第七十話 そして再び
「はぁ、ついにこの日が来ちゃいましたか……」
「こうなったらもうやるしかにゃいね~、というわけで、新リーダー、アシストよろしくにゃ~」
「お前、前回は試験中に寝てただろ! そんなんじゃ、助けたくても助けられんわ!」
世間一般ではいわゆるクリスマスイブと呼ばれる日の寒い朝、俺たちボトムズは、身を切るように寒い試験会場に仲良く座って、恐怖のクリスマスプレゼント・ウイルス学試験の始まる瞬間を待ち構えていた。
後ろの席には聡子が、そんな俺たちの漫才振りを見て、クスクス笑っている。
あの大事件の後、かなり憔悴していたが、だいぶ元気になって、彼氏としてはほっとしている。
寄生虫も、どうやら全て駆除されたようで、後遺症も無いとの医師のお墨付きをもらったばかりだ。
胸の方は、まだ大きいが、今後小さくなるのかもしれない。
それでも俺的には、彼女への愛は永久に聳える出雲大社の如く変わりなく、びくともしないつもりだ。
だって、どうせ妊娠すれば、おっぱいなんて大きくなるじゃないか!
なんてことを言ったら殺されるでしょうけどね……。
「それにしても、試験中ぐらい改装工事を中止してくれてもいいのにねー」
そのおっぱ……じゃなかった、聡子が、外を見ながら俺に話しかける。
確かに、窓から見える大学校舎の外壁には足場が組まれ、バケツをぶっ叩くようなガンガンという騒音が絶え間なく聞こえる。
あの場所は、元・寄生虫学教室のあった辺りだ。
「まだぼやで済んでよかったねってことになったけど、あそこは今後どうなるのかしら……」
「さあな、三人も死者が出た場所だし、大量の大ネズミの死骸も見つかってしまったから、どうなることやら……」
俺と聡子は、いつしか声を潜めて会話していた。
あの後、気がついた俺は、ストレッチャーに乗って救急車の中に横たわっていた。
頭痛と吐気はしたが、他に外傷はなく、病院で検査を受けたが健康そのものだった。
病院で再会した聡子の方は、おびただしい寄生虫に感染していることが分かり、そのまま入院となってしまったが。
そして俺は救急隊員に、大学で何があったのかを知らされた。
火事だと匿名で通報を受けた消防車が駆けつけると、深夜の大学の二階から、猛烈な炎と煙が吹き上がっていたそうだ。
火元は寄生虫学教室の研究室で、消防隊員が階段を上って駆けつける途中に、俺たち二人を発見した。
室内付近には誰も近寄ることすら出来ず、なんとか消し止めるも、内部の人命を救助することは出来ず、消火後、成人二人、小児一人の遺体と、無数の動物の死体が発見された時点で、俄然騒がしくなってきたとのこと。
ちなみに死体の身元はすぐ割れた。
俺たち二人は別々に警察で取調べを受けたが、さすがに本当のことを話す気にはなれず、俺は、
「夜中に勉強しようと研究室に向かったら、火が出ていたので逃げようとしたが、その後の記憶は無い」
とかなんとか適当に言い逃れをし、無罪放免となった。
聡子とは口裏を合わせることも出来なかったが、幸い似たような嘘をついていたようで、こちらも疑われることは無かった。
世間は、すわ一家(?)心中か、痴情のもつれかなど、好き勝手に詮索したが、肝心の、ネズミによる連続殺人がばれることは一切無く、動物の死体があったのも、動物実験施設の近くだったしまあ火事で逃げ出したのがいてもいいんじゃないというようないいかげんな結論となり、そのうち別のニュースによって忘れ去られた。
メディアとはこうやって適当に駄文を垂れ流すのだ。
全てが終わった後、俺はしばらく何もする気になれなかった。
救えなかった3人の事を考えると、はらわたが散り散りに引き裂かれそうな気分になった。
だが、それでも否応無く時間は過ぎて行き、河の流れは俺という小船を試験と言う名の滝壺へと容赦なく運んでいく。
あの鬼教授が、事件があったからといって、手心を加えてくれるとは欠片も思えない。
むしろ保護者を失った俺を喜んで潰しに掛かってくるに相違ない。なお、三教室合併の話はなし崩し的に無かったことになっていた。
俺は今こそ真理に目覚めた。
勉強を続け、あの悪魔に打ち勝つことこそが、三人への最大の供養だと。
そうと決めると迷いは無かった。
幸い今年は聡子様という素晴らしいパートナーがいる。
彼女の優秀なノートを借りた俺は、せっせと書き写し、自分の足りないところを補強した。
過去問を解き続けたり、夜見の論文を読んだり、ニュースをチェックしたり、文章の書き方を研鑽することも同時に続けた。
更に、俺は教科書の「医科ウイルス学」の模写まで試みた。
まるで江戸時代の蘭学者のように、一冊丸ごと書き写すという暴挙に出たのだ。
これなら間違いなく手書きのノート扱いになるし、誰にも文句を言われる筋合いは無い。
これこそ自分で思いついた最大の試験対策だった。
もう教えを請う師匠はいなかったが、彼女の、「自分でレールを敷け」という教訓は、胸の奥底に刻み付けられ、片時も忘れることは無かった。
腱鞘炎で手が動かなくなるほど励んだ俺は、索引も含め、試験直前にはとうとう偉業を達成させた。
周りからは完全に馬鹿にされたが、まったく気にもしなかった。
そもそも馬鹿にされるのは慣れている。
「それにしても凄い分量のノートですね。一体何冊持ち込んだんですか?」
松本が試験前の掻き込み勉強をしながらも、無駄口を叩く。
「別に持ち込み量に制限はないだろ?
用は何処に何が書いてあるのかを覚えていることが大事なんだよ。
それがこのテストの肝だ」
「おっ、語るようになったねぇ~。ふぁ~」
内藤があくびをしながら寝ぼけ眼を擦る。
試験前は良く寝ないと駄目だぞ。
「私語は止めてください。では、今から試験用紙並びに問題用紙を配ります」
試験官が大声を張り上げ、ざわつく会場は、一瞬で水を打ったように静まり返る。
俺は一応頬っぺたをつねる。
これは毎晩見る夢ではない。
ローマの剣闘士もかくやという、正真正銘の、命を懸けた闘いだ。
負けることは許されない。
ここで落ちれば、必ずや聡子と引き裂かれるだろう。
そんな未来は死んでも見たくない。
またCoccoと森田童子をエンドレスでヘビーローテーションする暗黒の日々はまっぴらごめんだ。
未来は自分自身の力で掴み取らねばならない。
どんなに曲がりくねったレールでも、それが自分の力で敷いたものであれば、必ずや納得のいく結果が出るはずだ。
積み上げてきた苦難の日々は、決して無駄ではない。
うーん、つまりまあ、在り来たりだが、ここまで来た自分を信じて闘え!
「皆さん、配り終わりましたね。では、開始してください!」