫌じゃなかった」

 坂の途中のバス停で、またひとりお客さんが乗ってきた。それでもバスの中はガランとしている。

「私は吉武がいいの。吉武じゃなきゃ駄目なの。吉武の代わりなんか、いないんだよ」

 自分で言いながら、ものすごく恥ずかしくなった。だけど今日は思い切って伝える。もう後悔はしたくないから。

「きっと妹さんにとっても、お父さんにとっても、吉武の代わりなんかどこにもいないよ。だから……」

 顔を上げて吉武を見る。吉武も私のことを見ている。目が合って、先にそらしたのは吉武のほうだ。

「わかったよ」

 吉武の顔がほんのり赤くなっているのは気のせいか。

「佳耶の言いたいこと、なんとなくわかった」

 バスが病院のロータリーに着いた。乗客が次々と降り始める。

 吉武が立ち上がり、私は黙って吉武のことを見上げる。

「妹に……会って来る」

「うん」

 ぐっとつないだ手をひっぱりあげられた。そのまま一緒にバスを降りる。

 病院のエントランスへ入る前、私は「外で待ってる」って言った。病室の中まで行くつもりは最初からなかった。

 私の手を離した吉武が、病院の中へ入って行く。私はその背中をひとりで見送る。

 秋の終わりの風に吹かれながら、私は顔を上げ、高い病棟を見上げた。


 病院の隣にあった小さな公園で、吉武のことを待っていた。

 ひっそりと静まり返った公園には、古い滑り台とブランコがあるだけ。遊んでいる子どもの姿もない。

 寂れたブランコに座り、ゆらゆらと揺らしてみる。そうしたら、小学生の頃のことをふと思い出した。

 あれはまだ、お父さんとお母さんが離婚する前。些細なことで喧嘩を始めたふたりの、罵り合う声を聞きたくなくて、私は黙って外へ出た。

 冬へと向かう秋の夕暮れ。近所の公園のブランコにひとりで座り、空を見上げた。

 その日の空が赤くて綺麗で……誰かに伝えたかったのにその人はいなくて……私は空を見ながら泣いていた。

 あの日のせいかな……この時間の空が、なんだか好きになれないのは。


「佳耶!」

 ぼんやり考えていたら、吉武が走って戻ってきた。

「吉武……もういいの?」

「うん」

 そううなずく吉武は、なんとなく清々しい顔つきをしていた。

「妹に、手ぶらで来るなって怒られた。次来るときは美味しいスイーツ買って来いって」

 吉武がそう言って笑う。見たこともない妹さんが元気そうでよかった。

「それから今度は彼女を連れて来いって」

「え?」

「佳耶のこと話したら、会ってみたいって」

「なんか恥ずかしいな」

「俺は今度、佳耶の弟に会ってもいい?」

 私の顔をのぞきこむようにしながら、吉武が隣のブランコに腰かける。

「うん。会ってやって。お兄さん大好きだから、きっと喜ぶよ」

 私の声に、吉武がもう一度笑った。


 高台にある公園からは、夕陽に照らされた私たちの町が見下ろせた。それはちょうど、私と吉武の座るブランコの前に広がっている。

「吉武、見て。ここから学校が見えるよ」

「どこ?」

 私はまっすぐ指を伸ばす。

「ほら、あそこが駅でしょ。そこからもうちょっと奥に行って……」

「あれ? ちっちゃいなぁ……ここから見ると」

 吉武の座っているブランコが、キイッとかすかな音を立てる。とくんと私の心臓も音を立てる。

「あんな小さいところで、俺たちは暮らしてるんだなぁ……」

 吉武の言葉にうなずく。高校生の私たちにとっては、あの狭い場所がすべてだ。あの中で毎日、笑ったり泣いたり、喜んだり落ち込んだりを繰り返している。

 世界はもっと広く、どこまでも続いているのに。


「吉武は……高校卒業したらどうするの?」

 ふと思いついてつぶやいた。吉武は少し考えてから、前を見たままつぶやく。

「たぶん、この町を出ると思う」

「……そっか」

「佳耶は?」

「たぶん、私も」

 たいていの人はそう考えている。進学するなら東京へ、就職するとしてもこの町には、若い人が働きたいと思える職場があまりない。だからみんな、卒業と同時にこの町を出て行くのだ。

「妹の病気がよくなったら、前住んでた町に戻るかもしれないし」

「え、そうなの?」

「うん」

「戻ったら……元カノとより戻っちゃったりしてね」

「それはないよ。もう終わったことだから」

 遠くを見たままの吉武が小さく笑う。私は私の知らない吉武の彼女だった人に、ちょっとだけ嫉妬する。

 そして私と吉武が、あの学校で一緒にいられる時間も、限られていることに気がつく。卒業して離れ離れになったら、私たちもそんなふうに別れてしまうのだろうか。

 そう思ったら、どうしようもない想いがこみあげてきて、泣きそうになった。

「吉武……」

 すがるようにその名前をつぶやく。吉武がゆっくりと私を見る。

 目が合っただけでこんなに心臓がドキドキしている。息をするのも苦しくて、嬉しいのにすごく寂しい。

 ああ、そうか。私きっと……吉武のことが好きなんだ。


 手を伸ばし、隣のブランコのチェーンを引き寄せた。

 錆びた音がキイッと響いて、バランスを崩した吉武が驚いた顔で私を見る。

 伝えたい。今のこの気持ちを。だけどどうやって伝えたらいいのか、私にはわからない。

 腰を浮かし、隣のブランコに近づいた。吉武の顔が目の前に見えて、恥ずかしいから目を閉じる。

 そうっとそうっと触れ合った唇は、やわらかくてあたたかくて……私はすぐに吉武から離れた。


 どうしよう。私、吉武とキスしちゃった。


 目を開けたら、呆然と私を見ている吉武の顔が見えて、私は冗談みたいに言うしかなかった。

「は、はじめてなんだからっ! ありがたく思ってよね!」

 吉武はブランコに座ったまま、何かを考え込むように黙っている。

 お願いだから、なんとか言って。恥ずかしすぎて、もう消えてしまいたい。

 少し強い風が吹き、公園の木をざわりと揺らした。その風が去ったあと、ぽつりとつぶやく吉武の声が聞こえた。

「……俺もだよ」

「え……」

「俺も、はじめて」

 そう言った吉武は、真っ赤な顔をしている。どうやら夕陽が当たっているだけではないみたい。

「で、でも付き合ったことあるって……」

「キスしたとは言ってない」

「そ、そうか……そうだよね……」

 吉武から顔をそむけた私も、きっと同じくらい真っ赤な顔をしていると思う。

「お、怒ってる?」

 いきなりこんなことをして。変な女だと思われたかもしれない。

「いや……嬉しかった。すごく」

 恐る恐る顔を上げ、吉武のほうを向く。

 隣のブランコに座る吉武が、ちょっと照れくさそうに笑っている。

 ああ、そうか。私は吉武の、こんな笑顔が見たかったんだ。

 できればこれからもずっと。この人の一番近くで。


 影絵のようになっていく町に、ぽつりぽつりと灯りが灯り始める。

 立ち上がった吉武が、私に手を差し伸べた。そっとその手に触れて、握り合って立ち上がる。

 ふと見上げた真っ赤な空は、いつもより少しだけ近く、少しだけ綺麗だ。

 それを吉武にも伝えたくて目を合わせたら、素早く私の唇に、吉武がキスをした。

「さっきのお返し」

 言いかけた言葉が頭から吹っ飛ぶ。

「ほんとうに好きな子としたくて、大事にとっておいたんだから……ありがたく思えよ?」

 そう言った吉武が、私の手を引き歩き出す。私はそんな吉武の背中についていく。

 つないだ手があたたかかった。少しの不安がそのぬくもりでかき消されていく。

「私も……嬉しいよ。吉武」

 聞こえないのか、照れくさいのか、吉武は私に返事をしてくれない。だけどいいんだ。

 私の気持ちは、きっと伝わっている。


 茜色の空の下、触れ合った唇から、私たちはまたひとつお互いのことを知った。

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