第十五話 動物実験室
「ちょいとちらかっているが、気にせず入れや」
「はぁ」
蛇池教授に連れてこられた大学の二階にある寄生虫学の研究室は、足の踏み場も無かった。
部屋の中央に四つのスチール製の机が置かれ、窓側を除く三方の壁を背に木製の棚が並んでいるようだが、そんな簡単な配置が把握できないほど、雑多な物で溢れ返っていた。
本だの書類だの旧式のパソコンだの謎の機器だのペットボトルだのガスコンロだのアルコールランプだのサボテンだのコップだの何だので、室内は埋め尽くされていた。
まるで俺の部屋をちょいと広くしただけのような惨状だ。
エログッズが無いだけ、我が城よりはマシといえるか……って、
「何で、『バオー来訪者』や、『寄生獣』がさりげなく放置してあるんですかぁ!?」
「いいじゃないか、それぐらい。
ちなみに、『ただいま寄生中』や、『寄生彼女サナ』、『僕が彼女に寄生中』、『魍魎の揺りかご』もそこらへんに落ちているぞ」
「最後のはネタばれです!
まったく、こんなゴミ溜めで何の研究をしているんだか……」
「ゴミ溜めとは聞き捨てなりませんね、ゴミ学生君」
「ひっ!」
急にゴミの山が紅海のように割れたかと思うと、ロン毛の白衣の男が出現した。
「おお、明星、こんなところに埋もれていたか」
「失礼ですね、教授。
今日、そこの屑人間が来ると伺っていたので、仕方なくこの聖域を少し片付けていただけです」
血色不良な顔色をした、その長身の男は、どんよりとした目線を俺に向けながら、白衣の埃を払った。
「紹介が遅れたな、彼はここの助手をしている明星という。
私のモルモットであり性奴隷だが、お前にとっては先輩に当たるわけだから、一応礼を尽くせよ、じゃあな」
教授はさらりと不穏な発言をしながら、さっさとその場を去ろうとする。
俺は慌てて追いかけた。
「ちょ、ちょっと待って下さいよ!
まだ何をするか聞いていませんよ」
「私は今から看護学校に出張講義に行かなきゃならん。
ま、分からんことがあったら彼に教えてもらえ」
それだけ言い残すと、教授はリノリウムの床につかつかと足跡を響かせつつ去っていき、俺は一人呆然と突っ立っていた。
相変わらず自分勝手で強引マイウェイなお方だ。
それにしても先程の話だと、今日俺が来ることが分かっていたとかいうことだったが、元々ここに連れてくるつもりだったのか?
やれやれ、ま、いいけど。
「おい、君、何をしているのです。
さっさと入りたまえ」
研究室からひょろりとした陰が手招きする。俺は仕方なく廊下から室内に舞い戻った。
「いいですか、君の机は奥のあれです」
明星とやらいう助手が指し示した机は、そこだけなんとか天板が表面を除かせていた。
多分先程彼が荷物を脇に追いやったのだろう、両サイドはえらいことになっている。
「君はあそこに座って、受験生以上に勉強なさい。
でなければあの怪物は倒せませんよ。
そして、授業時間内は、小生の研究を手伝ってください。
まずはマウスの世話からですね」
彼は明らかに寝不足の充血した眼差しを俺に向けながら、一方的に話しかける。
俺はちょっと反発心を覚え、その窪んだ眼窩を睨み返した。
「俺は動物の世話なんか、今までまったくしたことありませんよ」
「誰だって最初はそうです。
初めのうちはちょっと手こずりますが、べつにそんなに難しくはありません。
寝床を整え、餌や水を与えたりするだけです。
ちなみに動物実験室は、この廊下の突き当りの部屋です……」
言うが早いか、彼は書類の渦巻く腐海に倒れ付した。
「ど、どうしたんですか!?」
駆け寄る俺に、地底から響くような、暗い声が届いた。
「ちょっと寝不足気味なだけです。
本当にあのお方は人使いが荒いんだから……では、小生はこれからウェストミンスターの鐘が鳴るまで仮眠しますから、後は宜しく」
「おい、寝るな!
まだ具体的なことは何一つ聞いちゃいねぇぞ!」
つい言葉遣いが乱暴になるも、彼の魂はドリームランドに吸い込まれてゆく。
「大丈夫です、後は、彼女が教え……」
「お願い、起きてーっ!
寝たら死ぬぞ!
てか、ウェストミンスターの鐘って午後五時だから四時間も寝る気かあんた!」
俺の叫びも空しく、彼の瞼は早くも激しく左右に波打ち出した。
まったく、どんだけ速攻なREM睡眠だよ。
いっそ家に帰ろうかとも思ったが、さりとてすることなど何一つなく、教授に後で文句を言われるのも嫌なので、俺はしぶしぶ明星の言っていた動物実験室とやらを探す冒険の旅に出かけた。
てか10秒で見つかった。
「ここか……」
俺は、「動物実験室」という古びたプレートのかかっているドアを凝視した。
今まで通りかかったことは無かったので気付かなかったが、真ん前まで来ると、やたらに凄い臭気がする。
ペットショップや動物園のそれと同じ、獣の匂い。
さっきの研究室以上に立ち寄り難いオーラが漂っている。
だが、怖気付いているわけにも行くまい。
意を決した俺は、ドアノブを握ると、勢いよくドアを開いた。
鍵はかかっていなかった。
「静かに入って」
いきなり女性の声が中から響いてきたので、俺は一瞬度肝を抜かれた。
六畳間程度の広さの室内は、小さな窓から差し込む午後の陽光に照らされ、まるでどこぞの館の屋根裏部屋を髣髴とさせる。
壁にはスチール製のラックが幾つも連なり、その段の全てに、プラスチック製の薄汚れた、元は白かっただろうと思われる四角いケージが無数に置かれていた。
鼻を突く動物臭が、一段と濃度を増した気がする。
しかし声はいったいどこから聞こえたのだ?
誰も見当たらないが……。
「こっちよ、こっち」
意外と低い位置から声を感じた俺は、背後を振り返った。
そこに俺は、大学構内にはありえない存在-少女を確認した。
ようやくあらすじの内容まで話が進みました(笑)。
いつも思うけど文庫本のあらすじって半分以上内容書いてあったりしますよね……