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真夏の夜に  作者: 裕
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追走


 目の前に置いたアルミの灰皿は一部分が凹んでいる。その歪みが最近出来たと思うのか、随分と前であったと感じるのか。数ヶ月という月日を捉える感覚は、人それぞれだろう。

 数字で見れば先日と言ってしまえるものだが、記憶を辿ればそれは存外に遠いものだというのが凌の答えだった。

 以前吸っていた煙草の最後の一箱。もう半分も残っていない内の一本を取り出して火を点けた。

 壁掛けの時計を見やってから煙を吐き出す。自然と零れる溜め息を紛らわすような仕草だった。事実その為の喫煙だ。

 ピンポーン

 突然のチャイムに眉を寄せ、煙草を手にしたまま玄関に向かう。こんな事をする人間は一人しか思い浮かばない。

「よーっす」

 部屋の前に立ち、気の抜けるような挨拶をするのは瑞貴だった。予想通り過ぎる人物に白ける。一度は開けたドアを閉めてやろうかと思ったくらいだ。

 だが瑞貴に閉めだしはあまり意味がないような気がしてめやた。

「オートロック」

「暗証番号でちょちょいのちょい。この世で俺に分かんねぇ事なんて無いっつーの」

 ああそうかよ。実際問題、入居者には知らされていないはずのオートロックの暗証番号をあっさりと当てたというのはあらゆる意味で恐ろしいのだが、それ以上は突っ込まなかった。

 そんな事は旧知である彼には無意味で、そんな気も起こらないし、そんな気分でもないからだ。

 何しに来たんだ鬱陶しい、くらいしか思わなかった。そうでなくとも、すぐに出掛ける予定があるというのに。

 取りあう気のない凌だが瑞貴は構わない。いつもの如く思うがまま、赴くままに行動するのみ。今回に関しては凌の目的を承知していて、イコール瑞貴の目的でもある。

「じゃ、行こうぜ」

「は?」

「だーから言ってんだろうが、俺が知らない事なんて無いんだって」

 これから凌がどこに向かおうとしているのかも、何をしに行くのかも。誰に会おうと思っている、思い続けていたのかも知らない筈がない。

 何故かと問われれば、それが新岳 瑞貴だからだと彼は答えるだろう。だが不本意であっても伊達に長年友人をやっている凌ではなく、ああと納得した。

 瑞貴は侑莉がアルバイトをしていたコンビニの店長で、凌に彼女の連絡先を教えたのも瑞貴で、それでいて侑莉の弟とも繋がりがあるのだ。

 知らない筈が無い。舌打ちをした。

「鍵」

 それだけ言って凌は部屋の中へ戻っていった。瑞貴に貰った侑莉の連絡先の書かれたメモは、結局役に立たなかった。

 敢えて言うならば、貰った数日後に携帯に登録されていない固定電話から掛かってきたときに、どこかで見た数字だとどうにも引っかかり、普段なら絶対に出たりはしないのにその時は気になって出た。

 そのくらいだ。

 電話を掛けてきた相手はなんと巧だった。タイミングの良さに瑞貴が一枚噛んでいるのかと思ったが、どうやら時期が重なったのは偶然らしかった。

 凌の番号を教えたのは瑞貴で間違いなかったのだが。内容は侑莉に会いに来るな、電話を寄越すなというものだった。

 どうせ今の侑莉の状態ではまともな対応出来ないからと。また逃げを打つだけだ、とも言っていた。

 侑莉と瓜二つの顔をしている弟は、初対面の時と同じように可愛げのないとことん無愛想な口調で淡々と告げた。

 だがただの訪問拒否ではなく「少し待て」という事だった。その“少し”は明確な期限として提示され、終了は昨日。

 期限を過ぎれば今日以降は好きにすれば良いと、あの弟にしては侑莉を突き放すような言い方だった。

 凌が巧の何を知っているわけでもないのだが、侑莉から偶に聞いた印象からすればもっと過保護に姉を匿うように思えたけれど。

 何はともあれ、だから今日捕まえに行くのだ。ひらりひらりと籠から出て行った蝶を。

 侑莉には何かしら必要であったらしい数ヶ月。馬鹿らしい。

 けれど大人しく言われた通り待っていたのは、存外にもまた逃げると言われたのが響いたせいだ。

 一番馬鹿らしいのは自分ではないだろうか。待て言われて逆らわず、だがそれに何の意味があるかなんて凌は知らず。

 また未だに侑莉が何も言わず手元から逃げた理由さえも見つけられない。知るか、と思う。その思いは日毎に増してゆく。どうしてこんなまだるっこしい事をしなければならないのか。

 彼女の自分に対する感情がどういうものか分かっているから尚の事そう思う。こちらは可能な限りの譲歩をした。ならばもうやりたいようにやるだけだ。侑莉の覚悟も葛藤も、そんなものは初めから凌には意味がない。要らない。

「侑莉ちゃん今、水無瀬の文化祭に来てるらしい」

「へぇ」

 思ったよりも早く辿り着きそうだ。

 凌が望むのは最初からたった一つであって、それを本人には伝えていたつもりだが、理解していないなら今度は嫌と言うほど解らせるまで。

 見つけ出して掴んで、もう二度とどこにも行けない様にする。それだけだ。



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