団欒2
結局、千春も交えて三人で夕食を食べた。
寮の門限があるらしいので既に帰った後、侑莉は洗い物を片付け、巧はぼんやりとテレビを観ている。何の事はない、普段通りの静かで穏やかな時間が流れていた。
ガチャン、バタンッ!
玄関の開閉音と慌しい足音が近づいてきたかと思うと、その勢いのままにリビングのドアが開いた。
侑莉は驚きに食器を落としそうになってヒヤリとした。
「ど、どうしたのお父さん……」
侑莉と目が合った瞬間、がっくりとその場に崩れ落ち床に手をついて打ちひしがれる父親が、どうしてそんなにもショックを受けているのか分からない。そんな泣きそうな顔で見られても、と戸惑った。
「間に合わなかった……親子水入らずの食事が……」
多忙な身である父親が、侑莉達と食事が出来る時間に帰って来られる確率はかなり低い。
だからこそそんな日は貴重で、衣服の乱れも気にせず飛んで帰ってきたというのに、二人の子ども達は無情にもさっさと済ませてしまっていたのだ。
この絶望感は果てしない。
「早く帰ってくるなら言ってよ! 分からないじゃない」
「驚かせたかったんだよ……」
力なく立ち上がってよろよろとキッチンのイスに座る。僅かに巧が嫌そうにしたのには気づかなかった。
「まあ二人の顔見ながらご飯食べられるだけで良しとしよう。というわけで巧、こっち来なさい」
こそこそとリビングから出て行こうとしていた巧に目敏く気付いていたらしい父親が手招きする。
巧は舌打ちをしながらも大人しく戻ってきた。なんだかんだと言って父親に反抗しきれていない弟に侑莉は忍び笑いをした。そして彼女も巧の隣に座る。
「その、なんだ。どうだ巧、学校は慣れたか?」
「もう二年目なんだけど。どんだけコミュニケーション取れてない親子の会話だよ」
「何か言いたい事あるなら早く言ったら? お父さん」
あまりダラダラと無意味な会話を続けては巧が今度こそ自室に篭ってしまいそうだ。
まったく、たまに顔を合わせても喜びもしてくれないのか、この子達は!
不満たらたらな顔をして、侑莉の助け舟に父親は渋々乗った。
「実に言いにくい事ではあるんだがな、隠していてもしょうがない。お父さん再婚しようと思ってるんだ」
「……うそ」
「うん、大うそ。そんな重要な話ってわけじゃなくてな」
ガタタ、と子ども達は二人同時に立ち上がった。ご飯を頬張っていた父親は噴出しそうになり、手の甲で押さえた。何事が起こったのか。
「風呂」
「片付けの続きしよっと」
「ちょっとちょっと二人とも! 座って話し合おう、な」
テーブルを叩く。この父親は自分の冗談の性質が悪いのだと知らない。巧は再度、忌々しげに舌打ちした。
「いやーなんて言うかね、今回侑ちゃんが家出したのでお父さんもちょっと干渉しすぎたかなぁって反省したわけです」
「え!?」
「巧にも散々怒られたし……」
「当然だ」
遠い目をした父親に、それはもう悪口雑言の限りを尽くされたのだろうと想像する。気持ちは巧への感謝半分、父親への謝罪半分だ。巧を見ると、ふいと目を逸らされてしまったが「ありがとう」と伝える。
「それでね、子離れしなきゃいけない時期に来てしまったなと思う今日この頃、お父さんはもう二人の行動にとやかく言うのをやめます、極力」
「そらすごい進歩だな。極力ってのが気になるけど」
「心配じゃないわけじゃない。ウザがられても関わり合おうとして何が悪い、それだけ愛してるって事じゃないか! とまだ思わないでもない」
ふらふらと、子ども達の行動は不安定で危なげで、見ていられなくてついつい手を出してしまう。
親が一つ干渉すれば、子どもには十の重荷になる事もあると分かっていても。
片親だという負い目も手伝って、人一倍幸せになってもらいたくて取った行動でも、これではいけないのだ。
「それにね、相手の反応を怖がるあまり本心を隠して距離を取っていては虚しいばかりだ。自分の思いは言葉にして行動に出なきゃ伝わらないよ」
侑莉が頑ななまでに人を好きになろうとしないし好意を持ってもすぐに逃げようとする、その元凶を作ってしまったのは、紛れも無く己だった。
まだ幼かった侑莉に失う事の恐ろしさを植えつけた。だからこそ、それは違うのだと教えたくて必要以上に世話を焼く。
余計なお世話だと鬱陶しく思われているとは解っていても、やめられない。
「お母さんが死んだとき、正直もう生きていたくないってほど辛かったけれどね。それでもまた笑って生きていこうって思えるようになったのは、お母さんとの思い出とお母さんが遺してくれた君等がいてくれたからだよ」
覚えておいて欲しい。愛してさえいなければ、こんな悲しみに暮れる事などなかったのだと、馬鹿げた後悔は一度たりともしてはないと。
母親にそっくりな顔をした姉弟に、父親は笑いかけた。失う事を恐れて人を愛さないのは間違いだと父は言う。ならば
「もし、想いがぶつかったら。私が誰かを好きになってしまったばっかりに、他の人が傷つくって分かってたら、どうしたらいいの……?」
声を震わせる侑莉に、巧は眉を寄せた。姉が思い詰めている原因に思い当たる節があった。
家に帰ってきて以降、一度も口にしない一夏の同居人の話。
不遜な態度で優しさの欠片も見せない、それでも赤の他人のはずの侑莉をずっと家に住まわせていたあの男に関わる事だろう。
「悩む必要はないね。その好きな人から侑莉が自分の意思で離れるんだったら、もうそこでお終いだ」
侑莉は目を伏せた。お終い。侑莉があのマンションを出た時点で凌とを結ぶ糸はぷつりと切れていたのだ。
解っていたはずだったのに、人からその事実を突きつけられて今更どうして心が痛むのか。
「その人の隣に自分以外の誰かがいるのを想像して、我慢が出来る程度なら諦められるだろう」
誰かが当然のように凌の隣にいて、あの部屋に、侑莉がいたあの場所に。
侑莉が独り占めしていた凌のさり気ない優しさだったり、子どもっぽい寝顔だったり、あそこにあるもの全てが他の誰かのものになってしまう。
自分から手放したくせに、求めて止まない。我慢なんて出来るはずがない。解っていたはずなのに、誰かに訊かずはおれなかったのは諦められない確かな証拠で。
「どんなに上手く立ち回ったって、いつかどこかで誰かと衝突するものだよ。だったらそれは他の人には譲りたくないって思うもののためでありたい。違う?」
侑莉は俯いたまま、ふるふると頭を振った。
「うん、侑莉に足りないのは他者より自分を優先する勇気だね」
昔から、敵意を向けられる事を極端に恐れて自分を押し殺す癖がついてしまっている。
争うくらいなら自分が負ければいい。引けばいい。些細な事で気に病み苛まれる弱い精神力が、皆に優しくさせる。
誰だって良く見られようと八方美人になったり見栄を張ったりするものだ。けれど度が過ぎればただの逃避でしかない。ただの弱さだ。
難しい事を言っている。侑莉でなくても。頭では割り切れても、いざ行動に移すとなると二の足を踏んでしまう気持ちは分かる。
自分が幸せになるために、人には泣いてもらおうなどと簡単に出来るわけが無い。普段はきつい事を平気で言ってのける巧だってきっとそう。
「それともう一つ」
人差し指で天井を指す父を、二人は目を瞬かせて見た。
「これは相手ありきの話だからね。行動を起こす起こさないの選択権を持っているのは何も侑莉だけじゃない。皆が自分の思うように動いて結果どうなるか……要するに一人で悩んでても答えは出ないって事だ」
自分の思い描いたようにすんなり進んだりしない。それぞれが別々に考えて行動しているのだから当然だ。
侑莉が危惧する事態になんてなり得ない可能性だって低くない。何を悩んでいたんだろうと笑い飛ばせるかもしれない。その時が来てみないと分からない事だ。いちいち気に病んでいては身が持たないだろう。
「もっと楽に構えていればいい。いざとなればお父さんがいるからね。干渉はしないが、何時だって二人の味方だ」
ガシガシと二人の髪を掻き混ぜた。
「随分長くなってしまった。けど長くなったついでに侑ちゃん」
「なに?」
とっくに食べ終えていた父親の食器を片付け始めていた侑莉は、手を止めずに問うた。父親の目つきが変わったのも気付かずに。
「さっき言ってた好きな人ってのは、誰の事?」
「……と、とやかく言うのやめるって」
「なに、お父さんに言えないような人なの? 場合によっては興信所で身元調査依頼するけど?」
「どっこも変わってないじゃない!」
長ったらしい講釈は一体なんだったのだ。こうなるだろうなと予想していた巧は、やれやれと侑莉を放ってお風呂に入るべくリビングを後にした。




