プロローグ
西暦2020年。世界は変化した。
墜落した未確認飛行物体内部より手に入れたオーバーテクノロジーによって、人類は拡張現実という世界を手に入れたのだ。
現実でありながら現実でないそこには、ステータスやレベルが存在し、魔法や武器が存在した。
まるでヴァーチャルリアリティゲームのような世界。しかし、そこは恐るべき可能性を孕んでいた。
それこそが拡張現実の名の由来。拡張現実内で起こった全ては、現実でも適用される。
魔法を習得すれば現実でも使え、ステータスを強化すれば実際に強くなり、武具やアイテムを持ち帰ることもできる。
そして、拡張現実内で死ねば、そのまま死ぬ。
そんなめちゃくちゃな世界が、この地球上へと拡散したのだ。当たり前のように治安は乱れ、物の価値は変化し、至るところに争いが生まれた。
それから30年経った2050年。拡張現実があるのが当たり前になったこの世界で、人々は今日も生きている。
東京新宿区の表通りから離れた場所にある地域。通称裏新宿。治安は悪く、事件が絶えないような場所だが、拡張現実が広まってからは珍しくもないよくある場所の一つ。
そんな場所に、ある一つの建物があった。ギルドと呼ばれる組織の新宿支部だ。
ギルドは拡張現実が広まってから出来た組織の一つで、拡張現実内に存在するダンジョンやエネミー、アイテムの情報などを交換し合う相互扶助組織の一つだ。
拡張現実内で得た物を売り払い収入を得る、ハンターと呼ばれる者たちが多く加入している。
そんなハンターの一人である秋町影人も、ギルド新宿支部に来ていた。
今では珍しい短めの黒髪に(拡張現実内のアイテムで気軽にヘアカラーを変えられるため)、鋭い目つきをした、十代後半ぐらいの少年。それが影人の外見だ。
まだ未成年というのは誰が見ても明らかだが、今の時代では珍しいことではない。
拡張現実には何処でもどんな人でも入ることが出来る。多少の時間がかかるものの、拡張現実に入ろうと意識しながらログインと唱えるだけで入れてしまう。
故に影人が新宿支部内を歩いていても、それを理由に影人の事を気にかける様な人物はいなかった。
影人も明らかに慣れている歩調で、そのまま受付の方へと歩いていく。
「お、影人じゃん」
影人が受付に着くと、すぐに声がかけられた。影人がハンターになって数年。ずっと新宿を拠点にしているため、顔見知りも珍しくはない。
声のした方へ目を向けるとそんな顔見知りの一人であるギルドの受付嬢、ノーマ・ノーマンがひらひらと手を振っていた。
茶色のショートヘアーに快活さを感じる瞳と褐色肌。シャツの上から羽織った半袖のジャケットにショートパンツという活動的な格好が彼女の雰囲気にピタリとはまっている。
まあ、もちろん、肌の色もアイテムで変更したものであり、名前も偽名な訳だが。拡張現実内でも一部の例外を除き骨格を変えることはできない。
そして、そんなノーマの顔つきは明らかに日本人のそれである。と言ってもそれも今の時代では珍しいことでもない。現に影人ですら名乗っている名前は本名ではないのだから。
「よう、ノーマ」
軽く手を振り返しながら、ノーマの担当窓口の方へ歩いていく。
「影人がここに来たって事は仕事だよね? 随分早いじゃん。こないだのダンジョンはどうだったの?」
「あ? 外れだよ外れ。狭いし、アイテム全然ないし、無駄にエネミーは多いし。情報量とトントンで、諸経費入れたら赤字なぐらいだ」
「あー、そりゃご愁傷様」
「って訳だから、何か儲かりそうな仕事ないか?」
「んー、そうねー、ちょっと待ってね」
影人の言葉を受けて手元のパソコンを操作するノーマ。が、検索はすぐに終わったようですぐに顔をあげた。
「駄目だねー。ダンジョンの情報ぐらいしかないよ。手っ取り早く稼ぐならお金持ちの護衛とかなんだけど、あんた顔出しNGなんだろ?」
「ああ」
「まあ事情は聞かないけどだったら地道にやってくしかないんじゃない? っていうか別に無理して稼がなくても問題ないぐらいは蓄えがあるんじゃないの?」
「あー、そうなんだけどさー」
ノーマの言葉に歯切れの悪い返答をする影人。ちょっと沈黙した後に、ぽつりと呟く。
「今月の生活費、まだ入れてないんだよ」
「はい?」
思わず聞き返すノーマ。それに影人はため息をついてから答え始める。
「俺に同居人がいる事は覚えてるか?」
「翔子でしょ?」
「ああ、そうだ。そんであいつと暮らす事になった時に決めたことがいくつかあって、その中の一つにお互い生活費を共同貯金に入れるってのがあるんだよ」
「ああ……」
そこまで聞いてノーマもピンときたらしく、ニヤニヤと笑いながら言う。
「つまり、あんた、今現状ヒモ状態な訳か」
「うるせーよ。まあ、ともかくそんな訳で俺は稼がなければならんのだ」
「ふーん。まあそう言われても選択肢はさっきと変わらないよ? ほれ」
ノーマが操作していたパソコンの画面を影人に見せるようにずらす。そこには今取りかかれそうな仕事が並んでいた。もちろん大半はダンジョンの情報だが。
「さっさと選びなよ。それか諦めて今日は帰るか。私もあんた一人の相手をしてるわけにはいかないからね」
そう言ってノーマが示す先には三人程度だが列ができていた。ノーマ以外にも受付はあるが、それでも足りなくなるぐらいには人が来始めたらしい。
それを確認した影人が、仕方なく適当なダンジョンの情報を買い上げようとしたその時、影人の目に飛び込んできた情報があった。
「幽霊?」
影人が呟いた言葉にノーマが反応する。
「ああ、それ。何でも大破壊の跡地に女の子の幽霊が出るって噂なんだよ」
確実性も低いし金にならない確率のほうが高いよ、というノーマの言葉は影人には聞こえていなかった。
大破壊。それは五年前に起こった大規模な抗争を指す言葉だ。
武装警察と特別な執行人であるナンバーズ、大規模犯罪組織であるBIBがお互いつぶしあい、一定ごとにフィールドが自動アップデートされる拡張現実において消えない傷跡を残した事件。
それを思い出した影人の胸によぎるのは憎悪と後悔、そして自責の念。それらを押し殺して、影人はできるだけいつも通りの声を心がけながらノーマに言った。
「この情報を買う」
何を期待したのか、影人自身ですら解らない。だけど、これこそが、出会いと始まりへの道だった。




