第十八話 ヘロディアスの嫉妬
そうだ、聡子は、実は非常に嫉妬深い性格だったのだ。
付き合いだした頃は、猫を被っていたのか、あまり表には出さなかったが、そのうち、俺が街を歩く女性を見ただけでも、「今、何見てたの、先輩!」と、急に機嫌を損ねるようになった。
まるでサロメを見つめるヘロデ王に、毎回怒鳴るヘロディアス王妃のように。
彼女も、そのやっかいな衝動性を自覚しているようで、その後、「さっきはごめんね、せんぱーい」と謝るのだが、徐々に頻度が増えていった。
そして、気付いたのだが、俺が、年取ったお婆ちゃんや、若くてもひょろひょろした女性を見ているときは、何も言わないのに、いわゆるグラマーでボンキュッボンでパツンパツンの美女に視線を向けているときに、一番反応するのだ。
「実はあたし、高校時代に同級生に告白され、始めて男の人とお付き合いしたんですけど、その彼氏ったら、夏休みの間に、年上で美人でナイスバディの大学生と海で知り合って、たちまちそっちに身も心も奪われ、あたしに、『別れてくれ』なんて言ってきたんですよーっ!
信じられますーっ!?
ムキーッ!」
彼女は酔っ払うと、過去の辛い思い出を、延々と喋り続けた。
あまり飲めない俺は、ウーロン茶をひたすら飲み続け、果てしない愚痴に付き合った。
「そりゃあたしは、そんな完璧超人なお姉さまにはまったく負けますけど、それでもその男に尽くしてあげたつもりだったんですよー!
ま、まだ高校生だったし、身体は許さなかったんですけどね。
自信、無かったし……」
「で、結局その男とはどうなったの?」
「あまりにも腹が立ったので、殴りつけて蹴り飛ばして、警察に、『あいつストーカーで、あたしに散々メールや電話してくるんですけど、法律でなんとか出来ません?』って通報しちゃって、結構大変な目にあわせちゃったんですー。
未成年だから、何とか処罰にはならなかったみたいですけど」
「……」
とにかく、彼女の嫉妬の感情が、過去のトラウマから生じているのかどうかはさだかではないが、その衝動性はどんどんエスカレートしていき、最早嫉妬妄想と呼んでも差し支えないレベルにまで達していた。
俺は、彼女と一緒に道を歩くときは、絶対に前方を見ることがなく、ひたすら足元の石畳を凝視し、決して他の方向に視線が向かないように細心の注意を払わねばならなくなった。
店で食事するときは、必ず壁を見つめる側に座り、店内に何が飾られていようと一切気にせず、メニューのみを読みふけった。
彼女もさすがにそんな俺を気の毒になったようで、「ごめんなさい、先輩、あたしのせいで、窮屈な思いをさせちゃって……」とは言うのだが、かといって、俺が他の女性を見ることに対して怒ることをやめることは出来なかった。
その癖、彼女自身は他の男性をよく観察しており、「今すれ違った人って、田村正和の若い頃に似てなかったー?」とか、「あの隅にいるおじさん、加藤剛にそっくりだよねー?」と言うもので、俺がその方向を見ようものなら、必然的にその古畑任三郎だか大岡越前だかが連れている女性と目が合っちゃうわけですから、「キーッ!」となるわけでして……どないせーっちゅーねん!
といわけで、俺は、「女性と付き合うとは、かくも大変な難事業だったのか……」と、骨の髄まで思い知らされましたことでございますです。
決して悪い娘じゃないんだが、その一点だけはどうにもならず、更に試験や留年のストレスも重なり、俺の精神は徐々に疲弊していった。
そして、彼女の嫉妬妄想が乗り移ったのか、俺も、彼女が同級生といちゃついているというくだらん噂に、たった、たったの一回だけだが、感情を爆発させてしまったのだ。
「ピピピ、ピピピ、ピピピ」というアラーム音に、悪夢と回想から救い出された俺は、薄暗い部屋の中で、孤独を通り越した虚無に魂を支配され、しばらく動くことが出来なかった。
「ああ……、今から試験に行くんだっけ……? 違うな、実験室だっけ……」
朦朧とした頭を振って、洗面台に向かった俺は、両頬に涙の跡がこびりついているのに気付いた。




