朱熹を呼ぶ⑤
「この臨安には科挙合格者が蟻のように群がっているのです。彼らは科挙に合格しても就くべき役職が無いと言われて追い返されてしまい、仕方なく空きの役職ができるまで臨安で物乞い同然の暮らしをしています。この私も実は李明と知り合うまで、毎日物乞いをしていました」
返す言葉も無い趙汝愚だった。実際にこのころ、せっかく難関の科挙に合格しても空きの役職が無いという理由から、役職に就けぬ者はたくさんおり、そういった者達はみんな空きができるまで待たねばいけなかったのである。
「そうだったのか……李明がお前を寄越したのは、私に都の実情を知らせるためか」
「人物は私でなくてもよかったのでしょうが、あなたに少しは視野を広げてもらいたかったのでしょうね」
「あいつめ……味な真似を」
心の中で李明に感謝した。帰って来たら、給料を奮発してやらねばいけなかった。
とにかく臨安の現状というものを目の当たりにしておかねばならないといけないかもしれなかった。趙汝愚は陳自強を伴って屋敷の外に出た。
なるほど。確かに街には民とは一風違う人々が路地に座っており、ある者は物乞いをしたり、ある者は書物を売ったりしていた。
見るからに知識人という感じである。おそらく彼らが売っているのは、科挙の試験の際に持ってきていた参考書だろう。
「どうやらお前が言っていたのは本当のようだな」
「嘘を言っても得にはなりませんからね」
「どうやら対策が必要になってきたな」
「これはあなた一人だけの問題ではありません。朝廷全体で解決することでございます」
「そうだな……うん?」
趙汝愚が目を向けた先に、見覚えのある人物が数人の人物と地面に座って酒を酌み交わしていた。
それは忘れもしない顔だった。
韓侂冑である。側には大男で使用人の周筠が控えていた。
「韓侂冑」
趙汝愚は声をかけた。
「おお、趙汝愚殿。お久し振りです。まさかこのような所で会うとは思いませんでした」
「私もだ。何をしているんだ?」
「見ての通り、この人達と楽しく酒を酌み交わしているのです。この人達の話を聞くと実にかわいそうです。科挙に合格したというのに、就くべき役職が無いなんて実に不思議だ。まったく今の世の中はおかしい。苦労して頑張った者達が報われず努力もしない奴が高位高官を占めるなんて異常だ」
お前が言えた義理か、と趙汝愚は心中で舌打ちしていた。韓侂冑は親のコネで宮中にやって来た男なので、彼らの前で高説を唱える方がおかしいのである。
ぱち、ぱち、ぱち。
突然拍手をした者がいた。どこの誰だ。非常識なことをする阿呆は。趙汝愚が目を向けると一人の若者だった。
まだ二十代ぐらいである。




