第六十七話 反撃
「ちょうどこれらの作用を解明しつつあったとき、実験を手伝っていた明星が、こう持ちかけてきた。
『お嬢様の治療には、恐らく大量の、この寄生虫が必要となるでしょう。
なぜなら寄生虫が増えすぎて、身体に悪影響を及ぼす前に、定期的に駆虫薬を飲んでいただかねばなりませんから。
この寄生虫を改良及び大量生産するためには、度重なる人体実験が必須ですが、教授お一人の身体ではそれは不可能と言うものです。
どうです、例の女性ホルモン様物質作用を利用して、この寄生虫入りの錠剤を美容薬と偽り、販売してみませんか?
そしてよく訓練した実験マウスに、薬を内服した女性を襲わせて感染させ、体内で成虫と化し、糞便から虫卵を手に入れる。
こうすれば寄生サイクルが完結します』とな。
まさに悪魔の誘惑で、ちょうど私も似たようなことを考えていたところだった。
最初は『馬鹿なこと言うな』と一喝したんだが、まったく治療の進まないさーちゃんを見ているうちに、刻一刻と、成長期限が限られていくのを痛感し、焦燥感にかられた。
骨が成長するのは、せいぜい10代後半までで、それ以降は大きな変動は難しい。
彼女の将来を考えると気が狂いそうになることが多かった。
そこで、私はついに、恐るべき決断を下したってわけだ」
ようやく俺は全ての点が繋がり、絵巻物が完成するのを感じた。
そこに現れたものは、一人の子煩悩な母親の引き起こした、悲しい地獄絵図だった。
「そ……そんなことのために、大勢の人を殺したのか?」
俺はやっとの思いで臓腑の奥から声を絞り出した。
「仕方ないだろう、これも娘の為だ。
別に命まで取るつもりはなかったが、マウスたちにそこまで難しい注文は出来なくてな。
せいぜい寄生虫の臭いを嗅ぎ当てたら、人気の無い所で宿主を殺して喰らい、こっそり明星の家に戻ってこさせるぐらいが関の山だった。
これだけでもずいぶん大変なことなんだぞ。
明星の協力が無ければ本当に無理だった」
だから毎日あんなにへろへろになっていたのか、と俺は納得した。
早百合のお守に巨大ネズミの調教、回収、実験と、いくらでも仕事はある。
この男もかわいそうな奴だったのかもしれない。
交通事故が、彼らの運命を全て狂わせたのだ。
「しかしそこの雪嵐まで薬を飲んだのは誤算だった。
さーちゃんから巨乳化薬のことを聞かれたので分かったんだがな。
こうなれば致し方ない。
せっかくさーちゃんの友達になってくれたし、私の可愛い錦織の彼女でもあるが、薬の出所を探るかもしれないし、中野と同じ運命を辿ってもらうしかなかったのだが、お前らに邪魔された、というわけだ。
よーく分かったな?」
蛇池教授の長く衝撃的な告白がやっと終わった。
彼女の足元にはうず高く吸い殻の山が築かれている。
「そんな……お母さん……私なんかのために……なんでそんな残酷な……」
何時の間にか早百合は泣いていた。
肩を落とし、全身を震わせ、バットは既に手元から零れ落ち、床に転がっている。
「罵っても蔑まれても憎まれても別にかまわんよ。
私はお前を治すために、ベストを尽くしただけだから。
そのために、臨床医の道を蹴って、入りたくも無い寄生虫学教室に入局したし、危険な諸外国にも一人で出かけたし、自分の身体も実験材料に供したし、挙句の果てには、自分の娘のためには他人の娘を殺しまくる鬼子母神の如き悪鬼羅刹の振る舞いをした。
だが、今考え直しても、他に方法は無かったと思う。
だからまったく後悔はしていない……いや、たった一つ後悔することと言えば、お前に知られてしまったということだがな」
最後だけは少しトーンを落とし、教授は寂しげに呟いた。
皆、凍ったようにその場で立ち尽くし、室内を静寂が支配した。
いや、早百合の嗚咽が断続的にはしているが……他に、なんかカリカリという音がしないか?
「明星よ、いつまで腑抜けている。さっさとやれ!」
「はい、教授!」
教授の号令一下、今まで木人形の如く突っ立っていたもやしに生気が宿り、別人のようなすばやさで、油断していた俺の手から、銀のたまごっちならぬ卵型ペンダントを奪い取ると、教授の横に駆けつけた。
「な、なにをする!」
「形勢逆転ってとこかな。全員動くなよ」
教授が、憎たらしげに口元を歪め、芝居がかった仕草で右手を上げた。