CASE1-1 日常が崩壊する音は、思ったよりも軽い音だった
世界が崩壊する、ここは現実世界のはずなのに、まるで仮想の世界かのように、物体の表面から素材が剥がれ落ち、その奥には最初から何も無かったかのような暗黒が広がった。
大切な人たちも、楽しい筈だった休日も、全て嘲笑うかのように世界の不具合が飲み込んで行った。
「お兄ちゃ…逃げ…」
足の先から崩壊に巻き込まれていった最愛の妹が最期の言葉を残して消えてゆく、最悪だ、もういっそのこと俺もそっち側へと連れて行ってくれ。
崩れていく視界の中に、真っ黒なモヤを纏った人影が見える、誰なんだ、何故こんな最悪の状況の中で笑っていられるんだ、何故そんな暗闇の中なのにそこまでハッキリと表情が見えるんだ。
不気味な笑顔を浮かべたソイツは掠れた声で何か呟いた、しかしそれはあまりに不明瞭な言葉で聞いた事もないような言語だった。
人影はそのまま、崩壊した虚無の空間へと消え去っていった。
*****
『昨夜未明にアメリカデトロイト州で起きた大規模なバグアウト現象にて、1名の生存者が居た事が確認されました』
『アメリカでバグアウトからの生存者が確認されたのは実に4年ぶりとの事ですが、頻繁に生存者が確認される国とそうでない国の違いは一体何なのでしょうか』
『被災した工場群のバグホール周辺では、今も懸命な捜索が続いているそうです、それでは次のニュース──』
目覚めてすぐのぼやけた感覚の中で、付けっ放しだったテレビを消した、嫌な夢を見た、忘れてはいけない事だが、思い出したくもない事でもある。
バグアウト、10年前に突如起こった崩壊現象の事だ、初めてその現象が確認はれたのは日本のとある遊園地、大型連休のど真ん中だった事もあってか人でごった返していた。
崩壊はまず遊園地の外周を囲むように始まった、ピシピシと音を立てて空間に虚無の空間が広がる、それは遊園地にいる全ての人に見えるように広がり、彼らに得体の知れない恐怖を与え、その場に釘付けにさせた。
それは、まるでゲームのバグのように無機質に広がっていく、崩壊に巻き込まれても痛みも違和感も無いらしく、転んで立ち上がろうとした時に手が既に消えている事に気付いたらしき人もいた。
崩壊はやがて全てを飲み込み、その空間に最初の生存者だけを残して止まった。
何も無い空間をひたすら歩き続けて自分以外の存在を探し続けたその生存者はついに崩壊した空間の外側に出る。
彼が振り返ると、その闇黒に染まった空間は収縮し、大きく抉れた地面だけを残して消えてしまった、彼の感覚では十数分の出来事だったが、空間の収縮は崩壊現象が起きてから3日後の事だった。
何故俺がこんなにバグアウトについて詳しいのか、それは言うまでも無いだろう、世界で初めて確認されたバグアウトの被災者、そしてその唯一の生き残りがこの俺、高木倉一だ。
カーテンを開けて外を確認してウンザリする、例の遊園地でのバグアウトが起こったのが10年前の今日、だからここ数日俺の家の周りでマスコミの連中が待機してるのだ、こっちは両親と妹を失ったというのに奴らは無神経にも毎年毎年傷を抉りに来る、今ならまだしもまだ中学生だった頃からずっとだ。
そんな連中の事が俺はその頃から大嫌いだった、だから毎年ハイエナのように群がるあの連中を上手いこと撒くようにしている。
いつものように玄関の鍵を閉め裏の塀が見える窓へと靴を持って移動する、釣り糸を輪にして窓の鍵に引っ掛けて上の小窓へと通し、窓から外に出る、塀に足をかけて小窓から出た釣り糸を引き窓の鍵が閉まるのを確認し、釣り糸を解いて回収、そして小窓を閉める。
俺の部屋が殺人現場だったら密室殺人の出来上がりだなとくだらない考えを廻らせつつこの部屋に住み始めて4年の間毎年この時期にだけ通るこの塀をゆっくりと落ちないように通った。
24歳にもなってこんな事しなきゃいけないのも何もかもあのマスコミたちのせいだ。
心の中で悪態をつきつつ奴らの居ない路地へと塀の上から飛び込んだ。
誰もいない路地裏は心地よい風が吹き抜けていた、毎年あまりにも空気の読めないマスコミに追い回される俺に配慮して会社の方もここ数年はこの時期に休みをくれている、社長には感謝の言葉しかない。
「部屋に居てもそのうちチャイム鳴らすバカが出てくるから早々に外出したワケね、やるじゃん」
背後から声がした、マスコミめ、遂にこの路地まで見つけたか。
「そんな怖い目で見るなよ、もしかして俺をあの連中と一緒にしてない?」
振り向いた俺の顔を見た男は呆れたように言った。
「高木倉一さんだっけ? バグアウト初の生き残りの」
「だったら何なんだよ、毎年毎年ウンザリなんだよ、もう何も聞かないでくれ」
「中学2年のゴールデンウィークの真っ最中、家族で行ったテーマパークでバグアウトに遭遇、3日の時を経てそこから唯一の生還をする」
「うるさい、話を進めるな」
「崩壊に巻き込まれる人たちの中、この世の生き物ではない何かを目撃、しかしその直後周囲は全て無の空間に染まる、そこから外に出るまで数分のつもりだったが、バグの外側では数日が経ってた、ってところ?」
男の言葉に引っかかるものがあった、マスコミに一切話していない事も知ってるし、他のバグアウトでの生還者も話していないはずの事をこいつは何故か知っているのだ。
「分かんないかなぁ、俺もそこそこ世間の話題集めた方だったんだけど」
思い出した、こいつもバグアウトからの生還者だ。
例のバグアウト以降、世界各地でこの現象が見られるようになった。
俺がバグアウトに遭遇してから1年と少し経った頃の夏の日、ある人気バンドのライブ会場を丸ごと飲み込む規模のバグアウトが発生した、全てが消え去るその性質上、毎回正確な犠牲者数は出なかったが、そのバグアウトは超満員のライブ会場で起こったため、犠牲者数約3万人と報道され世間の注目を浴びていた、そんなバグアウトから数日後、取り残された真っ黒な空間から1人の少年が出てくる、その少年が地面に降り立った瞬間、俺の時と同じように空間は収縮して消え去ってしまった。
日本で4度目のバグアウトで、2人目の生還者だった。
「玄島悠人でーす、よろしくね」
「何のつもりだ、なんで俺に接触してきた」
「まだ警戒してんの? ま、ここじゃ何だし、どっかで食事でもしない?」
玄島が手に持った鍵のボタンを押す、電子音と共に、路地の曲がり角で待機してたらしき小型二輪機動車が彼のすぐ側に来て停車した。
機動車には大きく『DEBUG』のロゴがプリントされている、見たこともないメーカーだ、無人運転をしていたところから察するに最新型のものだろう。
「乗れよ、マスコミのクソ野郎共なんかが使ってる機動車とは馬力が違うから一瞬で振り切れるぞ」
そう言って彼はヘルメットを1つこちらに投げてよこした。
*****
「で、倉一くんは結局バグアウトの中でどんな化け物を見たの?」
薄暗いカフェで向かいに座った玄島が改めて問いかけた。
「俺がバグアウトに巻き込まれたのって10年前なんだけど、よく俺がそれを覚えてるなんて確信できるね」
もちろん覚えてはいる、あんな不気味な存在、忘れたくても忘れることなどできない。
「奴らは特殊なんだよ、ヒトの記憶から決して消えない構造になっている、脳に焼き付くんだ、そしてそのヒトの脳に焼き付いた自らの姿を頼りにそいつを追い回す、それはそいつをあの化け物が食い殺すまでずっと続く」
玄島が紙製の使い捨てコースターを裏返し、ペンで何かを書き込んだ、真っ黒な犬のような何かだ、しかし身体の所々からトゲが生えている上に頭からは大きなツノが1本生えている、まるで想像上の生き物のようだ。
「体長は2メートルぐらい、鳴き声は犬と言うよりライオンみたいな感じだったかな」
玄島はコースターをまた裏返して飲みかけのココアを飲み干した。
「俺らが遭遇したバグアウト、世間では原因不明の現象とされているけど、実はある機関が数年前にその原因を突き止めていたんだ」
彼はウエストポーチからホログラムポートを取り出し、テーブルの上に置いた。
テーブルの上には先ほど機動車にプリントされていたロゴが浮かび上がった。
「デバッグシステムズ、表向きは主にデータ関係のセキュリティ会社をやっている、けどその裏の顔は……」
玄島がいやな笑みを浮かべてこっちを見る。
「俺らの大切な人や物、時間を奪った仇、バグを駆除する組織さ」