プロローグ2
買った情報は不確定なものも多く、その重要性自体も高くなかった為、殆どタダ同然だった。
正直噂話レベル。だからノーマも情報を売る際に追加でダンジョンの情報を薦めたぐらいだ。
だが、影人はそれを断った。そして、そのまま拡張現実へと足を踏み入れ、現実世界で照らし合わせると池袋にあるそこ、大破壊跡地へとやってきたのだった。
大破壊の当時、ここには大量の建造物のオブジェクトがある状態だった。だから、今はまるで廃墟の街のような状況になっている。
影人は所持スキルである影化を使い隠密状態になりながら、そんな場所を散策していた。
影から影へ適当にうろつきながら、心の中で自分にため息をつく。
(何をやってるんだろうな……)
無意味だと理解している。感傷だと言うのも解っている。それでも、僅かな可能性があるのならそうせずにはいられない。
一年前の光景が、影人の脳裏をよぎる。それを振り払おうと、頭を振った影人は、次の瞬間目を細めた。
「何だ? 今何か音が……」
雑念を振り払い、聴覚に意識を集中する。すると、微かに何か音が聞こえてくる。
(これは、足音か? 数は五人か。バラバラな位置で動いてる。何かを探してるのか?)
影人がそこまで思考した時、ジャリっという音が背後の通路から聞こえた。
足音が聞こえなかった事、そしてそこまで接近を許してしまった事。二つの事象により、影人は自分が隠密状態であることも忘れ、反射的に背後へ振り向くと同時に飛び掛かり、その首へとナイフを突きつけた。
それは神速と呼ぶにふさわしい速度だった。実際、あまりの速さに目の前の人物は、喉元に刃物が突きつけられていることにすら気づいていない。
「何者だ」
影人はそう言おうとして、だが、その言葉が発せられる事は無かった。代わりに口からこぼれたのは一人の少女の名前。
「しの、ぶ?」
「へ?」
その時点でようやくその人物、忍と呼ばれた少女は自分がどういう状況かを理解したようだった。動こうとし、それは危険と判断し、困ったような顔で、
「こ、殺さないでくれると嬉しいかなーって」
そんな事を言ってきた。
その声も、仕草も、表情も。影人には全てが懐かしかった。五年前に失ってしまったものだった。突きつけていた手を自然に下ろし、影人は震えそうな声で聞く。
「生きて、たのか?」
「?」
影人の言葉に少女は不思議そうな顔で首をかしげた。影人の思い出の中にあるとおりの優しげな風貌。人の良さそうな顔つきに長い髪。
そこで影人はようやく我に返った。そこだけは記憶と全く違ったからだ。思い出の中の流れるような黒髪。しかし、目の前の少女の髪はその真反対である白。
それに思い出す。この手の中で失われていった命の感覚を。今でもはっきりと覚えている。しかし、ならばこの目の前の少女はいったい……。
そんな影人の思考は、第三者の声によって唐突に破られた。
「対象を捕捉した。対象の他に一人ガキがいる」
「っ」
振り向くと視線の先にいたのは片手で通信機器に報告をしている、至って普通のどこにでもいそうな男だ。唯一そのもう一方の手に握られている長剣を除けばだが。
(そう言えば足音のことを完全に失念していた!)
状況から足音の連中がこの少女を探していたことは明白だ。そして、こんな状況の場合、次にどうなるかも大体予測がつく。
「生かして捕らえろ。ガキは殺せ」
男の通信機器からそんな声が聞こえる。それと同時に男がにやりと笑った。
「わりーな、ガキ。そういうわけで死んでくれ」
そして言葉と同時に無造作に男が斬りかかって来た。
その速度ははるかに速い。かつて男性の陸上100メートル走世界記録はぎりぎり十秒をきるぐらいだったという。だが、男の速度はいともたやすくそれを突破している。それも無造作な踏み込みからで、だ。
どこにでもいそうな男。そんな見かけは今の世界では、何の基準にもならない。速くなりたければAGIのステータスをあげればいい。それだけの事だ。
「ちっ」
影人は舌打ちをしながら持っていたナイフでその斬撃を受け止めた。ギャリン! と金属音が響く。その一撃も圧倒的な重さだ。威力を殺しきれずに相手の長剣が喉元まで来ている。
(AGIもSTRもかなり高い!)
同じ事を相手も思ったのだろう。追撃をせずに一旦距離を置いて口笛を吹く。
「やるねぇ。そんなどこにでもありそうな武器で俺の一撃を防ぐとは」
「あんたの武器は高そうだな」
「おっ、解るか? 高かったんだぜぇ? 雷のロングソード+2」
「+付きかよ。それも2……」
武器の+値には様々な付加効果がランダムでついている。ステータスアップだったり、スキルがついていたり。+0と+1では雲泥の差があるといっていい。
だが、その代償として、作るのは簡単なことではない。武器の+値の強化には同名の武器が必要なのだ。つまり+1を作りたければ同じものが二つ、+2を作りたければ同じものが三つ必要になる。
それに加え、強化には失敗する可能性もあり、その場合は強化に使ったものはすべて消滅する。故に魔法の付与された武器で+がついているものはかなりの高額で取引されている。
それ程の武器と高いステータス値。目の前にいるのは間違いなく強敵だ。
「何でこの子を狙う」
「さてなぁ。俺は雇われだからその辺はどうでもいいのよ。強いやつと戦えればそれでなぁ」
「戦闘狂か」
「そこまでじゃあねぇよ。ま、否定はしないけどなぁ」
その言葉と同時に男の長剣がバチバチとその名前どおりに雷を纏う。
「んじゃ、行くぜぇ?」
その言葉と同時に男が再び斬りかかって来る。それも先ほどより速い。切っ先が影人の頬を掠める。それと同時に身体に軽く走る衝撃。HPの無くなっていく感覚が解る。
拡張現実内では、それ用のスキルが無ければ斬撃によって切断や出血は起こりえない。ダメージ痕が少しの間残るだけだ。
しかし、その代わりに僅かにでも攻撃がヒットするとHPが減って行き、0になると死ぬ。まるでゲームのように。しかし、起こることは紛れも無く現実だ。
男の攻撃は一撃では終わらなかった。二度三度と斬撃が繰り返される。そして、影人はギリギリでそれをかわしていく。
攻撃を受け止めれば反撃の機会はあるかもしれない。しかし、斬撃自体は受け止められても、付与されている雷ダメージは止められない。もし反撃の機会が回ってこなければそのまま嬲り殺される事になる。
五度目の斬撃が再び影人を掠める。それと同時に、持っていたナイフが男へと投擲された。
現実なら効果があるかもしれない。しかし、拡張現実ではHPが減る代わりにそのまま攻撃を続けることが可能だ。ナイフ自体にも特別な効果は見受けられない。男もそう判断し攻撃を続けようとした。
だが、
「うおっ、てめぇ!」
男の攻撃が止まった。理由は簡単で、目を潰されたからだ。潰されたと言っても、ダメージ痕が一時的にできるだけで、すぐに直る。しかしそれまでの間視界を封じられるし、何より眼球めがけて攻撃が飛んできて平然としていられる者は少ない。
その隙に体勢を立て直す影人。だが、そのタイミングで更に事態は動く。
「何を遊んでいる」
気がつけば影人は囲まれていた。目の前の男の横に素手の男が一人。後ろに武器を持った男が二人。屋根の上に弓を持った男が一人。影人の見積もりどおりならこれで全員が集まったことになる。
(と言っても……)
ちらりと困った表情をしている少女の足元に目線をやる。最初に影人が気づかなかったのは少女が裸足で移動していたからだ。流石にスキル無しでは限界がある。
「報酬分は働け。いつまで遊んでいるつもりだ」
そう言ったのは、長剣の男の隣にいる男だ。恐らくこの男がリーダーなのだろう。
「そりゃあ、その為に働いてるんだからよぉ。ちょっとぐらいいいじゃねぇか。ま、それもここまでだけどなぁ」
長剣の男が言う。確かにその通りだ。長剣の男が遊ぶつもりでも残りの男たちは影人を殺しに来る。つまり男にも遊ぶ理由がなくなった。
「そういうわけで恨むなら自分の不運を恨んで、もし生まれ変われたらLUKをあげるこったなぁ」
長剣の男がそう言うのと同時に囲んでいる男たちの殺気が高まる。その時、
「あのー」
声を上げたのは追われていたであろう少女だった。男たちの視線が影人から少女へと移る。
「私、もう逃げませんから、この人を助けてあげてくれませんか?」
少女の懇願。しかし、その段階で既に男たちは少女から興味を失っていた。何故なら少女との取引には何の意味も無いからだ。
この状況では少女が逃げることは不可能。故に少年を生かす理由も無い。リーダーの男はそう判断して、号令をかけようとした。その瞬間、
「音波探知」
影人を中心に音波が発せられた。それは汎用スキルであるところの探知スキルの一つだ。探知スキルとしては優れているが欠点として、使用した事がばれやすいと言う点がある。
だが、何故今それを影人が使ったのか。男たちはは一瞬疑問に思ったが、すぐにどうでもいいことかと思い直し、攻撃の構えを取る。
それと同時に影人は笑った。
「ああ、これで確実だ」
そして、次の瞬間、血飛沫が舞った。
「え?」
「は?」
上がる声は影人の後方で武器を構えていた二人。何が起こったのか解らず、理解することもできず、男二人の首は宙を舞い、身体は糸の切れた人形のように崩れ落ちた。
「一人、二人……」
「何が」
最後まで言い終わる事も無く、屋根の上にいた男の首も落ちる。
「三人」
影人の視線が残った二人に注がれる。リーダーの男は金魚のように口をパクパクさせているだけだ。そして、長剣の男は何かに気づき目を見張った。
「ありえねぇ……」
「何だ! 何が起こっている!?」
口から泡を吹きながらリーダーの男が言う。それに答えを返したのは影人だった。
「まさか気づかれるとは思ってなかったな。まあ、簡単なことだよ。普通に近づいて首を切って元の位置に戻った。それだけの事だ」
「は?」
男の口から呆けたような声が上がる。何を言われているのか理解できないと言うように。理解できない。いや、したくないのだろう。だが現実だ。ゲームのようであってもここもまた紛れも無い現実なのだ。
「はは、何だ運が悪かったのは俺か……」
なまじ腕が立つからこそ長剣の男には見えてしまった。抗いようの無い終わりが。男の手から長剣が滑り落ちる。それにも反応せず、ただ死の旋風は瞬時に残った二人へと近づき、
「生まれ変わったらLUK上げるかぁ」
そんな言葉を残して、残っていた男たちも崩れ落ちたのだった。
沈黙が舞い降りた。影人はふーっと息をついて呼吸を整える。
(相手の数が少なかったから助かったな。一人に二回と考えても致命的一撃の使用回数はギリギリだ。逆算跳躍はまだ使えるとはいえ、早く帰ったほうが良さそうだ)
そこまで考えて少女の視線に気づく。少女は相変わらず困ったような表情を浮かべていたが、影人の視線に気づくと微笑んで言った。
「助けてくれて、ありがとうね」
その表情は相変わらず記憶の中にあるそれと一緒で、でも違うんだと影人は悟った。何故なら水瀬忍という少女は人が死んだ後にこんな風に笑える少女じゃなかったのだから。
郷愁を振り払い、影人は少女へと手を伸ばす。
「今のうちに逃げるぞ。後で事情は説明してもらう」
「うん。解った」
少女は頷くと影人の手を少し遠慮がちに握った。それを確認して、もう一度音波探知を使った後、影人は近くにあるログアウトポータルへと向かうのだった。




