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真夏の夜に  作者: 裕
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共生3

 侑莉がマンションに帰ってくると玄関に見たことのある靴が置いてあるのが目に入って「あ」と小さく呟いた。

 まさかまだ明るいこの時間帯に帰ってきているなんて思わなかった。途中で寄ったスーパーの袋を握る手に力が入るのを感じて、どうしてと自問する。

 どうして私はこんなに緊張してるんだろう。

 私はあの人の何がこんなに怖いんだろう。

 そろそろと足音を極力たてないように歩いて、ゆっくりリビングのドアを開けた。まるで帰ってきた事を悟られたく無いように。

 不法侵入をしているわけではないのだから、そんな事をする必要などないと分かっているけれど、出来れば自室のほうにいて顔を合わせないでいたかった。

「ああ? 知るかボケ。そんなくだらん事で俺の安眠を妨げるな、死ね」

 ソファに座っていた凌が携帯電話を傍にあるクッションに投げつけたのと、侑莉がリビングに入ってきたのとが同時。

 あらん限りの暴言が一瞬自分に対して言われたのかと目をパチクリとさせたのだが、クッションから床にゴトリと落ちた携帯電話に気付いてホッとする。

「お帰りなさい、香坂さん」

「今帰ってきたのはお前」

「ええ、まぁ……そうなんですけど」

 久しぶりに凌が帰ってきたような気がしたから言ったのだが確かにその通りだ。

 私が何か喋るとこの人を呆れさせてしまうらしい。そう思うとこれ以上話しかけられなくて、スーパーで買ってきた食材を黙って冷蔵庫にしまい始めた。

 自分のものではないはずの冷蔵庫に、侑莉が買って来たものばかりが並んでいる。それがとても変な気分だった。

「晩ご飯は何だ?」

「わぁぁっ!」

 ソファにいたはずの凌がいつの間にか後ろに来ていた事に気がつかず驚いて、カツン、と音を立てて手にしていたヨーグルトのカップを床に落とした。

「ああぁ!!」

「お前……」

「ご、ごめ――」

 カップが割れていない事を確認してから、ハッと気付いたように振り返りざま謝りかけて口を閉ざした。いや、閉ざされた。

 ポカリと頭を叩かれてしまったのだ。

「いた……」

「俺を誘ってんのか?」

「へ? いいえ滅相もない!」

 勢いよく首と手を振って急いで後退りする。一週間前、鬱陶しいから簡単に謝るなと言われたのだ。犯すぞという脅し付きで。

 侑莉はすっかりと忘れていたが、どうやら凌は覚えていたらしい。

「で、メシ」

「あ、ああ、冷やし中華にしようかと。他のが良かったら作りますよ」

「いや、それ食う」

「分かりました」

 笑顔で頷いてキッチンに立った侑莉の後姿をぼんやりと眺めた。どこに何が置かれているのか把握して要領よく動いている。

 二週間で凌の知らないうちに侑莉は何の違和感もないほどこの部屋に馴染んでいた。

 そう、もう二週間も経っているのだ。だがスーパーで食材を買い込んでいたのを見ると、まだここを出て行く気はないらしい。

「明日からお盆だろ。家に帰らないのか」

「できれば……」

「いいけど。ていうか大丈夫なんだろうな、ちゃんと親に言ってるのか? 今頃捜索願とか出されてたりしてても知らんぞ」

 今まで聞かなかったが、出会った日のことを考えれば多分家出だろう。家庭の事情かケンカかはどうでもいいが、これ以上の面倒に巻き込まれるのだけは避けたい。

「それはないと思います。私がこの辺りにいる事は知ってるんですから、探す気があるならもうとっくに見つかってるはずです」

「見ず知らずの男の家に転がりこんでるとは言ってないんだな」

「ええっと……、今はちょっと連絡の取りようがないんですよ。その、アクシデントで……携帯を」

 出来上がった冷やし中華をテーブルに置きながら口ごもる。

「落としたのか」

「いえ、壊れて捨てたっていうか……壊れたから捨てた?」

 わざと交差点に落とし、通行していた車に轢いてもらったのだとか。

「それは壊れたっていうか壊した、だろ」

「もうぺちゃんこのバラバラでした」

 へラっと気の抜けるような笑いを漏らした侑莉がどういう状況でそんな事をしたのか凌には想像がつかない。まず家出をする事自体、有り得ないような気さえした。

「乱心ってやつ?」

「それに近い、かも。父親とケンカして家飛び出したんですけど、すぐにその父親から電話掛かってきて『携帯のGPS使えば一瞬で居場所が分かるんだからな!』って言うから更に腹立って。折った後駅のゴミ箱に捨てました」

「GPS付けれられてんのか」

「私も知りませんでした」

 下唇を持ち上げて拗ねているところを見ると、まだ怒りが残っているらしい。

 しかもそこまで過保護な親なのに、本当に捜索願だされてないんだろうなと疑問に思う。

 だが、長期にわたりこうやって何を要求するでもなく寝床を与えているのだから、感謝されこそすれ誘拐犯などに仕立て上げられることはないだろうという考えに至るとそれ以上は詮索する必要もない。

 というよりも、侑莉の事情など凌にとってはどうでもよいのだ。

「取り敢えず明日からのメシの心配はしなくていいって事だな」

「お仕事休みなんですね」

「ここんとこ休日出勤までさせられてたからな。四日間がっつり休ませてもらう」

 侑莉はもうほとんど空になりつつある凌の皿を見ながら、どう話を切り出そうかと迷っていた。

 それはオーナーにも言われた事。

「香坂さんは四日間とも家にいるんですか……?」

「俺を追い出す気か。いい度胸だな」

「ち、違いますよ! そうじゃなくて、その……もし恋人がいるんだったら私ものすごく邪魔、ですよね?」

「お前そういうのは一番初めに聞くべきだろ」

「あの時は自分の事だけでいっぱいいっぱいで」

 気付いた時に言えれば良かったのだが、なかなか凌に会えず時間が経つにつれて言い出しにくくなってしまったのだ。

「安心しろ、そういう煩わしいもんは作らん主義だ」

「そう、なんですか……。女性用のシャンプーとか化粧落としが置いてあったから、てっきりいるのかと思ってました」

 煩わしい、という言葉に酷く引っかかりを感じたが、そこを深く聞く気にはなれなかった。侑莉が聞いていい話題だとも思えない。

「ああ。あれは瑞貴が置いてったやつだ」

「ミズキ?」

「アイツのなんか使いきれ。訳の分からん事言って並べやがって。アイツは碌な事しやがらねぇ、さっきもくだらん電話で安眠妨害するし」

 舌打ちをする凌に、ああそういえば酷く怒っていたと携帯を投げつけていた事を思い出した。

 だけど、家に彼女のものが置いてあるくらいに仲は良いのだろう。

 もしかしたら、侑莉が今使っている部屋のベッドなども瑞貴という女性のものかもしれない。

「ミズキさんは怒りませんか?」

「は? 怒る? 何で」

「私が使わせてもらってる部屋ってミズキさんの部屋、ですよね?」

 恋人ではないにしても、彼女はそれに限りなく近い人なのではないか。それなのに自分がこうしていていいのかと、遠まわしに言う侑莉に凌は深い溜め息を吐いた。

「あれはアイツが要らないからって押し付けたやつ。何で俺が瑞貴と付き合わなきゃなんない。アイツの趣味は小さくて可愛い男だ。つーか有り得ない間違いすんな! 気持ち悪い」

「すみ……、もう間違えません」

 つい反射的に謝ろうとし、慌てて言い直す侑莉に苦笑して、さっきからほとんど動かしていない箸の方を見た。半分以上残っている冷やし中華は、もう冷えてはいないだろう。

 手を伸ばして少し取ってやろうかと思ったのだが、生温くなっているのを想像して止めた。

「その瑞貴だけど。近いうちに来るかもしれん」

「そうなんですか」

「お前の事言ったら見てみたいってよ」

「えっ!?」

「まあ適当にあしらえ」

 立ち上がりながら軽く言うが、今の会話内容では瑞貴がどういう人物なのかは掴めない。それにどうして目的が侑莉なのか。

 凌は恋人なんて有り得ないと言っていたが、相手がどう思っているかは別だ。

 そう考えるとあまり会いたいとは思えなかった。



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