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第四十五話 出陣

「やーっと着いたぜ!」


「眠いにゃ……今、何時? 


 っていうか、何県?」


「だから東京だよ!」


「ちょっとカプセルホテルにでも行って仮眠しましょうよ……」


「何言ってんだ、もうすぐ始まるぜ、早く会場に入るぞ!」


 ゆりかもめに揺られ、「国際展示場正門」駅で下車した俺、内藤、松本の三人は、眠い目をこすりながらも、目の前に聳え立つ、巨大な逆三角形が二つ連なったような奇妙な建造物、国際展示場-いわゆる東京ビッグサイトを仰ぎ見た。


 その異様さは、まるで未来人の造った出来損ないのピラミッドにも思われた。


 夏の朝日が、海のバイトで傷ついた目に容赦なく光の剣を突き刺し、角膜が悲鳴を上げる。


 俺は、コピー本の詰まった重いリュックを担ぎ上げ、決戦の場目指して歩き出した。


 長い旅路だった。


 金のない俺たちは、迷うことなく青春十八切符で、山陰から一路東京を目指したのだが、想像を絶する時間がかかり、正直死ぬかと思った。


 何しろ寝てもさめても電車の中で、今どこにいるのか、どこで乗り換えるのかも段々怪しくなってくる。


 最初はくだらないことを普段通り言い合っていた俺たちも、岡山を過ぎ、東海道に入って十時間以上経過し、その日はそれ以上進めず、名も知らぬ駅の待合室で一晩を過ごし、始発に飛び乗ってようやく東京についた時は、感動のあまり涙が出そうになった。


 ここ数日、最後の仕上げに徹夜を繰り返したせいもあり、身も心もボロボロだったが、とにかく時間には間に合った。


「しかし、噂どおりの人混みですね……」


「人で駐車場が埋まっているところを始めて見たわ……」


 松本と内藤が、感嘆の声を上げる。


 かく言う俺も、砂糖に群がる蟻の如く大地を埋め尽くす人間の群れに、唖然とした。


 これが数十万人ともいわれる一般入場者の列なのか。


 まさに想像を絶する光景だった。


 世界中の人間を一箇所に集めたら琵琶湖に収まる、と昔どこぞのTV番組で聞いた記憶があるが、その一端を垣間見た気がした。


「あ、参加者の列はこっちのようですよ」


 目ざとく松本が、明らかに短い行列を見つけ、指差す。


 俺は、このときばかりはチケットを入手してくれた田原の霊に感謝した。


 今度茄子でも供えよう。


 だが、会場に入るのには、じりじりと強さを増す太陽の下、更に待たねばならなかった。



「えーらっしゃいらっしゃい、そこの道行くおねーさん、1冊どーお? 


 大まけして、今なら300円のところを50円にしちゃうよー!」


「おい、八百屋じゃねーんだぞ、内藤! 


 しかもまけ過ぎだ! 


 せめて100円にして!」


「しかし凄い人ですねぇ、軽く対人恐怖症になっちゃいそうですよ」


「おい、松本、貴重なペットボトルを浪費するな! 


 自販機まで遠いんだぞ!」


 俺たち3人は、会場のど真ん中辺りのテーブルが並んでいるブース、いわゆる「島」に陣取り、会場の雰囲気に圧倒されたり、前を通る客にポン引きまがいの売り文句で声をかけたり、馬鹿話に興じていたりしていた。


 しかし、外の人の群れも凄まじかったが、会場内も負けず劣らずの様相で、噂で聞き、思い描いていた光景をはるかに超えていた。


 さすが日本最大、いや、世界最大の同人誌即売会にして、オタクの祭典、コミックマーケットだ。


 お盆前後の三日間という、里帰りの時期にもかかわらず、この日のためだけに全てを投げ打って集まってくる、何十万という人々。そのあふれんばかりの情熱と激しさと濃さを目の当たりにし、ルサンチマンの見本のような俺たちも、気分の高揚を隠しきれなかった。


 リュックを背負い、大量の紙袋を両手に提げた人々の群れに、ごつい鎧を纏い、トゲトゲの生えた打撃用の棍棒、すなわちモーニングスターを握った大男が普通に紛れ込んでいる。


 テレビなどでよく見かける、オタク文化評論家が、ファンらしき人たちに囲まれている。


 猫耳、兎耳はもちろんのこと、なんだか分からない生物の耳飾りを装着した、ゴスロリファッションの女性たちが、お菓子の入ったバスケットを下げて、きゃぴきゃぴお喋りをしている。


 これら異形の風景を、天井のライトがはるか高みから照らしており、その光は太陽よりも穏やかなのに、会場の熱気はむしろ外以上だった。


 朝買った弁当が蒸し暑さで昼前には腐ったり、人体から立ち上る水蒸気がエアコンで冷やされ、場内で雲が発生するという、松本から聞いた怪しげな都市伝説も、今なら普通に受け入れられそうだ。


 このファンタジー魔界では、何が起こっても不思議じゃない。


 ちなみに俺たち「チームボトムズ」の同人誌、「戦慄の前立腺」(徹夜明けに会議をするも名前が決まらず、編集長の俺の独断と偏見で決定した)は、意外にも順調な売れ行きで、安っぽい作りのコピー本にも関わらず、既に数十部も売れていた。


 初参加で無名の弱小サークルにしては、これは驚くべきことだ。


「ターヘル・アナトミア」を美少女イラスト風にアレンジした、松本画伯の描いた奇怪極まる表紙が受けたのか、きちんと身だしなみを整えれば男前の、内藤の売込みが良かったのか、それとも俺の寄稿した論文、「サブカルチャーにおける医学的考察及び触手と母乳の関係性について」が素晴らしかったのか、徐々に、徐々に、用意した百部の同人誌は、その嵩を減らしていき、それに比例して小銭入れは重くなっていった。


「じゃぁ、そろそろ出かけてくるから、お二人さんは留守番よろしくね!」


 俺はいそいそと身支度を整える。一時間おきで順番に一人ずつ休憩にしようと、事前に約束していたのだ。


「あまり無駄遣いするにゃよ~。


 どうせ後でアキバで買えるから無理すんな~」


「どうせ買うならこの前貸したエロゲーのシナリオライターの同人誌買ってきて下さいよ。


 あそこ並ぶの大変なんですよ」


「自分で並べ!」


「ちゃんと一時間で帰ってこいよ~」


 内藤と松本に好き勝手言われながら、俺は「チームボトムズ」のブースを後にした。

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