第三十三話 ブラックバイト
唐突だが、「ありがとうチモシー」という、昔のジュブナイル小説をご存知だろうか。
俺も幼少のみぎりに読んだっきりなので、記憶がかなりあやふやだが、船が難破して、生き残った白人の少年と、黒人の老人チモシーが、無人島にたどり着き、サバイバルするという筋書きである。
しかし最初からやたらショッキングで、島にたどり着く前に、少年が日光を見すぎたりなんかして、失明してしまうのだ。
そして助けられるまでずっと失明したままという、かなりハードなストーリーだったので、冒頭部分はよく覚えている。
さて、漂流中に、いかだの上で、急速に視力が落ちてうめいている少年に対し、チモシーがこんなアドバイスをする。
「こうなったら、海も見ちゃいかん!
太陽を反射し、まぶしいからな!」
俺は、今こそ声を大にして言いたい。
「その通りだよ、チモシー!」
というわけで、七月も半ばを過ぎ、海開きを終えた後、俺はいよいよ海水浴場の監視員のバイトを始めることとなった。
毎日学生二人が勤務し、当初の予定では、一人頭日当七千円という話であった。
しかし、今年から、「学生だけでは、何かあったら危ない」ということで、地元のライフセイバー協会とやらから、毎日一人派遣されてくることになり、それに伴い学生の定員は一日一人に減らされることとなった。
これに激怒した弓道部は、海水浴場を取り仕切る観光協会と協議を重ねるも、結局情勢は変わらず、「では、一人頭の日当は三千五百円でいいから、例年通り、一日二人雇ってくれ」ということになった。
内藤よりその残念なお知らせを聞いた俺は憤慨して怒髪天を衝き、いっそ辞めてやろうかとも考えたが、せっかく苦労して資格を取ったことだし、もぎりのバイトは陸上部後輩どもに譲り渡してしまったし、他に稼ぐ当てもないので、しぶしぶその条件に同意せざるをえなかった。
さて、いざやってみると、想像していたよりも体力的にきつい仕事である事が、身に染みて思い知らされた。
まず、朝の六時半に海水浴場に到着し、海岸を一回りしてゴミを拾った後、砂浜のあちこちに設置されているゴミ箱の中身を回収し、それと同時に分別する。
これがなかなか大変で、弁当がらや、花火の燃えカス、空き缶やペットボトル、何か得体の知れない生ゴミ、そして紙オムツの山などが、後から後から湧いて出る。
これらを指定のゴミ袋にそれぞれ分けて入れた後、近くのゴミ捨て場にリヤカーで運び、その後、更衣室兼トイレの鍵を開けたり、監視員小屋の掃除をしたりして、海水浴場の営業開始に備える。
八時にようやくオープンした後、学生組は、監視員小屋と、浜辺の監視台の二手に分かれ、トランシーバーを通じてやり取りする(別に携帯でもよいが、規則でそうなっているため)。
監視員小屋では、落し物や迷子、くらげに刺されたりすり傷を負った人への応急手当などの対応を行い、監視台では、双眼鏡で地上と海を監視し、要救助者がいないか確認したり、危険区域で泳いでいる者や、テトラポッドで釣りをしたりしている不届き者への注意勧告などをスピーカーにて行う。
そして基本的に一時間毎に、二つの持ち場を交代する。
これが午後五時の営業終了時間まで、延々と続くわけだ。
終わった後も、朝同様に、ゴミ拾いと、ゴミ箱の中身回収を行い、小屋と更衣室の鍵をかけた後、ようやく解散となる。
つまり計十二時間も働くわけだ。
これはマウスの世話以上に身体にこたえた。
初日は帰って身体がまったく動かなかった。
基本的に日中は座っているだけだから、楽なものだろう、と、最初は俺も甘く見ていた。
しかし日長一日、海をぼけーっと見ているのは、たいそう目に悪いものだった。
海は波打つアルミホイルのようにギンギラギンと絶え間なく輝きを放ち、俺の繊細な網膜を傷つける。
せめてサングラスでも持ってくるんだった。
しかも監視台の上は、簡単な屋根があるとはいえ、ほとんど真夏の日差しに曝されているため、尋常な暑さではない。
俺は半日も立たないうちに、自分の肌がみるみる赤くなるのを見て、恐怖を覚えた。
これって2度熱傷レベルじゃない?
監視員小屋にようやく逃げ込んでも、そこは単なる木造の掘っ立て小屋なので、クーラーが効いているわけもなく、おんぼろの扇風機が一台あるだけだった。
何を言う、水着の若いギャルがいっぱい来て、ウハウハではないか、とおっしゃる方もいるだろう。
確かに若いギャルは来る。
だがその九割は男連れで、こんな場末の海水浴場に単独で来る物好きなど現実にはいないということを、改めて俺は悟った。
ま、別に来たところで、俺は声をかける度胸も気力もなく、干からびた蛸のように、パイプ椅子にぐったり身体を投げ出しているだけだが。
しかも若い子連れのヤンママどもは、恐るべき紙オムツゴミ生産魔であり、平気でぼんぼんそこらに投げ捨てていく。
子供の糞もペットの糞と同じく家に持ち帰れ!
おかげで俺は、紙オムツの真ん中の線が黄色から青色に変色しているものは、排尿後のものの可能性が高いということを、子供どころか彼女すらいないのに熟知してしまった。
そして勤務時間中、浜辺に流れる音楽は、唯一気の抜け切ったハワイアンのみで、俺はこのままいくと、間違いなく若年性痴呆症になると確信した。
これほど五感を苛むバイトは生まれて初めてだ。
内藤が人に押し付けた理由も良くわかる。
極め付けに腹立たしいのは、ライフセイバーどもの存在だった。
消防団員だかなんかをしているという彼らは、マッチョな身体を誇示しているものの、ひたすら身体を焼いたり、ボディボードをしているだけで、何一つしてくれなかった。
しかも事あるたびに、「テトラポッドの裏で牡蠣を取ろうとしている奴がいたぞ。注意しないと駄目じゃないか」などと偉そうに指図するのだ。
昼食時間帯だけは、代わりに監視してくれるのだが。
地元紙にも彼らのことは紹介されており、「ボランティア活動で、海水浴場で働いている」などと書かれていたが、別にボランティアでもなんでもなく、彼らの取り分の日当七千円は、協議の結果、ライフセイバー協会に収められることになったことを俺は知っている。
メディアとはこうやって嘘を付き続けるのだ。
かくのごとくブラック企業なバイトであったが、それでも不思議なもので、日一日と経つうちに、俺もいつしかこの環境に慣れていった。
仕事自体は単純であり、大きな事故や、やっかいな客が来なければ、忍耐力さえあれば、凌げることが分かったからだ。
少しずつ溜まっていく貯金と、更衣室に落ちていて、引き取り手のなかった女性物の水着も、俺の心を慰め、働き続ける勇気を与えてくれた。
ちなみにその赤い水着は、S子2号ちゃんにぴったりだったので、彼女の部屋着となっている。
なんだかまた悪い噂が広まるような気もするが……。
ちなみに俺の相方の学生は、毎回違った。
弓道部員のことが多かったが、中には俺と同じく、代理で雇われた、他の部活の者もいる。
知り合いは殆どいなかったが、俺は適度な距離を保ち、なるべくうまくやっていた。
こうして、その年の夏は、数百年に一度の暑さだとかなんだとか言われながらも、ゆっくりと過ぎていった。




