第四十話 天才軍師
「さっきから三人で遊んでいたんですけど、彼女って本当にいろんなこと知ってますねー。
あたしなんかより、寄生虫学やウイルス学の知識にも詳しいし、感心しましたよ。
病気で学校を休学中に、お母さんに教わったって聞きましたけど」
聡子が大輪の花のようにほほ笑みながら、楽しそうに語る。
どこまで早百合が聡子に自分の病気について話したのか知らないけれど、どうやら簡単には自己紹介しあったようだ。
「べ、別に大したことないわよ」
明らかに女王様が動揺しながら、これまた渾身の力をこめて、明星の急所にシュートを決める。
よく見ると、彼はなんだかボロ雑巾みたいになっていた。
女性のお相手って大変だなぁ、うん。
「でも、あの金髪さんを撃退した手口は、あたしなんかよりよっぽど見事でしたよー。
肥料混じりの砂つぶてを投げつけたときも、子供の特権を最大限に生かして、相手を馬鹿馬鹿しく思わせ一旦引き下がらせ、しかも後から急性アルコール中毒にさせて浜辺から退散させるのを織り込み済みの作戦だったなんて、ちょっと凄すぎますよー!」
「ああ、確かに孔明の罠もびっくりの策士振りだったな。
軍師として登用したいぐらいだ」
俺も素直に彼女を賞賛した。
実際、先程の機転は効きすぎていた。
一瞬で情勢を判断し、その場にある物を有効利用し、最適の行動を取ったのだから、知力、想像力、行動力を、全て兼ね備えていることになる。
俺以上に医学知識に精通しており、しかもこうやって、現実の場面で使用することが出来る。
今まで年下だと思って正直侮っている部分もあったが、むしろ俺が目標にすべきは、彼女だったんじゃなかろうか?
「いっそのこと、ウイルス学とかも彼女に教えてもらったらどうですか、せんぱーい?」
「ふぇ?」
聡子が俺の心を見透かしでもしたのか、そんな恐ろしい提案をしてきたので、俺は妙な音を噴出してしまった。
俺、もう24歳なんですけど……。
「この年になって家庭教師をつけてもらうってか!?
しかも年下に!?」
さすがの俺も、これには力強く反論してしまったが、脳内では、案外いい考えかもしれないと、俺の脳の現実担当部署が、賛成票を投じていた。
ちなみに脳の政治形態は基本民主主義だが、簡単にファシズム化する。
「あら、勉強に年齢の上下は関係ないですよ。
医学部には、年取った方々も多いじゃないですかー」
「そうね、医学部には学士編入や社会人入試制度があるものね、そうでしょ、明星?」
「え……ええ、お嬢様。
年度にもよりますが、10名程度の定員枠がございます」
いつの間にかボール遊びは中止され、皆浜辺に立ったまま(明星だけ寝転がっているが)だべっていた。
確かに彼女たちの言うとおり、医学科は昔から、社会人や、他の大学を卒業後に再受験する者が多く、今ではそれを踏まえて制度に盛り込まれている。
同学年にも、俺なんぞよりもはるかに年上の学生が数多く、シルバー会なる組織まで存在する。
もっとも名前が悪いと不評だが。
「医者は、資格を取るのに年齢制限はないし、医師になった後は、比較的簡単に就職できる。
ただ、やはり年齢がある程度いくと、勉強は大変になるから、国家試験のことを考えたら、早めに卒業するのが大切よ。
もし、あなたにその気があるのなら、私がウイルス学の勉強を見てやっても良いわ」
早百合が、真摯な表情で俺を直視する。
俺の心臓がざわめき、脳内会議場が嵐のようにうねる。
脳の、プライド担当部署のみが、なんとか反対票を投じるも、「そもそもボトムズなんて自称している時点で、プライドなんか無いだろ!」というヤジが飛び交い、圧倒的多数で、賛成派が勝利した。
「わかった。頼むよ」
「あら、そんな言葉遣いで良くって?」
女帝の柳眉が上がり、白いかいなが再びアイアンクローを俺の顔面に決める。
痛い痛い痛い!
日焼けしている鼻がひりひりして痛いよぅ!
「わか……りました!
どうか宜しくお願い申し挙げます!
この通り!」
なんとか悪魔の爪をもぎ取ると、俺は明星の隣に腰を下し、焼け付く砂浜に額をこすりつけた。
「そのまま10秒間我慢したら、考えなくも無いわ」
「お願いしますお願いしますお願いします!」
どこぞで海鳥のアホーアホーと鳴く声がする。
息が苦しい。
今日はこんなのばっかだな。
意識が危うく冥府魔道に堕ちそうになったとき、「もういいわ」という彼女のお許しが下り、俺はようやく顔を上げた。
ついさっき河の向こうから田原の呼んでいる声が聞こえた気がしたが、きっと鳥の鳴き声の聞き間違いだろう。
「よく分かったわ。
そのプライドの無さに免じて、明日からビシバシしごいてあげるわ。
覚悟なさい」
「はいっ、先生っ!」
こうして俺は、勉強の師匠をゲットし、携帯の番号とメールアドレスを交換し、そのアドレスがbeautifulsatoko.co.jpだったことを知られて嘲笑され、泣き濡れて蟹と戯れた。
この日の後のことはよく覚えていない。