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真夏の夜に  作者: 裕
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エピローグ

 小高い丘になっているそこは、周囲は緑に囲まれ、前方は町が一望できるようになっている。見晴らしが良く、清々しい風が流れる霊園。

 その一区画にあるのは侑莉の母親の墓だ。墓前にしゃがみ込み、丁寧な手つきで石に触れる男性を少し後ろから凌は見ていた。言葉は掛けない。何を言えば良いのか思い浮かばなかった。邪魔にはならないようにするしかない。

 だが暫らくして立ち上がった侑莉の父親、宮西みやにし つかさは凌に笑いかけた。

 歳相応の皺が刻まれている表情は穏やかだが、しゃんと立ち背広を着こなす姿は僅かの隙を見せない。

 おっとりとした侑莉とも警戒心の強い巧ともあまり似てはいなかった。そして、侑莉から聞いていた父親像ともかけ離れているように思えた。彼女の口から出る司の姿はあくまでも家族に対しての顔という事なのだろう。

「すまないね、こんな所に付き合わせてしまって」

「いえ」

 首を振った凌に笑みを深くした司は、もう一度妻の墓に目をやった。

「夏の間娘がお世話になっていたようで、ずっとお礼も兼ねてきちんと会いたいと思っていたんだ」

 柔らかい物腰とは裏腹に伝わってくる威圧感に、凌は乾いた笑いを漏らした。司の子どもの溺愛ぶりは侑莉の話からも感じ取れたほどだから予想はしていたが。

 値踏みするというよりも、凌の言動を見て即座に人となりを見透かされるような感覚に陥る視線に居心地の悪さを感じたけれど、侑莉の事に関して特に気づかれて困るようなものは一つもない。

 司と同じように強い視線で見返した。会いたいと言われ、ここに連れて来られるとは思ってもみなかった。

「侑莉から君の事を聞いたときは正直驚いた。いや今もだけれど」

 娘から夏に家出をしていた際の真相を聞かされたときは頭痛さえした。そこまで大胆な行動を取るとは、さすがの司も想定できなかった。

 しかも、その相手というのが凌のような人間であったという事が何より驚きだった。どこまでも侑莉とは正反対の凌。

 子ども達から聞き集めた凌の人物像と、こうして面と向かってみて感じる人柄は大して差を見せない。裏も表もない、これが彼なのだろう。

 常であれば決して侑莉が近づかないであろうタイプで、ある意味では千春ともまた真逆を行く人だ。

 けれど、だからこそ侑莉の本心はそこにあったのだと理解できた。手を差し伸べて甘やかしてくれる人ではなく、あくまで自分で立てと叱咤するような。弱さを容認するのではなく、強くなれと言ってくれるような人。

 何故侑莉は凌の元を一度は離れたのか、凌が尋ねたときだった。侑莉は母親の死の事、千春と付き合っていた時にあった事故の事を話した。あまり言いたくはなかった。

 何時までも過去に引き摺られているなんて鬱陶しいと思われるかも。

 女の子に怪我をさせ、母親を死なせてしまった事実を侑莉は多分これからも気に病み続けるだろう。

 そんな侑莉を重たいと思うかもしれない。 だが凌は心底意味が分からないという顔をした。

「お前の行動の原因は分かったけど、それで何で俺がお前の過去を負担しなきゃいけないんだ。後悔したいなら一人でやれ、俺は知らん」

 冷水を掛けられた気分だった。侑莉は無意識のうちに凌に自分の過去を持ってもらおうとしていたのだ。

 凌は原因さえ分かればそれで良く、侑莉が過去に苛まれていたとしてもまた凌の元を去るような真似さえしなければ問題はない。もう何年も前の出来事など、彼には何の関わりもないのだから。

 そして侑莉もこれから先、凌が傍に居てくれるのならそれ以外は望まない。 だから凌の言葉は嬉しかったのだと侑莉から聞いたときは、素直に頷けなかったが。

 司はずっと、優しく侑莉を支え続けてくれる男性が現れる事を望んでいたのだ。

「それに、よくも君のような人があの子を受け入れたものだ」

 こちらの方がより信じられなかった。

「私が言うのもなんだけれど、侑莉は自分の事に消極的で否定的だ。君には理解出来なかったんじゃないかな」

「そうですね」

 取り繕いもせずあっさりと肯定した。全くどこまでもこの男と自分の娘の共通点が見出せない。

「でもお互い様でしょう」

 目を見張った司に凌は口の端を上げた。随分と挑発的な表情だったが、司は流した。

「そうだな、だからあの子は柵から抜け出せた」

 理解出来ない。しようともしない。合わせるでもない。けれど無意識に自分の側へと引き込もうとはしているかもしれなかった。

 解り合えないことも多いだろう。それで良かった。それでも惹かれながら、少しずつ少しずつお互いに近づいていく。

「で、だ。親から見ても侑莉はなかなか面倒な子だからね。君みたいな人が早々現れるもんじゃない。だから逃したくはないわけだ」

 にっこりと笑顔でありながら有無を言わせぬ威圧感を放つ司は、くいと妻の墓を顎で指した。

「母親を安心させてやってくれないか」

 何をすればいいかはさすがに分かる。だがこの父親の押しの強さはなんだろう。僅かにでも娘の侑莉が父親に似ていたのなら、今回ここまで拗れなかったかもしれない。

 そんな事を思いながら凌は墓前に膝をついた。


「買ってきたよ!」

 珍しく怒気を含んだ声音で侑莉が言う。その手には花束が乗せられていた。

 隣にいる巧の手には水の入った桶が。彼もまた不機嫌そうだ。そんな姉弟に父親は朗らかに笑いかけた。

 二人の怒りの矛先が決して凌ではなく自分に向いていると分りきっていて、だ。

「遅かったじゃないか」

「お父さんのせいでしょ? もう、だから私が言ったのに」

 この墓地へ来る途中、道のすぐ側にあった花屋が目に入った侑莉は父親に、そう言えばお供えの花を用意していないから買った方がいいのではないかと提案したのだ。

 だが司は必要ないとはっきりと返した。少し墓を綺麗にしてあげればそれでいいと。なのに着いてすぐ、やはり花があった方がいいと言い出して、侑莉と巧に買いに戻らせていたのだ。

 要領が悪すぎると散々文句をたれながら子供達は凌を残してUターンし、今やっと帰ってきた。侑莉は凌を一人置いていく事にかなり抵抗を覚えたようだったが、司が容赦なくおいやってしまった。

 ちらちらと後ろを振り返りながら花屋に向かうのを見送りながら凌が苦笑するほどだった。この父親と二人きりにさせるのに不安を感じるのは当然だとすぐに気付いたが、司は最初からそれが狙いなのだとも気付いていた。

 侑莉はくいと凌の服の袖を掴んで、小声で問うた。

「お父さんと二人で何話してたの?」

「あー色々」

 取り立てて本人に伝えるような内容ではない話で、凌はぼかした。首を傾げる侑莉に司が肩を叩いた。

「手のかかる娘をよろしくって言っただけだよ」

「……凌さんに変な事教えてないでしょうね」

 引っかかる言い方をする父親をじとりと睨む。正確に何を伝えたと教えられても、恥ずかしい思いをするのは侑莉のような気がするので深くは追求しないが、知らないままでいるのも気が気ではない。

 誰よりも侑莉の過去を知っている司だから、赤裸々に語られては堪らない。

「いい加減こっち手伝えよ!」

 無言で父親をけん制していると、一人で花を供えていた巧がついにキレた。慌てて侑莉は手伝い始めたが、司と凌は後ろで眺めているだけだ。

 花も供えて参り終え、司もこの後仕事が控えているので帰る事になった。綺麗に整えられた母親の墓石の前に改めて立つ。

「侑莉行くよ?」

「あ、うん」

 三人の元へと駆け出した。そっと凌の隣まで行く。凌は横目で侑莉を見ると、僅かに笑みを作った。

 それを見返しただけで胸がいっぱいになる。

 侑莉は一度だけ後ろを振り返った。

 いっぱい心配かけたかもしれないね。

 でももう大丈夫だよ、お母さん。

 もう大丈夫。過去はなくならないし、忘れるなんて出来ない。でもそこに縛られて現実から逃げる事はもうしないから。それを許してくれない人もいてくれる。

 支えてくれる人達がたくさんいる。何をおいても、傍にいたい人が出来たから。

 左手の薬指にはまった指輪を撫でる。

 

 その時、ざああと後ろから強い風が吹いた。

 なんとなく、背中を押してもらったような気がした。





ここまでお付き合いいただいた皆様、ありがとうございました

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