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最終話 早百合

 俺はこの期に及んでも往生際が悪かった。


 何度も死のうと思ったくせに、と言われればそれまでだが、だがその都度思い直して、泥を啜っても生き延びてきただけに、元来俺は諦めが死ぬほど悪いのだ。


 なんとか生き延びる道を全力で探す。


 敵を知るものは戦いに勝つ。


 先程早百合師匠がいろいろ面白い話をしてくれたが、今思うとあれは、なんらかのヒントだったのかもしれない。


 あの師匠の教えに無駄なことは何一つ無かったから。


 俺は記憶を引っ掻き回す。


 何か、何かあったはずだ。何か……。


 頭を掻き毟ろうとして、右手が邪魔なものを掴んでいたことに、今更のように気付く。


 この白い紙が、そういえば最初から怪しかった。


 これになにか罠があるのか? 


 何か答案を書けば晴れて無罪放免となるのか? 


 しかし、一体何を書くんだ、この冥界の試験で……?


「!」


 その時俺は、早百合が特に力をこめて語った、神々の登用試験の話を思い出した。


 冥界の試験で合格してしまった者は神に選ばれ、死を賜る。


 永久に地上の試験に合格できなかった、哀れな男の恨み節にも思われたが、この場合、非常に有難いアドバイスとなった。


 ましてや試験官は、同じあのお方だ。


「関帝が巡回しておる……」という、後藤先輩の声が、脳裏にリフレインする。


 背後の騒音が一際強くなり、馬の荒い鼻息までが聞こえてくる。


 もう迷っている時間はない。


「これが俺の解答だ!」


 俺は、間違えた者は死なねばならぬトゥーランドット姫の問いに答えるカラフ王子の如く、堂々と声を張り上げると、手にした白紙をびりびりと引き裂いた。


 雪のように細かい紙吹雪が、暗黒の大空洞の奈落へと舞い落ちていく。


 俺の眼と鼻の先まで迫っていた地獄の馬が急に後ろ足で立ち、馬上の武将が青龍刀を俺目掛けて打ち下ろす。


 ああ、地獄の沙汰も、現世と同じく甘くないのか……。


 アジの開きのようになるかと覚悟したその時、刃先は俺ではなく、俺のすぐ横の鉄扉に金属音を上げて突き刺さると、なんとボール紙でも切り裂くように、易々と真っ二つにした。


「見事な解答であった。行くがよい」


 馬上の影は、暗闇に包まれ判別不能であったが、俺に人が変わったように優しい言葉を掛けてくれた。


 さすが公正無私な性格で有名な神様だ。


 試験の意を汲んだ者には、恩恵を授けてくれるらしい。


「ありがとう、忠義神武霊佑仁勇威顕関聖大帝様」


 俺は、かつて後藤先輩から教わった、呪文のような名前を唱えつつ、軽く手を振ると、光り輝くドアの向こうに身を乗り出した……。



「ここは……」


「あ、気がついた……直太パパ!」


 うっすらと意識が戻る。懐かしい声が聞こえる。


 何故俺は全身がこんなに痛いのだろう。指一本動かせない。


「良かった……本当に良かった……あたしが分かる?」


「ああ、もちろん……聡子だろ?」


「あら、やっぱりまだ意識混濁しているのかしら。あたしはママじゃなくて早百合よ! 忘れちゃったの?」


「ああ、そうだった、早百合か……」


 俺と聡子の愛娘、早百合が、うるうるした涙目で、俺を覗き込んでいる。


 その背後は白一色の天井で、電気が煌々と付いており、周り中から機械の電子音らしきピピピという音が木霊している。


「俺は、どうして、こんなところに……?」


「何も覚えていないの? パパったら、当直明けに、次のバイト先に行くため高速をかっ飛ばしていたら、対向車のトラックと正面衝突しちゃったの。


 よく生きてたね~って、手術した先生が言ってたわ。


 内藤とかいってたけど、とても頑張ってやってもらったんだから、感謝しなさいよ! 今、ママを呼んでくるからね!」


「ああ、そういうことか……」


 俺は、薄い膜の掛かったような意識の中で、何故、自分があんな夢を見たのか、分かったような気がした。


 いや、あれは本当に夢だったのだろうか。


 真相は誰にも分からないだろう。


 朦朧とした頭を振ろうとしても、ほとんど動かせず、顔にのっけられた酸素マスクがうっとうしいのに、どうしようも出来ない。


 諦めて、俺は再び眠りにつくことにした。


 今度は、もう少し楽しげな夢を見るように心がけよう。ってどうせ試験の夢しか見ないけど。


 何しろ、毎晩眠る前に「俺は医者だー、医者だー」とお経のように唱えても、見る夢は学生時代を彷徨う哀れな男の試験地獄なのだから。


「ま、それでもいいさ……」


 俺が遥かなるドリームランドに戻ろうとしたとき、早百合が、「あら、こんなところに変なものが落ちてるけど、何かしら?」と、俺の手元の側から何かを摘み上げ、俺の目の前に差し出した。


「ああ、それは……」


 それは、関羽の人形の形をした、血の様に真っ赤なUSBメモリだった。


長い間お付き合い頂きどうもありがとうございました!

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