夏の欠片2
侑莉の父親は、何かにつけて娘の行動に口出しをする人だ。
幼い頃に母親を亡くした我が子を可愛さ余っての行動である事は本人にも十分過ぎるほど伝わってきて。
だから門限が厳しいだとか、交友関係に目を光らせるとか、そういう事には一切文句を言わなかった。一つ頭が痛いことと言えば、何かにつけて侑莉に恋人を作らせようとする、その一点だ。
父親も多忙な身の上。自分が常に見張っているわけにもいかないから、安心して任せられる人が欲しかったのだろう。
だが超がつくほどの過保護であるわけだから、吟味に吟味を重ね、心行くまで調べまくった結果、是という答えが出た相手でなければならない。
この地球上の約半数は男性と言えど、父親の眼鏡に適う人材が一体どれほどいるというのか。
いるにはいた。
侑莉と巧の幼馴染の男の子。付き合ったものの色々とあって別れてしまった、までが良かったわけがない。
何があった、どうして別れた。縁りを戻さないのか、なんなら父さんが言ってやろうか。
そんな事を一年近くも言われ続ければ嫌気も差すというもの。遂に耐え切れなくなった侑莉は父親に啖呵を切った。
「別れたんだから、そっとしといてよ! そんな誰かと付き合って欲しいんだったら、彼氏の一人や二人連れてきてあげる!」
今思えばとんでもない言葉だ。頭に血が上っていたあのときは、もうそれしか方法がないと思っていた。
この話を友達にすれば、ちょうど良かったと合コンの話を持ちかけられ。断る理由も見つからず参加する事にした。
それで知り合った男の子のことが好きになったと、そういう設定にしよう。嘘で誰かと付き合いたくはないし、これで父親も大人しくなるだろう。
これのせいで家出するほどの親子喧嘩に発展するとは知らずに、侑莉はそう画策していた。
大学の前期試験が全て終わった日、集合時間に少し遅れて店に入った侑莉は、店員に案内された個室に入った途端叫び声を上げた。
学生の男の子達に混ざって何故か父親も席に着いていたのだ。
「な、何やってんのよお父さん!?」
「侑莉が合同コンパをするって巧に聞いたから、父さんも混ざろうと思って。酒なんて久々だしなぁ」
「しごと、は」
「このために早く切り上げてきたよ」
「このために!? ホント何してんの、職場の皆さんに迷惑掛けて! ほら帰って、みんな困ってるじゃない」
まず一緒に座って待っている必要なんてなかったのだ。電話ででも侑莉にこの事を伝えてくれていたら良かったのに。
だがあまりのことに全員が対応出来なかったのだろう。今も侑莉親子の会話を黙って見守るばかりだ。
「なら侑莉も帰るぞ」
「どうして」
「当然だろう。酒で泥酔させられてみなさい、このくらいの年頃の男の子が素直に送ってくれるとでも……」
「お父さん!」
娘を思っての行動と言葉だったとしても、こんなみんなが見ている前で、これはないだろう。いくらなんでも酷すぎる。
「ごめんね、みんな本当ごめんなさい」
深々と頭を下げて侑莉は走って店を出た。途轍もなく恥ずかしく惨めな気分だ。
後からゆっくりとした足取りで出てきた父親とともに家に帰る道すがら、一言も言葉を交わさなかった。
「お父さん、やって良い事と悪い事あるよね」
「犯罪は駄目だな」
「いい加減にして! 気付いてた? あそこにいた子達の残念なものを見る目」
今度会うのは夏休み明け。みんなの記憶が薄れている事を願う。
「大体、お父さんが彼氏作れって言うから……」
「誰でも良いってわけじゃあない。無節操は良くないぞ侑ちゃん」
だったらどんな人なら納得するんだ。あれやこれやと文句を言われるのは目に見えている。
「全く……どうして別れてしまったかね」
父親の溜め息交じりのその言に、侑莉は目を見張った。
毎度繰り返されてきたやり取り。使い古されたコントのように。けれどもこの時の侑莉は聞き流す事が出来なかった。
「何時まで引っ張るつもりよ、いい加減忘れさせてくれたっていいじゃない! お父さんウザい!」
そう吐き捨てて家を飛び出したのだった。
話し終えた侑莉は反応を窺うためにちらりと凌を見た。始終表情を変えずにご飯を食べ続けていた凌は、空になった皿に箸を置き侑莉を見返す。
「百個くらいツッコミ所のある話だったな」
侑莉の想像のつかない変化球を投げてくるのはいつもの事。その度に侑莉は訊き返してしまうのだけれど、今回も例に漏れず。
「なんですか、その感想……」
「他に何言えっつーんだ。予想通り過干渉な親をお持ちでってか」
「いえそうじゃなくて、……その通りなんですけど」
何を言って欲しかったと問われれば返事に困る。つっこみたくなる話だったという自覚も十分にあるのだが、釈然としない。
「深刻な家庭の事情ってやつじゃないならいいんだ」
驚いて侑莉は凌を見た。それは心配してくれていたという事だろうか。
頬杖をついてだらしなく座る凌から気遣いは見て取れないが、言葉の意味を推し量ればそうだ。
嬉しいと思うと同時に顔が熱くなる。
そっと目を伏せると凌が僅かに笑った。
「マジでお前分かりやすいな」
「か、からかったんですか!?」
「はぁ? 違うって」
凌は手を伸ばして侑莉の顔を引き寄せた。侑莉は拒まずテーブルに手をついて、半ば乗り上げるように近づく。
「嘘なんかついてねぇよ」
至近距離で囁くと、そのまま口付けた。たったそれだけで目元まで赤く染まった侑莉の頬を撫でる。
「お前の父親に殺されそうだな」
知らない。あんな娘の話も聞かない人なんて。
「勝手に怒らせてればいいんです」
言って、更に身を乗り出した。空いた方の手を凌の肩に置く。
「何て言われても香坂さんが好きだってことは揺るがないから」
初めてだと思う。こんなにも誰かを好きになったのは。相手の一挙一動に、ここまで心揺さぶられる事なんて無かった。
迷惑を顧みず、自分の我が儘を通してまで共にいたいと強く願ったのは凌が初めてだ。
「ずっと夏休みだったらいいなんて思うのも、かな……」
「ん?」
「休みが終わらなければここに居られるのに」
夏休みが終わるまで。そういえばそんな話になっていた。侑莉は弟の言い付けを当然のよう守ろうとしている。
力関係が弟の方が上になってしまっているから、巧に言われて何の疑いも無く夏休みまでしか居られない、と侑莉の中で定義づけられているのだろう。
弟に対して呆れるほどの従順ぶりを発揮している。そのせいで凌の言を無視されるのは面白くない。
「言っただろうが、気が済むまで居ればいいって。俺から離れたくないんだったら本格的にここ一緒に住むか?」
居候じゃなくて。凌は事も無げに言ってのけたが、まるでプロポーズされたような気分だ。
本人はそんな気は更々ないのだろうが。
「どうする」
侑莉に決定権を委ねるようでいて、初めから答えが用意されている問いだった。答えなど訊くまでもないくせに、侑莉が口を開くまで待っている。
こういうとこ、すごい意地悪だ。
くすりと笑って今度は侑莉から唇を重ねた。
「離れられなくしたのは香坂さんなんだから、責任取ってくださいね」
ゆっくりと瞼を持ち上げた侑莉は部屋に差し込んでいる日差しの強さに、また目を細めた。よく寝た、そんな事を思って目を覚ますのはいつくらいぶりだろう。
掃除と洗濯をして、買出しに行って、今日はバイトがないから手の込んだ料理でも作ろうか。
ベッドサイドに置いてあるデジタル時計を眺めながら何となく一日の予定を立てる。
そして、はたと気が付いた。凌はいつ出て行ったんだろうか。
物音がしたとか、そういう記憶は一切ない。けれど自分の隣にある一人分の空間を見れば起きて仕事に行ったのは明白で。アラームが壊れたデジタル時計しかないこの部屋、携帯電話はリビングに置きっぱなし。
それなのに凌は寝坊をしていない。何もしなくてもきっちりと起きられる人らしい。アラームを点けていたのは、ただの保険だったのだろう。携帯電話を侑莉に渡したのも、アラームを必要としていないからだったのだ。
なら、毎朝のように侑莉がわざわざ起こしに行っていた意味は何だったのか。行き当たった答えに堪らなくなって侑莉は枕に顔を沈めた。
甘えられていたのかもしれない。
「は、はずかしい……」
今更すぎる気もするが、凌の部屋に一人寝転がっているのがどうにも落ち着かなくなった。




