夢追人
空に点在する雲の陰は濃く、陽に照らされた部分は赤く染まっていて、そのコントラストを眺めながら凌はマンションの門を潜る。
ほんの数週間前まではこの時間でもまだ明るかった。夏の暑さなどとうに何処かへ消え失せ、心地よい秋風さえも冷たさを含み始めてきている。
ふと空から前に視線を戻す途中、何となく自分の部屋を見やった凌は足を止めた。電気の明かりが漏れている。
朝消し忘れたなんて、そんな間抜けな事を凌はしない。ならば今部屋に誰かがいるのだ。眉間に皴を寄せて窓を睨み、足早にエントランスに入った。
柄にもなく鼓動が早くなる。一定速度を保つエレベーターの動きにさえ苛立ちを覚えるほどに焦っていた。
あの部屋に電気が点く時間が極端に少なくなってから、もうどれくらい経つだろう。凌の部屋に立ち入る事を許されている人物などどれほどもいない。
凌の意思で鍵を渡した人は一人しかいない。何で今更と思うし、鍵はもう返されたはずなのに。
荒々しく玄関ドアを開けると靴を脱ぎ捨ててリビングへ向かった。
「ゆ――」
「おー凌おっかえりー!」
主不在の部屋のソファに優雅に寝そべりテレビを見ていた人物は、凌の姿を確認し手を振った。
我が物顔で牛耳っていたのは、瑞貴だった。更にはビールまで勝手に空けているという寛ぎぶりだ。
「……このアホの存在を忘れてた」
「開口一番にアホて!」
落胆を隠さない凌に瑞貴はニヤリと笑う。この先を予測した凌は露骨に顔を顰めた。瑞貴はお構いなしだ。
「なぁさっきお前何て言いかけたっけー? ゆ? “ゆ”何?」
ドスッと、からかった代償を鳩尾に踵落としを喰らうことで払った。凌は痛みに声も出せず蹲る友人を侮蔑の表情で見下ろす。
「ベランダから突き落とすぞ」
「そんな殺生な!」
「何しに来た、タダ飯食いにか」
「メシなんざここにゃ無いだろが」
冷蔵庫の中がほぼ空だったのは、さっきビールを取り出すときに確認済みだ。一体どんな生活を送っているのかと疑問に思うほど綺麗に何もなかった。
凌がここに住み始めてもう一年以上が経つというのに、生活感の無さは引っ越してきたときから変わらない。この男一人ではまともな生活など出来ないのだ。
別に凌がそうありたいと望んでの事ではなく、何をするのも億劫がった結果に過ぎない。
現に彼女がいたときは、この部屋も居心地が良さそうだった。あんなにも暖かみが溢れていた。
二人だったからこそ。
「お前、今まで追う側に立たされたこと無かったもんな」
リビングに入って来たときの凌の顔を見れば、誰がこの部屋にいることを望んでいたのか一目瞭然。
そして違った事実に落胆するほど求めている。なのに自分から行動に移そうとしない。
瑞貴がずっと凌を放っておいたのは様子を窺っていたからだ。
初めて受け入れた人がいなくなって、凌がどうするのか見てみたかった。いつまで経っても何も言ってこない友人に、諦めてしまったのかとも思ったが、先程の反応を見ればそうでないと確信が持てた。
ただ彼は未だ嘗て経験した事の無い己の感情に戸惑っているだけで。
瑞貴がここに来たのは間違いではなかった。彼はただ自分がどうすれば良いのかさっぱり分かっていないだけだ。
自ら手を伸ばすという発想がないのかもしれない。
「迷える獣に俺が救いの手を差し伸べてやる」
それこそ、さすが凌の友人だというあくどい笑みを浮かべながら。
さっと差し出されたのは一枚の紙切れ。受け取った凌は驚いて瑞貴を見た。
「それで獲物を捕まえるも良し、このまま忘れるも良し。お前の好きにしろ凌」
「つーか何でこれ」
「あらやだ凌ったら俺の職業お忘れか?」
以前侑莉がバイトをしていたコンビニの店長である瑞貴ならば、履歴書を見るなど容易い。頭の回転の早い凌がそこに気付かなかったとなると、相当混乱していたのだろう。
「個人情報の扱いが厳しくなってるっつーのに」
「今度なんか奢れよ!」
美味い酒希望。
そう言い残して瑞貴は部屋を出て行った。この部屋の最後の合鍵をテーブルの上に置いて。
この部屋はもともと瑞貴の持ち物で、凌が間借りしているっていう、まぁどうでもいい設定です




