距離2
「こ、香坂さんどうしましょう」
「おやおやおやー?」
駆け寄ってきた片方の男の子が、侑莉の顔を見て首を傾げた。つられて正面にいる侑莉も同じ仕草を返す。
何をやってるんだと凌に背を叩かれてすぐにやめたが。
そんなやり取りを完全にスルーして、男の子はにぃと笑って言った。
「ドッペルゲンガーを見ると幸運が舞い込んでくるんだっけ? ヤバい、宝くじ買いにに行かなきゃ」
「死ぬんじゃなかったか」
何の話なのかさっぱりついて行けない侑莉に代わり、凌が冷静にツッコむ。
というか何処から出てきたドッペルゲンガー。頭の中に疑問符を並べる。
そこでやっともう片方の男の子が侑莉達の前まで到着した。
「すみません、コイツ失礼な事言いませんでした? って、あれ? 巧じゃないか」
「そうなの、衝撃の事実発覚! 巧は男の娘。あ、写メらせてねー」
早口で言われてさらに携帯電話を取り出され、侑莉は咄嗟に凌の腕を掴んでその背中に隠れた。
「巧じゃないです! 弟がいつもお世話になってます!」
もう侑莉自身にも何を言っているのか解ってはいない。
こんがらがった思考の中から浮かび上がった言葉をそのまま口にしているだけだ。それが会話としておかしいと気づく余裕もなかった。
「あ、お姉ちゃんかぁ」
「すみません、コイツがお騒がせしました」
「え、僕?」
「馨以外誰がいるんだ」
馨と呼ばれた少年を、もう一人の眼鏡をかけた真面目そうな相方の子が、無理やり凌の後ろに隠れたままの侑莉に向かって頭を下げさせた。
まるでいたずらをした弟に謝らせている兄のように見える。
「巧ももうちょっとしたら来ると思いますよ」
そう言って礼儀正しくお辞儀をしながら聡史は馨を半ば引き摺るように校門の方へと歩いていった。
かなり一方的なやり取りだけを残し。
圧倒されたと言っていい。彼らの後姿を見送りながら侑莉が気の抜けた声を出した。
「なんだか……すごい子達でしたね」
「お前ビビりすぎだって。腕すげぇ力入れてただろ」
さっきまで侑莉が掴んでいた腕を凌が持ち上げる。そこにはくっきりと指の形をした赤い痕がついていた。
「うわ! これ私どうしよ、痛いですか? 冷やします?」
「痛みはない。まぁ、でもほら」
「へ?」
赤くなった部分を侑莉の目の前に持っていった。意味が伝わっていないらしく問いた気に腕と凌の目を交互に見る侑莉。
「舐めりゃ治るっていうだろ?」
「ああ。え? なめって……わ、私が!? いや、ちょっとそれは、むり……です!」
自分の腕以上に赤くなった顔を横に忙しく振る侑莉に、凌はもっと慌てさせてやろうかと考えた。
侑莉は凌の言葉にいちいち過剰反応するところがある。それに苛つく事もあるが、この反応は嫌いではなかった。
「お前がやったのになぁ」
「そうですけど! でも、でも」
自分のせいだからと強く断れない侑莉のおろおろと困りきった顔を見てから凌は下を向いた。
これ以上耐えられなくなったから。
「くっ、はは!」
それでももう遅すぎたようで思わず声を上げて笑ってしまった。
「こ、香坂さん?」
「やっべ、笑った。アホすぎて笑った」
自分のせいだと申し訳なくていっぱいいっぱいになっていたというのに、アホすぎると言われたら普通は腹が立つだろう。
だけど侑莉はそれどころではなかった。まだ笑いを噛み締めている凌から目が離せない。
この半月、一緒に居た時間は少ないがそれでも何度も会話をしていて、凌が笑った所を見たのは今が初めてだ。
無表情というわけではないが、凌に対して淡々と話をするイメージしか持っていなかった侑莉は呆気に取られて見ていた。
細められた目はいつもの鋭さも消えていて安心できた。
「あ? なんだ、俺に見惚れてんのか」
「えと、カッコいいなぁって思って」
「ん。知ってる」
決して照れているわけではない。平然と言ってのけたのだ。
実際に整った顔をしているから自意識過剰だとも返せないし、嫌味に聞こえないのが凌らしいと思えて侑莉も笑う。
「そういやお前の弟いるって言ってたけど?」
「いえ! 今会ったら何言われるか……。もっと心の準備ができてからじゃないと。それより香坂さんがどこか目的があって入ってきたんじゃないんですか?」
「目的ねぇ。ただ久しぶりに見たら感慨とか湧いてくるかと思ったけど、どってことないな」
ぐるっと校舎を見上げてから侑莉に向き直った。
その顔はもういつも通りの冷めたもので思い出に浸っている様子はない。
今までの口ぶりで、そうではないかとは思っていたが、凌はここの卒業生だったようだ。
「香坂さんの高校時代って想像できないです」
「別に普通だ。適当に勉強して遊んで女作って」
「女ですか……」
「あん頃は若かったなぁ」
目を細めて空を眺める表情は記憶を手繰り寄せているようで、この学校よりも思い出が沢山ありそうだと侑莉は思った。
そしてふと、前に若いなと凌に言われたのを思い出した。
「そういう事言うから香坂さんもっと年上だと思っちゃったんですよ」
「ああ? 十代だと思っていい気になるな。人をオッサンみたいに言いやがって」
「そうは言ってないです! うあ、香坂さんストップー!!」
「うるせぇ」
凌は片手で侑莉の顎を固定すると、もう一方の手を顔に持っていった。
引きつる顔を見下ろしながら容赦なくでこピンを一発。
「いったぁー……」
ズキズキとした痛みに、絶対に力を加減してなかったと確信が持てる。
「香坂さん扱いがヒドすぎます!」
「それよく言われる」
「ちょっとは直そうとしないんですか……」
額に手のひらを当てて後ずさる侑莉は恨めしげに凌を見た。
人見知りしていたのか、ずっと一歩退いて遠慮しながらの会話ばかりだった侑莉はここにきてやっと普通に話すようになっていたし、態度にぎこちなさが消えている。
それは凌の態度に険が無くなったからなのだが、そこに彼は気づいていない。
理由などどうでもいい、ただ鬱陶しいと思う事がなくなった、それが分かれば良かった。