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第七十四話 切り札

「……これが俺の知っていること全てです」


 長い長い話を、俺は語り終えた。


 教授は目を閉じたままだったが、眠っていないのは明らかだった。


 なぜなら瞼の下から、一条流れ落ちる雫があったから。


「……お茶も出さずに悪かったな。何か飲むか?」


「い、いえ、めっそうもございません」


「いや、遠慮するな。コーヒーでよければあるぞ」


 なんと、教授自ら部屋の隅の冷蔵庫まで行き、よく冷えたジョージアを二本持ってきた。


 俺的には、とてもホットが恋しい気分だったが、それ以上断りきれず、有難く頂戴した。


「そうか、それで合点がいった。


 蛇池と明星は、娘の死体を囮にし、研究室にネズミの大群を集めた後火を放ち、全てに決着を着けたのだな。


 あの女らしい豪快なやり方だ。


 最後の最後はお前たちを助け、人の心を取り戻したということか」


「……」


 俺は黙って頷き、同意であることを表明した。


 階段まで明星が俺と聡子を運んでくれたのは、あそこなら下から空気が来るから煙にも撒かれず、すぐ発見されるからだろう。


「よく話してくれた。有難う。礼を言うぞ」


 そして教授は、雪よりも白いその頭を、深々と俺に対して下げ、俺は危うくコーヒーをスプラッシュするところだった。


「や、止めてください、教授! 


 そんなつもりで話したんじゃありません! 


 ただ、残された肉親であるあなたに、彼女たちの最後の姿を知ってほしかったからです! 


 決して見返りが欲しくて話したわけじゃありません!」


「ほう、意外と無欲だな。では、単位もいらないということか? ま、頼まれてもやらんがな」


 教授が頭を下げたまま、まるでいたずらっ子のような口振りで挑発してくる。


 むむ、ここはぐっと耐えるべきところだ。


 俺も高度な政治的駆け引きが、なんとなく分かってきた。


 それに、俺には最後のカードがある。


「まぁ、それは置いといて、ひとつこの雑誌を見てください。面白いものが載っていますよ~」


 俺は最初の明るい口調に戻ると、再びカバンを開け、山陰地方の医学雑誌を取り出した。


 自分で言うのもなんだが、まるでドラえもんのポケットみたいに便利なカバンだ。


「ふむ、それはこの前出たばかりの号だな」


 教授が目を眇めて表紙を眺める。


 これを教授が知らないわけは無い。


 何しろウイルス学の院生の全員は、論文が完成すると、ここに投稿せねばならないのだから。


 この雑誌に掲載され、ようやく院の卒業が許されるのだ。


 つまりは、教授のお墨付きが貰えるということ。


 俺はページをパラパラと捲り、お目当ての場所にたどり着いた。


 いよいよ最終ラウンドのゴングが鳴った。


「ここにある、『新種の○○ウイルスの塩基配列の同定及び、様々な実験動物における血清疫学的ならびにウイルス学的研究』という名前の論文なんですがね、ちょっと図1のところを見てもらえませんか?」


「どれどれ」と教授は老眼鏡をポケットから取り出し、チェックを始めた。


 論文には、図やら表やらが一緒に印刷されていることが殆どで、それぞれ図1だの表2だの、番号が付けられ、ページごとに散りばめられている。


「ほら、この写真なんですけれども、ちょ~っと変じゃありませんか? まるで少しだけ、人為的にいじったような……」


「ん?」


 教授の眉間に鬼の皺が寄る。


 電気泳動だかなんだかの重要な写真だが、一見気付かないほどの微妙な修正が、何時の間にか施されていることに気付き、さすがに鉄仮面の顔色が変わった。


 何しろこの論文の執筆者は、もちろん後藤のオナ猿野郎だが、協力者の最後には、夜見教授自身の名前が刻み付けられているのだから、彼が元の写真を知らないわけが無かった。


 その元の写真は、後藤先輩の、あの関羽USBにもBMPファイルとして入っていた。


 殆どチェックも終わり、後は提出寸前だったのが幸いした。


 つまり最早教授も、わざわざ最終段階の原稿の写真なぞ録に見てもいなかったのだ(ついでに老眼だし)。


 俺は、胸の鼓動の高なりを隠し、平静を装いつつ、教授の表情を観察した。

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