娘と父、そして彼女
「はあ、はあ、はあ……」
アステリアは、規格外のニンゲンが目の前から消えたことを視認した後、蓄積していた疲労がどっと溢れだしていくのを感じた。
もう危険な相手がいない、その事実を目の前に、張り詰めていた緊張の糸も、一気にぷっつんと切れるようにほどけた。
「アステリア、ムーヴァー使いこなせてるなぁ」
へとへとと脱力し、床に座り込んだアステリアの前に、父が腰を落とした。牛のつぶらな赤い目と、ニンゲン型の赤い目が交差する。
「父さん、あたしだってイイ年だし、何より命がかかってたし……まあ、その。助太刀、ありがとう」
ぷいっと、視線をそらしながらアステリアはぼそっと呟いた。
「え、なになに、父さん聞こえな――ぐふぉっ」
耳に手を当てる父の側頭部に、娘の怒りからの渾身のグーパンチが飛来する。
「でも、そもそもは……」
アステリアの赤い目がぎらん、と光る。
「あんな規格外がここへ侵入したのも、父さんが原因よね。父さんそのお馬鹿なオトモダチの」
アステリアは立ち上がり、父を見下ろした。こき、こきと足首をまわし、すーっと足を下げた。
「ち、ちょ、アスティ――」
「もういっぺん空へ行ってこい!!」
アステリアの利き足が、おもいっきり振り上げられた。父は綺麗に放物線を描いて、天井に穴あけて飛んでいく。何度目のお空の旅だろうか。
「あーすてぃー、ごめんよぉおお!!」
――父は、謝罪しながら退場したのだった。
◆◆◇◇◇◇◆◆
「やっぱりゲオルダンデウスは馬鹿なんだねぇ〜……」
暗い暗い闇が横たわる場所で、彼女は呟いた。
音は、水面にぴちょん、ぴちょんと水滴が垂れる小さな流れの音と、彼女の声のみ。
彼女は暗闇の中、ひとり足元の水面をみやる。
「ゲオルダンデウスはやはり娘に蹴られ、お星さまになる――これは何度も我が“視た”未来なんだよねぇ」
クスクス、と笑いながら首をかしげる。きらきらと輝く髪が揺れる。
「アステリアが彼らを外へ出すのは“決まってた”んだけどねぇ」
彼女は何が面白いのか、さらに笑みを深めた。
「ゲオルダンデウス、まさしく脳筋、考えずに動く……我の久々の予想外はゲオルダンデウスかぁ」
彼女が覗く水面には、暗くて何も見えない。しかし彼女には“視える”。
「アステリアは、あとの残りをどうやって追い出すのかねぇ? さあ、我の“視た”未来を裏切っておくれ!」
暗闇に彼女の哄笑が響き渡った。
彼女――“光放つ千里の目の娘”、神族エウアーラ・ユリディーク。最初のミノタウロス・アステリオスの妻であり、今のミノタウロスの祖であった。
かつて魔女王の理不尽な呪いにより、生を歪められたアステリアの呪いを緩めたのも彼女。
「さあ、アステリア。完全に呪いを解除できるかな?」
千里の先を見通す目が、笑い細められた。
「年を経たら呪いは緩まる。けど、それは見た目だけ」
歌うように、エウアーラは笑う。
「最初に持って生まれるはずだったもの、そして歪められたものを持って育った――すでにあるものを失わず、後は」
エウアーラはさらに笑った。
しばらくの間闇には甲高い笑い声が響いた。




