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 私たちの通う高校は、のどかな山に囲まれた地方の都市にあった。

 町の中心に位置する駅には、さほど有名でもない山に登る登山客が多少降り立ったけれど、他に特別な観光スポットがあるわけでもない。

 若い人は高校卒業と同時に町を出て行き、人口は年々減少。駅前の大型店は次々と閉店し、幼い頃連れて行ってもらった映画館やボーリング場も姿を消した。

 けれど、町がどんなに活気をなくし寂れていこうと、私たちにはたいした問題ではなかった。

 部活と少しの勉強と、美味しいスイーツと恋の話。高校生である私たちの興味はそれだけだ。

 都会でもなくまったくの田舎でもない中途半端なこの町で、大人でもなく子どもでもない私たちは、代わり映えのない毎日を過ごしていた。


 ***


佳耶かやってさぁ、吉武のことどう思う?」

 文化祭も終わり、かといって勉強する気にもならず、ぼんやりと一日一日を消化していた私に、友人の春奈が言った。

「は? 吉武? なんで?」

 春奈は文化祭の夜に、彼氏と初めてキスしたそうだ。それからはやたらと「佳耶も彼氏作りなよ」とうるさい。

 どうやら私の知らない「キス」というものが、よっぽどよかったらしい。

「なんか吉武って、佳耶のこと好きみたいだよ」

 春奈がにこにこと微笑みながら言う。

 西日が放課後の教室を照らしていた。部活に向かう生徒、友達とつるんで帰る生徒。おしゃべりと笑い声が混じり合う中、私はその言葉を頭の中で繰り返した。

「ね、どうする? 告られたりしちゃったら」

「そんなのあるわけないでしょ。それに私、吉武のことなんかなんとも思ってないし」

「でも佳耶、吉武と仲いいじゃない」

 廊下から春奈を呼ぶ声がした。隣のクラスの春奈の彼氏だ。春奈は立ち上がると、女の子らしい巻き髪をふわりと揺らし「じゃあまたね」と小走りで教室を出て行った。


「なんで吉武よ」

 いつの間にか教室には誰もいなくなっていた。私はなんとなく窓の外を見る。

 半分開いた窓から金木犀の香りがした。カーテンを揺らす風はほんの少し冷たくて、私は席を立ち窓を閉める。

 広いだけが自慢のグラウンドでは、いくつかの運動部が走ったり柔軟体操をしていた。「青春してる」というのは、きっとああいう人たちのことを言うのだろう。

 もしくは春奈みたいに、一緒に帰る人がいる人。

 だけど私は想像できなかった。自分に彼氏ができたり、並んで歩いたり、手をつないだり……それからキスをしたりすることを。

 スマホの画面を開き、時間とメモ帳を確認する。じゃがいも、にんじん、豚肉……メモ帳には帰りがけに寄るスーパーで買うものが書かれている。

 私は小さく息を吐くと、リュックを背中に背負い、誰もいない教室を出ようとした。


「あっ、浅見?」

 ドアのところで、入ってきた誰かとぶつかりそうになった。慌てて顔を見て、ちょっと焦る。

「吉武?」

「悪い。忘れ物しちゃってさぁ」

 吉武はそう言って、いつものように私に笑いかける。

 だけど私は笑えなかった。春奈があんなことを言うからだ。

「へ、へぇ。何忘れたの?」

「うん……」

 吉武は曖昧にごまかしながら、ロッカーから紙袋を取り出すと、私に振り返って言った。

「浅見。今帰るとこだった? ひとり?」

「え、ああ、うん。春奈は先に帰っちゃったし」

「ああ、今廊下ですれ違った。彼氏と一緒だった」

 そう言って、紙袋を抱えた吉武が私の前に立つ。

「俺たちも、一緒に帰らない?」

 私はゆっくりと吉武の顔を見上げる。

 きっと吉武の言葉に、特別な意味はないだろう。「たまたま会ったし、帰る方向同じだし、お互いひとりだし、一緒に帰らない?」そんな感じの軽い意味。

 勝手な想像をして、胸をドキドキさせているのは、私だけだ。

「うん。いいよ」

 平静を装って私が言うと、吉武が嬉しそうに笑った。


 吉武慎也は転校生だ。

 高二になった今年の春に、聞いたことのない町から、私のクラスに転校してきた。

 その時隣に座っていたのが私で、学校のことや授業のことを教えてあげているうちに、なんとなく仲良くなった。

 吉武は一見おとなしそうだったけど、よくけらけらと笑うやつだった。どっちかというと自分から話すというより、人の話を聞いていることが多かったのに、吉武の周りには自然と人が集まってきた。

 やがて桜も散って、町が青葉に染まる頃、吉武には男子も女子もたくさん友達ができていた。

 今では毎日教室の後ろに集まって、騒がしい男子グループと、いつも楽しそうに笑っている。

 あんまり笑い声が響くから、私が時々「うるさい」と言うと、また吉武は笑う。

 そして私にとっても吉武は、男子の中で一番話しやすい男の子だった。


 靴を履き替え外へ出ると、私たちは夕陽の色に包まれた。

 出てきたばかりの校舎からは楽器の音が響いていて、グラウンドからは運動部の掛け声が聞こえてくる。

 だけど私は、放課後のこの時間があまり好きではなかった。特に日が暮れるのがどんどん早くなるこの季節は。

「初めてだね。一緒に帰るの」

 私のすぐ隣で吉武が言う。ちょっとよろけたら、触れ合ってしまいそうな近さで。

「そうだね。私たち同じ帰宅部だったのにね」

 転校生の吉武は部活に入っていなかった。いくつか誘われていたらしいけど、断ったみたいだ。

 吉武は授業が終わると、いつも私よりも早く、ひとりで教室を出て行く。私はそんな吉武の背中を、毎日見ていたから知っている。

 駅へ向かう道をふたりで歩いた。少し時間が気になって、スマホを取り出す。

「何か用事あるの?」

 吉武に言われてはっとした。「べつに」とごまかしてしまおうかとも思ったけれど、やっぱり正直に口にする。

「弟を迎えに行かなきゃいけないの。保育園まで」

 吉武だったら、聞いてくれるような気がしたから。

「へぇ……弟、小さいんだ」

「うん。五歳」

「かわいい?」

「かわいいけど、超生意気」

 私が言うと、吉武が笑った。私はなんとなくほっとする。

 部活もやらず、友達と寄り道もせず、学校帰りにまっすぐ弟を迎えに行く。そのあとスーパーで夕食の買い物をして、家に帰ったら弟をお風呂に入れて、ご飯を作って……そんな主婦みたいな子、この学校では私くらいだ。

 それを話したのは春奈だけで、春奈は「佳耶はえらいね」なんて言ってくれたけど、私はそうは思っていない。

 「青春」していない自分がなんだか後ろめたくて、他の誰にも話せなかった。


「俺にも妹がいるんだけど」

 赤く染まった空を見上げ、吉武がつぶやいた。

「え、そうなんだ」

 そういえば私は、吉武のことを何も知らない。住んでいる家も、家族構成も、どうしてこの町に来たのかも……だって吉武は私たちの話を聞いてくれるだけで、自分のことを何も話さないから。

「妹って、かわいい?」

「超生意気」

 そう答えてから、吉武は少し照れくさそうに笑って付け足した。

「だけど大事かな。やっぱり家族だから」

 今日初めて私は、吉武のことをもっと知りたいと思った。


 駅の近くの交差点で、私たちは立ち止まった。

 私は左へ渡って保育園へ、吉武はまっすぐ駅へ向かい、バスに乗って帰るのだという。

 別れる前に吉武が言った。

「あのさ……浅見」

 私は吉武の顔を見る。吉武はそんな私から目をそらしてつぶやく。

「今日は嬉しかった。浅見と帰れて」

 心臓がどきんとした。さっきの春奈の言葉を思い出す。

 ――なんか吉武って、佳耶のこと好きみたいだよ。

 私はこういうのに慣れてないから、嬉しかったなんて言われたら、もしかしたらそうなのかもなんて思ってしまう。うぬぼれかもしれないけれど。

「じゃあ!」

 吉武が逃げるように背中を向ける。

「あ、ちょっと……吉武!」

 横断歩道を渡りかけた吉武が、私に振り返る。

 どうしよう。伝えたい。私も吉武と帰れて嬉しかったって。

 だけどそんなこと……やっぱり私は言えなかった。

「また明日……学校でね」

 消えかけた夕陽の中、いつもとちょっと違う、どこか儚げな吉武の笑顔が見えた。

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