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真夏の夜に  作者: 裕
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夏の欠片

 手帳の九月のページを侑莉はぼんやりと眺めていた。月の中旬に差し掛かかり、もう二週間もすれば夏休みも終りを迎える。

 それはつまりここでの生活を切り上げて、家に帰るという事。


 家を飛び出した原因である父親への反抗心などとうに消え、大学が始まるのを待たずともすぐにだって帰っても良いのだが、ここを離れ難く思う気持ちが大きくなってしまった今、侑莉は徐々に近づく期限に陰鬱な気分にさせられていた。

 ヴー、と机の上に置いていた携帯電話が振動し、沈みかけた思考が浮上する。

 画面を覗き込んでみれば相手の番号が表示されていて、侑莉は逡巡した。

 凌の携帯のアドレス帳に登録されている数は極端に少ない。自分から掛ける機会があるだろうと認識された人の分しか載せていないらしい。

 そしてそれ以外の人には絶対凌から番号を教えたりしないのだと以前聞いた。

 今画面に電話番号しか記されていないという事はつまり、相手が一方的に凌と連絡を取りたいと切望し、どこからかこの携帯の番号を入手して掛けてきた、という事だ。

 そんな事をするのは大抵が、というよりほぼ間違いなく女性だったりする。随分とコールが続いてから、侑莉は通話ボタンを押した。

「はい……」

 遠慮がちに出れば、電話の向こうで相手が息を詰めた。すぐに「誰」と可能な限り低い声を出したのが判るトーンで返ってくる。

「これ香坂さんの携帯よね?」

「そうなんですけど今は私が預かってて。香坂さんはその、まだ仕事から帰って来て無いんです」

 どうしましょうか、と相手に委ねてみたものの、香坂さんが居たとしても多分出てくれないだろうなと心の中で続ける。

「あんた、なに? なんなの?」

 香坂さんの、という事だろう。今度は侑莉が言葉を無くす番だ。一体何と答えれば良いのか。

「え、と……、居候です」

「は? 何言って……、もしかして香坂さんに付きまとってんじゃ」

「侑莉」

 ひょいと耳に当てていた携帯電話が後ろから取り上げられた。

「こ、香坂さん!」

 声が遠退いた事で何を言っているのかは解らないが、まだ電話口で相手は喋っているようだ。それを聞いているのかいないのか、凌は煩げに眉を顰め

「二度と掛けてくるな」

 たったこれだけを言うと、無情にも通話を切り上げた。そして見上げたまま固まっている侑莉にまた携帯を渡し「着替える」と自室に入ってしまった。

 もうさっきの人から掛かってくる事はないだろう。着信履歴を遡りながら侑莉は唇を噛む。

 ほとんどがアドレス帳に登録されていない番号で、侑莉が預かるようになってからも頻繁に掛かってきていた。

 凌に渡したが取り合わず、放っておいてもすぐに掛け直してくるものだから、仕方なく出るようにしているが、人は違えど応酬は同じ。

 その度に侑莉は少しずつ心が抉られるような思いがした。この携帯電話が無ければ凌には届かない、細く脆い蜘蛛の糸のような関係性。

 それでも何とか手繰り寄せようとする彼女らが抱く想いは、種類はどうであれ好意だ。その全てを侑莉は今、ぷつりぷつりと切っていっている。

 そうする事を望んだのは侑莉自身で、だからこそ罪悪感に見舞われた。

「おい侑莉」

「……へ?」

 耽っていたところに声を掛けられて顔を上げれば、普段着に着替え終わった凌がいた。

「あんなもん律儀に出るな」

「え、ああ……でもちゃんと出ないと鳴り止まない事もあるし」

「……ったく、だから鬱陶しい女は嫌いなんだ。いっそ番号変えるか」

 面倒くせぇ、と舌打ち混じりに吐く凌に胸が痛む。鬱陶しいのは私だって変わらない。

 手間をかけさせているのは紛れも無く侑莉なのだから。きつく目を瞑り、すぐに開いてから何とか笑みを作った。

「でもやっぱり香坂さんってモテますね」

「嬉しかないな」

 聞く人が聞けば激怒しそうな台詞をさらりとこちる。本人がどう思おうが事実は揺ぎ無く、侑莉が目の当たりにする度に泣きそうになるのも事実。

 凌は自分の手元に携帯電話さえ無ければ、女性達とは連絡の取れない、無関係そのものだと言う。けれどそれは違うのだとここ数日で侑莉は知った。

 いくらこの履歴を消したところで、侑莉が凌に取り次がなかったとしても、彼女らの方に凌の番号が残っているのなら繋がりが消えたと言えないのだ。

 向こうが凌と関係を持とうという意思を持っている限りは。そんな人にとって自分は邪魔者以外何者でもない。

 また私は同じ事を繰り返す……

「……あ、そうだ。瑞貴さんがって香坂さん?」

 凌は瑞貴の名前を出した途端、露骨に眉を顰めた。

「どうせ構えとかそんなとこだろ? ほっとけ」

「今度飲みに行こうって言ってました。私もどうだって誘ってもらいましたけど、未成年なんですよね」

「クソ真面目だな。俺も瑞貴も高校の時には普通に飲んでたぞ」

「聞かなかったことにします」

 くすくすと笑って立ち上がる。もう既に用意が整っている夕食を出すためだ。

「侑莉」

 皿に装っているときに声を掛けられて、振り向かず「はい」とだけ返事をした。凌の方を向けば、にやけているのを不審がられてしまいそうで。

 最近、名前で呼んでもらえるようになった事を密かに嬉しいと思っているのだ。

「結局なんで父親と喧嘩したんだ?」

 今までの会話から逸脱し、今更と言える方向へ切り出された問いに一瞬動きを止める。

 手に持っている取り皿を危うく落としかけ慌てながら何とかテーブルに置くと、微動だにせず侑莉を見ていた凌に向き直る。

「どうして今?」

「何となく気になったから」

 以前は他人の家庭事情など聞きたいとは思わなかった。知ったところで凌にメリットは無いし、最悪巻き込まれでもしたら堪らない。その考えは今も変わらないけれど、それはそれ。侑莉の事だから。

 目を伏せた侑莉の返答をじっと待つ。

「侑莉」

 名前を呼べば言っていいものかどうかと迷いのある目を恐る恐る合わせてきた。それほど深刻な話なのだろうか。

「言い難いなら……」

「あの、笑いませんか?」

 凌が何を言おうとしたのか解ったらしく、侑莉は違うと否定するように言葉を被せた。おずおずと凌を窺う。

「笑われるような理由で家出するか普通」

「わ、私にとったら至って真面目なんです!」

 だが不本意にも過去オーナーの大笑いを誘ってしまっただけに、強く否定できないのが悲しい。

「笑わないで下さいね」

「分かった分かった。飯食いながら適当に聞いとく」

「香坂さん!」

 座った侑莉は既に食べ始めている凌に頬を膨らませた。箸を指で転がしている間も、凌は黙々と食べ続けている。まるで侑莉が話し出すのを待っているかのように。


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