上皇の死②
上皇は五年前まで皇帝としてこの南宋を統治していた人物だった。皇帝の座を息子に譲って退いても朝廷での影響力はまったく変わらず、たびたび朝政に関わっていた。
「上皇が死んだとなるとまずいな」
「何がですか?もしかして、後ろ盾を失ったことでしょうか?確かにあなたを取り立ててくれたのは上皇様であるのは間違いありませんが、あなたは政治にたずさわる事すでに二十年以上、今更後ろ盾なんて……」
「違う。そっちじゃない。お前の言う通り、私を取り立ててくれたのは上皇様で彼は後ろ盾とも言える存在だった。けれども、人間いつかは死ぬものだ。それぐらいの覚悟はしておかねばならない。私はその時のために、一人立ちの準備はしておいた」
「それは結構なことです。じゃあ、何がまずいのですか?」
李明が尋ねたところで粗茶が運ばれてきた。出された粗茶を受け取った李明は、ごくりと一口で飲み干した。どうやら彼には味わうというものは無いらしい。
「おいおい、それは四川から取り寄せた茶だぞ。もったいない」
「四川だろうが河川だろうが、俺は知りません。さあ、早く話を進めてくださいよ」
「学の無いお前には分からないだろうが、この国には上皇や皇帝が死んだら葬儀の喪主は継子がすることになっているんだ」
「なるほど。あの残念な陛下ではとてもじゃないですが喪主なんて無理でしょう。これでは上皇様も浮かばれませんね」
「あんなのでも一応陛下だぞ。口を慎め」
「今、『あんなの』って言いいましたね。いけませんね。陛下に対しての悪口を言っては」
やっぱり話すべきではなかった。こんな間抜けと話しているだけでも、時間が無駄に過ぎ去っていくだけである。
しかし、現皇帝が喪主になって葬儀を執り行えないのは廷臣一同の悩みの種になるはずである。
現皇帝は、即位当初から何かは知らないが病気持ちであり政務の場に出てきたことが、ほとんどなかった。たまに出ようとすることはあるのだが、それを絶対に止める人物がいた。
皇后の李氏だった。彼女はかつて、上皇にきつく叱責されたことがあったので、それを恨みに思い、以降は上皇と皇帝の親子関係を邪魔するようになっていた。
ある時は皇帝のお気に入りの宦官を、またある時は側室を殺害してそれを全て上皇の仕業だと言いふらしていた。
おかげで親子の仲は崩壊し、皇帝が上皇に会うことは無くなった。上皇は親子関係の修復に熱心だったようだが、皇后の飼い犬となっている皇帝には何も伝わらなかったようだ。
皇帝は当然哀れだが、上皇も一緒だった。
かつては統治政策や人材登用に熱心でもあり、北方の金国との対外戦争にも勝利して名君とまでうたわれた人物が、晩年はこんな風になるなんて嫌なものだ。
溜息をついた趙汝愚だったが、悩んでいてもどうしようもなかった。今は葬儀の喪主である。正直言って、皇帝に喪主の見込みは無かった。
皇后の言いなりで、なんの病気かも分からない人物がやってくれるとは思えなかった。
上皇……南宋第二代皇帝の孝宗のこと。
現皇帝……南宋第三代皇帝の光宗のこと。
二人とも日本語の発音が同じでややこしいので、この名前を小説には出しません。もう一つの理由はこの名前は、死後に付けられた諡号という名前なので、生前や死の直後に、この名前が出て来ないのです。
かといって、本名も出せません。皇帝の本名を出すことはかなりの無礼であり、口に出すと死罪です。




