第四十二話 真夜中の勉強会 その2
「それにしても、医学部生の俺よりも分かっているなんて凄いよ。
もっとも、優秀なんて言われたのは、はるか昔だけどさ。
これでも昔は町一番の神童で、医学部に入ったときは、近所総出のお祭り騒ぎだったんだぜ」
俺は彼女を褒め称えながらも、走馬灯のように、過ぎ去りし栄光の日々を思い浮かべた。
そうなのだ、国立医学部に入れる人間は、決して馬鹿ではない。
それなのに、入って数年も経たぬ間に、あれよあれよと落第し、世を儚む学生があまりにも多い。
大学というシステムに欠陥があるのか、俺たち自身に何か根本的な問題があるのか、それとも蛇池教授の言った様に、学食の飯が悪いのか……?
「医学部生が賢いと思ったら大違いよ。
そもそも高校時代までは、参考書が山のように本屋に並び、街には学習塾が軒を連ね、学校側は親身になって教えてくれ、立派な勉強のレールが引かれている。
あなたたちは、お行儀よくそのレールに乗っかっているだけでよく、ちょっと人より物分りと要領が良いだけなのに、勉強が出来ると思い込んでいただけなの。
井の中のなんとやらってやつね。
それが、大学に入った途端、突然レールどころか獣道程度しかない荒野に放り出され、過去問とノートという手がかりだけで、あなたたちは勉強を進めていかねばならなくなった。
誰も家庭教師のように懇切丁寧に教えてくれず、1年に1、2回の試験だけで、全てが決まる。
それで大量に脱落者が出てくるわけよ」
早百合は、研ぎ澄まされた言葉の剣でもって、容赦なく俺の急所を刺し続けた。
「……」
俺は、何も言い返すことが出来ず、黙りこくった。
だが、彼女の主張は、共感するところが極めて多かった。
頭の中で、今叩き付けられた文言を牛のように反芻する。
「確かに、その通りかもしれん……」
俺は、如何に今まで自分が恵まれた環境にいたのか理解した。
例えれば、高校までの勉強なぞ、最初から最高級の武器や防具を用意されて、スライムを退治しに行くようなピクニック気分の冒険だったのが、現在は、素っ裸同然で杖一本程度を持った状態で、恐怖の大魔王を倒してきなさいというようなデスシナリオだった。
魔王は容赦なく毎年三十人の冒険者を喰らい、俺たちはなすすべもなく、また最初から冒険をリスタートする。
皆、今までの接待プレイのような勉強からの切り替えが出来ていないのだ。
だからといって、どうすればいいのか皆目分からない。
自分でレールを敷くことが出来ない。この数年間の自分を振り返り、俺は未だに何もわからない赤子同然なのだと、つくづく思い知らされた。
「今日のところはこれくらいにしておきましょう。
あなたのバイト休みの日までに、今行ったことを少しでもやっておきなさい。
それを宿題としましょう」
「へいへい……」
すっかり打ちのめされていた俺だが、帰り際に、そういえば、彼女ならあの疑問になんらかの答えをくれるのではないかと思いついた。
「あのさ、ちょっとお聞きしたいんだけど……」
「何よ、私もう帰って寝たいんですけど。
外で明星も待っているし」
どうやら彼は、この暑い夜に、車の中で待機中らしい。
お気の毒に。
「いや、すぐ終わるよ。
実は、この前海水浴場であった雪嵐聡子のことなんだけど……」
一旦喋り出すともう止まらなかった。
ここ半年、内に秘めた思いを、俺は何時の間にか吐き出していた。
彼女との出会いと別れ、耐え忍んだ日々、図書室や海水浴場での出会い、そして、何故か急激に大きくなった彼女の胸及び、お尻や太もも……。
「全然すぐ終わらないじゃないの!」
何時の間にか語り続けていた俺に対し、怒った早百合がストップをかける。
「ご、ごめんなさい……」
「で、彼女と仲直りする方法を教えてほしいってわけ?
そんなの今すぐ謝んなさいよ。
土下座でも何でもいいから、誠意を見せなさい。
伝えないと伝わんないわよ」
「そ、そうじゃなくてですね、
つまり、何故彼女の身体がいきなり女性らしくなったのか、博識な先生のご意見をお聞きしたかった次第でして」
「男に揉まれたんじゃないの?」
「やっぱそうかあああああああああ!」
「ハハッ、ま、別の可能性もあるけどね。
手術をしたか、女性ホルモン剤でも投与したんじゃないの?」
絶望に打ちひしがれる俺を見て、薄ら笑いを浮かべながら楽しそうにおちょくる早百合嬢。
悪魔だ。
「例えば女性ホルモンのエストロゲンは、乳房や女性器の発達を促し、女性らしい体つきに成長させるのに重要な役割を果たすわ。
でも、おっぱいが小さいからってそう簡単に投与なんかしてくれないけどね」
「なるほど、そうでしたか……」
おっぱい星人としては、非常にありがたい教えであった。
いつも母乳の方ばかり気にしていたが、今後は本体にもしっかり目を向けていこう。
「しかし、どうして彼女は、新たに男が出来たって言うのに、未だに俺なんかに親しくしてくれるんだろう?」
それは、半ば独り言だった。
ここ最近、常に疑問に思っていたことが、つい口を割って漏れ出てしまった。
「あなた、さっきから何を言ってるの?」
早百合が、きょとんとした表情で俺を見つめている。
「あの娘、あなたのことを、はっきりと、『彼氏』って言ってたわよ。
あなたが食事に出かけているときに、ちゃんと本人から聞いたんだから」
「えっ?」
どこかでマウスのフシューっという鳴き声が響き、夜風に紛れていった。