上皇の死④
季節はすでに蒸し暑い夏である。趙汝愚達は、重華宮という宮殿の近くの庵に集まっていた。宮殿内部には宦官や女官以外入ることができないので、一同は外に設けられている庵で今後の事について対策を練ることになった。
「さあ、どうしようか?」
真っ先に切り出したのは同知枢密院事の余端礼だった。枢密院は軍政が仕事だが、この南宋という王朝は文治主義の王朝なので、軍事に関する役職も全て文官が就いていた。
武人などはその下で働くものだった。ましてやこの時期は対外的にも平和だったので軍事に関する仕事はしておらず、やっている事はもっぱら民政だった。
「いくら頼んでも陛下は出て来ない。困ったものだ。もうそろそろ限界だ」
しめた、と趙汝愚はほくそ笑んだ。切りだすのにいい機会である。
「あっ、皆さん実は……」
その場にいた文官に向かって言い出そうとした趙汝愚だったが、それを破るかのように大きな咳払いをした人物がいた。
「ごほっ、ごほっ!いやいや、諸君。実は私によき考えがあるんだ。ちょっと話を聞いてくれないか」
左丞相の留正だった。左丞相は南宋の臣下で最高の位とされている。左と聞くと右はと思うかもしれないが、それは二番目である。日本では凄い人物を「右腕」という表現しているが、それは日本独自の表現であり官職などでは「左」の表記が先で「右」が後である。
「左右」という言葉はまさにそれを象徴している。
「実は皆さん、私は嘉王様に喪主をやってもらおうと考えているんだ」
留正は太った体をぶるんぶるんと揺らしながら、しゃべっていた。
また一段と太ったなと趙汝愚はあきれたが、内容を聞いてほっとした。どうやら彼も自分と同じく嘉王に喪主をやってもらおうと望んでいたようである。
「私のやり方は嘉王様に病気の陛下の代わりに喪主をやってもらうものだ。嘉王様は品行方正なお方だ。喪主をやるにまさにぴったりである。諸君の意見をぜひとも聞いておきたい」
(なんだって?)
趙汝愚は内心、首をかしげた。嘉王を立てて喪主にするのは分かるが、病気の皇帝の代わりというのはどういう意味だろうか。皇帝は廃するのではないのか。
「留正殿、ご意見よろしいでしょうか?」
「おお、趙汝愚殿か。そなたの意見は是非とも聞いておかねばなるまい。なんといってもそなたは私の秘蔵っ子だからの」
「はあ……」
確かに中央に来てから何かとこの男には世話になったが、別に秘蔵っ子になった覚えは無い。勝手に秘蔵っ子にするな。
「嘉王様を喪主するというのには私も賛成ですが、陛下の代理にするというのには、はっきり言って反対です」
「なんだと?なぜだ申してみよ」
「はい。これについてはまず、前例がありません。父親を差し置いて息子を代理に立てるなんてそんな話があるでしょうか。もう一つあります。これを皇后様が許しても太后様が許しますでしょうか?」
それを言われると留正は石像のように凝り固まった。
*文官のことをこの時代は、士大夫と表現していた。
しかし、面倒なので使いません。