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第二十一話 小さな女帝

「なるほど、ここは実験に使用するマウスを生産する工場ってわけだな」


 俺はようやく得心が行った。


 あの講義に出てきたスライドのマウスたちは、ここで生まれ、寄生虫を植えつけられていたのだ。


「ええ、その通り。


 この子たちにはかわいそうだけど、いずれ皆、実験で命を落とす運命なの」


 早百合の声音に、若干の悲哀が紛れ込む。


 俺は今までの彼女の態度から、この少女が如何にマウスたちのことを考え、懸命に世話をし、愛情を持って接しているのかが、だんだん分かってきた。


 ここは彼女の聖域なのだ。


 彼女はこの部屋の女帝で、全てを支配し、かつ守護している。


 何人たりとも彼女を邪魔することはできない。


「でも、早百合ちゃん、まだ小さいのに、どうしてそんなにマウスのことを知ってるの? 


 それに平日の昼真っからずっとここにいるけど、学校はどうしたの? 


 さすがに義務教育は行かないとまずいんじゃないの? 


『聖闘士星矢』じゃあるまいし」


「義務教育なんて、とっくに終わったわ」


 彼女がやけに遠い目をして答える。


 俺は、意味が分からず、無言でマウスたちを眺めていた。


 今のはどういうギャグだ? 飛び級でもしたのか? 


 って、「あずまんが大王」のちよちゃんならともかく、今の日本ではそんな制度義務教育で無いんですけど。


「お嬢様、お待たせしました。


 お食事の用意が出来ております」


 いつの間にやら音もなくドアを開け、明星がゆらりと揺れるように立っていた。


 相変わらず薄気味の悪い奴だ。


「じゃ、後は餌と水遣りをお願いね」


「おーい、俺もちったぁ休ませてくれよ!」


「君は人生でもう十分休んだでしょう、モラトリアム青年」


 明星が腹の立つ台詞を吐きながら、昨日と同じように早百合を抱きかかえると、俺を残していずこかへ立ち去っていった。



「疲れた……って、最近こればっかだな」


 誰もいない部屋に帰り、積み重なった漫画や小説やエロ漫画やフィギュア雑誌やダイレクトメールの山を踏み分け、ベッドに転がる。


 結局あの後、餌と水遣りで午前中は潰れ、おまけに後から明星が来て、「では、今日からケージの掃除もお願いしますよ」とよけいなことを言いやがったばっかりに、夕方までかかり、ぼろ雑巾のようになって帰宅した。


 いかん、このままでは体力が持たない。


 頭を枕に乗せ、瞼を閉じると、心地よい安らぎが訪れ、魂を眠りの川辺に誘うが、また見知らぬ試験会場に行くのは嫌なので、手の甲をつねって、なんとか寸前で踏みとどまった。


 それほど昨晩の夢はこたえた。


 自分が如何に聡子のことを吹っ切れていないか、身にしみて思い知らされた。


 最悪な失恋をした後、何度も彼女に電話して謝ろうとしたが、以前、彼女が別れた男をストーカーに仕立て上げた逸話を思い出すと、なかなか掛ける気になれず、一人悶々と携帯の待ち受け画面とにらめっこしていた。


 そうこうするうち、一日二日と時は無常にも過ぎ去り、明らかに機を逸してしまった。


 そのうち彼女が他の男と付き合い出したという風の噂を聞いた後、俺は部活に全く出ず、送別会にも行かず、部屋で寝て過ごし、引きこもり時代のマツコ・デラックスよろしく、Coccoの「強く儚い者たち」を、延々と掛け続けていた。


 どうしていいか分からなかった。


 確かに、聡子は嫉妬深く、気分屋で、アンコントローラブルなじゃじゃ馬だったが、世話好きで、機転が利いて、優しい面も兼ね備えていた。


 例えば、俺の汚物溜めの様なこの部屋を電撃訪問し、俺がパニック発作状態に陥ったときも、まったく不快感を示さず、


「うちのお兄ちゃんの部屋に比べれば、全然マシですよー。


 あの人ったら美少女アニメのポスターやカレンダーばっかり部屋中に貼り付け、仕事もせず、食費を削ってまでDVDを買ったり、イベントに行きまくったりするんで、危うく禁治産者として後見人を立てるところでしたよー」


 と、やや不穏なことを言いながらも、部屋を片付け、その後、料理まで作ってくれたのだ。


 そんな彼女を、どうして本気で嫌いになんぞなれようか。


 スピーカーは相変わらず、主人公が旅に出ている間に恋人がNTRされた呪われた歌を流し続ける。


 耐えられなくなった俺は、ノートパソコンを堆積物の中からなんとか発掘すると、ネットに繋ぎ、オリエント工業のホームページにアクセスした。

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