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第七十一話 魔王

 年が明けて一月。


 山陰の地は薪炭手当、いわゆる寒冷地手当てが出る最南端との事だが、それにしても寒い。


 故郷の北陸地方は、除雪設備などが整っているが、ここは融雪装置のある道路もろくになく、雪に結構弱いのだ。


 というわけで雪道に文句を言いながら、俺は死都ブリュージュのようにうら寂しい街並みをとぼとぼと歩いて大学まで来た。


 我が愛機「エロス丸3号機」は、あの一件でついにお亡くなりになられ、俺は当分買いなおす気になれなかったのだ。


 それにしても、冬休みの大学構内は、人が居ない上に、寒くてどうにも居心地が悪い。


 俺は目指す1階の奥を目指し、長い廊下を突き進んでいった。


 防火扉に似た重い扉を押し開けると、他の区画とは完全に隔離されたその空間が現れる。


「ウイルス学教室教授室」と、入ったすぐ右隣のドア脇に、プレートが掛かっていた。


「いよいよ魔王様との直接対決ってわけか……」


 俺は黒いカバンの肩紐の位置を直すと、身を引き締める。


 あまたのシナリオを作成してきたこの俺も、このストーリーばかりはどう転がるか、検討もつかない。


 何しろこっちはアポ無しなのだ。


 後藤先輩を通じて、奴がいることは確認済みだが。


 俺は深呼吸すると、コンコンと優しくノックした。


 何の返事も無いが、ここまではシミュレーション通りだ。


 夜見は、ノック程度では応えないとの評判だから。


「学生の錦織です。先生、ちょっとよろしいですか~?」


 俺は目いっぱいの営業用ボイスを駆使して、ドア越しに語りかけた。


「……何用だ?」


 チューバの如く低いぞっとするような声が、ようやく返ってきた。


 どうやら会話する意思はあるらしい。


 俺は、地獄のサタンも笑い出すほどの明るい声で、更に続けた。


「明日の試験の結果発表について、ちょっと教授とお話したいことがあるんです~」


 しばらく沈黙が続き、俺の心臓はバコンバコンと教会の鐘の音のように鳴り響き、鐘楼たる胸郭が今にも崩れ落ちるかと思われた。


「……入れ」


 てっきり断られるかと思いきや、歓迎されて、俺は密かに安堵の溜息を吐くと共に、「それじゃ、失礼しま~す」と、魔王城の門を潜った。


 いざ、ラストバトルだ。


 教授室の中は、寄生虫学のそれと大差なく、ソファーセットの奥にスチールラックがいくつか並び、その向こうに教授の白髪頭が雲から突き出た富士山のようにのぞいていた。


「座れ」と言われたので、俺は遠慮なくソファーに腰を下ろした。


 拳をぎゅっと握り、緊張を抑える。


 やがて死神も恐れて逃げ出すと噂される白衣の男が、俺の前に腰掛けたので、とりあえず、深く深く頭を下げた。


「あの時はぶしつけな真似をして本当に済みませんでした~」


 俺は、田原の葬式会場で彼の首を絞めて以来、出欠以外では一言も会話を交わしていなかったのだ。


 だから、もちろん謝罪もしていない。


 このときが、初めての公式会見、というわけだ。


「……」


 薄目を開けてチラ見すると、教授は風雪に曝された孤高の氷壁のような表情で、俺を睥睨していた。


 そのままただ、時が流れる。


 改装工事の音も今日はせず、正月明けの大学は静けさに満ちていた。


「……まあ、謝罪の意を示したことだけは、評価してやろう」


 スフィンクスの口元がようやく開いた。


 いや、老人だからマンティコアと言うべきか?


「それで、本当はどういった用件で来たんだ? 


 試験の結果がどうのこうのと言っていたが、知りたければ教えてやる。


 貴様は落第だ。三月の追試を頑張ることだな」


 落第と言う有難いお言葉に、一瞬胸が切り裂かれるような痛みを覚えたが、これも予想済みだ。


 俺は、前もって用意していた次の台詞を脳内で復唱し、現実に再現した。


「俺の点数は何点でしたか?」


「……」


 教授がまたも無言になるが、今回は先程と違い、微妙だが、ややためらいが感じられた。


 さっきの無言は単なる嫌がらせっぽかったが。


 大学の試験では、高校までと違って、答案の返却は一切無い。


 よって、自分が何点を取ったのか、何処を間違えたのかは、教授に直談判でもしない限り、知る由も無い。


 ちなみに合格点は一律60点だ。


 俺は、今回の試験の問題文及び自分の解答を、持参したノートに書き込み、試験後徹底的に検証した。


 その結果、どこから見てもK点越えは確実で、これで落ちるようなら、受験者の9割は留年だろうと判断した。


 これは自惚れでもなんでもなく、単なる事実である。


 彼の研究内容や業績、性格、果ては趣味嗜好から問題の傾向を読み取り、更には綺麗な字の書き方まで習得し、右上がりに書くよう心がけまでした俺が言うのだから間違いない。


 大学受験でもここまでの対策はしなかったほどだ。


「ひとつ言っておくと、貴様の合格ラインは他の連中とは違う。


 理由は分かるな? あんな愚かな行為をしでかした罰だ。


 貴様は満点を取らない限り、合格出来ん。


 今回の答案は昨年度と比べて極めて良く、ゴーストライターでもいたのかと思ったほどだ。


 しかし、100点ではなかった。ただ、それだけのことだ」


 教授は死刑宣告を伝える裁判官のように重々しく述べると、後はもう帰れとでもいうように、口を閉ざし、硬く目まで閉ざした。


 エジプトのファラオのミイラでも、もう少し愛想良いだろうという凍てついた表情で。


 俺は歯を食いしばりながら耐えた。


 まだまだ想定の範囲内だ。


 現在第一ラウンドで、軽いジャブの応酬があった程度に過ぎない。


 第二ラウンドはこれからだ。


 俺はバニーのラウンドガールを脳内妄想しながら、丹田に気を溜めた。ファイト!

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