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夏休みに入った学生達が普段なら学校に行っている時間帯にコンビニにちらほらと現れていた。
空気が揺らめくほどの熱気に満ちた店外とは違い、内は快適な空調に守られている。
一通り客が引くと店員達はカウンターの中でほっと息を吐く。
そして徐に気を抜いた。
「疲れたぁー休憩してぇ」
「さっきしたじゃん」
カウンターに身体を預けて怠そうにしている男の店員は岸尾 頼。
その横で肩を回している女の子は竜野 希海という。
「てぇいっ!」
明らかに高校生の男女の店員がだらけていると、いつの間に出てきていたのか、スタッフルームで雑務をこなしていたはずの雇い主であるオーナーが背後に立っていた。
軽く二人の頭を叩き、怒っているというパフォーマンスとして腕を組む。
「仕事しなさい! 給料あげないよ全く」
「つっても客いないし」
「他にもいっぱい仕事はあんでしょうが」
「掃除はもう飽きた――あ」
二対一の問答を繰り返していると、来客を告げるインターホンが鳴った。
反射的に三人同時に入口を向く。
「あっ」
希海が客に指を差した。
「どうした? ……あー!! あんたっ!」
店内に入ると同時に店員に大声を上げられて、おまけに指まで差された客は驚いて目を丸くしたまま入り口で固まってしまった。
「あっははは、ごめんなさいねぇ。このバカアホが失礼な事を」
大声を出した男の後頭部を押して、ゴツンと盛大な音を立ててカウンターに額を叩きつけたもう一人の男がヘラッと笑って謝る。
「バカアホはあんただろ! 暴力反対! パワハラ撲滅!」
「おや、パワハラなんて言葉知ってるなんて驚いた。意味分かってる?」
「パワーだから力だろ? 物事を暴力で解決すんなって事だろ?」
「いい事は言ってるんだけどねぇ。今月のお給料は英和辞典を現物支給しようか」
自分を残したまま会話をどんどんと進めてゆく店員達を客こと侑莉はただ所在無さげに眺めていた。
話はどんどんと横道に逸れていっているが、自分が割って入って中断させても良いものなのか。
そんな侑莉を助けたのは、一歩引いたところで見ていた希海だった。
「オーナー、岸尾。お姉さんが困ってるよ」
「あっ、忘れてた。本当に申し訳ない」
「い、いえ……」
オーナーと呼ばれた男に頼りないともとれる笑顔を浮かべて頭を下げられ、慌てて首を横に振る。
「で? 何でさっき頼くんは叫んだの」
「この人ほら、一昨日に来た人だって」
「ええ!?」
今度はオーナーが声を張り上げて侑莉をまじまじと見た。
「あの……?」
侑莉は確かに一昨日ここを訪れはしたが、そこまで長居をしたわけではなく、まさか一度きりで顔を覚えられていたとは思わなかった。
しかも話題に上げられていたなんて、何か迷惑でもかけただろうかという不安がこみ上げてきた。
「すみません、何か私迷惑をかけましたか?」
「いえ、この二人がバカで失礼なだけなんです。気にしないで下さい」
申し訳なさそうに謝る希海と、彼女に頭を叩かれてペコリと頭を下げる二人。
「良かった、ならいいんですけど……」
「バカでもいいんですか?」
「ち、ちがっそうじゃなくて!」
「ですよね。バカはダメですよね」
ニコッと笑って殊更にバカを強調して二人を攻撃する希海。
オーナーはショックを受けたと言わんばかりにカウンターに両手を付いてガックリと項垂れた。
「頼くんと一緒にされたー……」
「光栄に思えよ!」
「そんな無茶なこと言わないでもらえる!?」
「私からすれば二人と深夜組はみんな同類だよ」
「うっそ、新ちゃん達とも!? もう僕立ち直れない……」
この人たちはいつもこの調子なのだろうか。
またも置いてけぼりを食らった侑莉は静かにそんな事を思った。
話が掴めないからただ聞いているしかできないが、三人は仲が良さそうで自然と笑ってしまう。
その侑莉の小さな笑い声にオーナーがハッとして向き直った。
「ホンットすみませんー」
「いえそんな……。あ、そうだ」
すっかりとここに入ってきた目的を見失うところだった。
「外の求人の張り紙見たんですけど。まだ募集してます?」
「つまりアンタここで働きたいって事?」
客が侑莉以外誰もいないのをいい事にカウンターに手をついてダラけた姿勢で岸尾が、けれど表情は興味津々の態で訊いた。
「はい。もう……締め切った後でしたか?」
「お名前は?」
「宮西 侑莉です」
「侑莉ちゃんね。よし採用!」
「へ?」
オーナーが勢い良く差し出した手に思わず自分の手を合わせて、ガッチリと握手を交わしてしまった侑莉はまだ状況がまだ掴めていない。
「えと、私まだ履歴書とか……」
「そんなの今テキトーに書けばいいよ。で、いつからシフト入れる? もう今から入ってもらってもいいくらいなんだけど」
手を握ったままのオーナーの頭を両サイドから希海と頼が殴り、手を無理やり引き剥がしてバックルームに引きずり込む。
「お姉さんも入ってきて」
希海が手招きをしてバックルームに引っ込んでしまうと一瞬どうすればいいのか悩んだが、「スタッフルーム」と書かれたドアから遠慮がちに中に入っていった。
既に侑莉が店に入ってから三十分が経過している。
午後も二時をまわると客足も疎らになり、希海と頼が商品を整理していると、バックルームから大音量のオーナーの笑い声がした。
二人は目を見開いてオーナーがいるであろう方向を凝視する。
「な、なに?」
「知らね。でもかなり面白そうだってのは伝わってくるな」
暇だし行ってみるか、と再びバックルームへ。
そして入った途端に目に飛び込んできたのは、お腹を抱えて笑い転げているオーナーと、拗ねた様子でそっぽを向く侑莉だった。
「あっはは! 親父さん最高!!」
「最低ですっ! 全く笑えませんから!」
「いやいや。はー苦し! あれ二人ともどうしたの」
目に涙まで浮かべているオーナーがポカンと口を開けた二人に気付く。
「オーナーのアホバカ笑いが聞こえてきたから」
「アホバカは余計! もうねぇ、侑莉ちゃんっていうか、お父様が素敵すぎて」
「だからっ!」
あの人のどこらへんが!?
気が楽になるかもとオーナーに話したのに、逆に気が重くなってしまった。
まさかこんなにも笑われてしまうなんて。
机に突っ伏した侑莉の肩がポンと叩かれて顔を上げると、笑顔の希海が。
「いい所なんだよ」
その言葉に真実味と説得力がまるでない。
だけど、頼とオーナーの
「で、どんな話だったんだ?」
「えぇー? それはボクの口からはぁ……」
「ニヤニヤしてんじゃねぇよ」
という問答を聞いて、やっぱり人間関係は確かに良いのだろうと何とか思い直す。
「えと、これからよろしくお願いします」
深々と頭を下げた侑莉を、三人は笑顔で迎え入れた。