メランコリー5
最初から分かっていた事だし、今までなら何とも無かっただろうが、自分の気持ちに気付いた以上は面と向かって言われるときつい。
「あー俺もちょと聞きたいんだけどさ。侑莉ちゃんって弟いたりする?」
「え、はい。巧っていう」
「やっぱり! いやもうソックリだよな。さっきは驚いて思わずギュッてしたわ」
突然抱き締めてきた事を言っているのだろう。悪びれる様子も無くヘラヘラ笑う瑞貴に、どう返すべきか言葉が見当たらずに困っていると、凌が彼の頭を思い切り殴った。
さっき灰皿を当てた場所を狙って。
「いってぇー。何すんだ」
「死ね、変態有害物質」
「あぁ? 何を言う。俺は無害の上を行く地球に優しいクリーン人間だ! マイナスイオン放出できんだよっ!」
「変態有害に馬鹿も追加で」
「居酒屋の注文みたいなノリで言うな!」
もうここまで来てしまうと会話を軌道修正しようとも思わない。
想像していたものとは違っていたが、やはり凌と瑞貴の間に侑莉が入っていく事は出来そうになかった。
二人の掛け合いを聞いていると、ついつい笑ってしまう。ほとんどが暴言なのだが、ああ仲がいいんだなと思わせるやり取りが続いている。
「で、なんでお前が侑莉の弟知ってんだ」
急に凌が本題に戻した事で、瑞貴と侑莉が同じように目を丸くした。
「色々あったんだけど説明が面倒だな。あいつよく学校帰りに店来てたから、それで知り合ったって事で」
それは嘘だという事だろうか。首を傾げながらも侑莉が聞いたのは別の事だった。
「店……ですか?」
「聞いて驚け! 実は俺、侑莉ちゃんがバイトしてるコンビニの店長です!」
「ええ!? あ、も、もしかして新岳店長さん……?」
そういえば、オーナーが店長の新岳と凌が友達だと言っていたのをやっと思い出した。
「新岳 瑞貴でっす」と笑う目の前の男の人をもう一度まじまじと見詰める。
凌と自分のバイト先の店長が仲が良いと聞いた時も偶然ってあるものだなと思ったが、まさかその彼が瑞貴で、しかも弟の巧とも接点があろうとは。
「俺ら全く時間帯合わないもんなぁ。それはそうと最近巧来ないんだけど、どうしてだと思う?」
「さ、さぁ。夏休みだからじゃないですか? 多分」
「避けられてんだろ」
「あーそうか、夏休みか」
侑莉の意見に納得した瑞貴だったが、凌が小さな声で「現実逃避」と言ったのを侑莉は聞き逃さなかった。きっとそうだろう。巧は自分の女顔にコンプレックスを持っていて、それに触れられると過剰反応する。
例え褒めるために言ったとしても「可愛い」なんて口にしようものなら、手も足も出る。
昔はそこまでではなかったが、中学に入ってから酷くなったように思う。侑莉には男子校の様子はよく分からないが「男にしつこく言い寄られたか、からかわれたかしたんでしょ?」と幼馴染の子が楽しそうに立てた憶測は、正しいような気がした。
「ちなみに瑞貴さんの好みのタイプって小柄で可愛い男の子……でしたっけ」
「お、誰に聞いた? 頼?」
「香坂さんです」
これが瑞貴を女だと信じて疑わなかった大きな原因だったのだ。まさかこんな展開になるとは考えもつかなかった。
だが、本当らしいから巧はタイプにピッタリと当てはまってしまう。となると言い寄るつもりで声を掛けたに違いない。そして巧は、躊躇いも無く瑞貴に掴み掛かっただろう。
「姉の私がこんな事言うのはどうかと思いますが……、弟は沸点が非常に低いので、あまり刺激しないであげてください」
既に暴力沙汰に発展している可能性が高いが、そこは敢えて気付いてないふりをする。
「姉として、弟が男に好かれてる事実はいいのか?」
「あ、そうか。色々と驚く所がありすぎて考えが追いつかなかった……。んー私としては、瑞貴さんは香坂さんのお友達なので安心です」
「俺はその方がいいんだけど、凌の友達なら尚更警戒しそうなもんじゃないか?普通。だって凌だぞ? あの凌だぞ?」
瑞貴は侑莉の肩を掴んで迫った。その表情は真剣で、本当にいいのかと何度も念を押されると、逆に不安になってくる。しかも凌だから警戒するとはどういう意味なのか。
「香坂さんだと安心しちゃダメなんですか?」
「そりゃダメだろ! 侑莉ちゃんマジでこいつの前で気を抜いちゃいけない。いいか? ちょっとでも身の危険を感じたら逃げて隣の部屋の住人に助けを求めるんだ」
「ムリムリ。そいつ反応鈍いから絶対逃げらんねぇよ」
「まず否定しましょうよ……」
確かに凌相手に侑莉が逃げられそうもないが、その前に身の危険を感じる事などない。
実際に凌が女性といるところを見たわけではないが、この口ぶりから言って侑莉が想像していた通り寄る者拒まずといった感じなのだろう。
年齢は三歳差だけだけれど、侑莉には凌は自分が到底及ばない大人に映る。
そんな人が自分みたいな子どもに手を出すはずがない。
安心出来ると同時にチクリと胸が痛んだが、事実なのだから仕方のない事だ。
「あーっ!」
侑莉は突然大きな声を出して口に手を当てた。しまった、どうしようという顔で凌と瑞貴を見る。
「ずっと立ちっ放しでお茶も出さず、ごめんなさい! 今淹れますね」
「おー、さすがと言うか侑莉ちゃんも素晴らしくマイペースだなぁ。いいよ、俺もう帰るから」
「お前何しに来たんだ……」
「だーから侑莉ちゃん見にだって。はいはい、玄関まで見送り!」
侑莉の手を引いて瑞貴は歩き出した。凌は全く見送る気は無いらしく、イスにドカリと座ってしまった。
瑞貴は靴を履き、さてとと侑莉に向き直る。
「で、何が最低?」
何の話か掴めず侑莉は首を捻ったが、キッチンでの独り言が聞かれていたという事を思い出してハッとした。
心臓が煩く鳴っている。瑞貴に凌の事を好きになってしまったなんて言いたくない。
「私が、どうしようもなく馬鹿だなって思って」
「そう? 俺はてっきり凌の事だとばっかり」
「全然違いますよ! そんなわけ無いじゃないですか」
なんでそんな風に思うのかと大真面目に返した侑莉の返事に、瑞貴は面食らった。凌が最低じゃないと断言するのはこの子くらいだろうと思い、笑みを零す。
これは凌に好意的、どころではないかもしれない。
「んじゃ、また遊びに来るわ。今度からは無用心だからカギ掛けとけな。てわけで……凌のアホー!」
最後だけ、リビングまで聞こえるように大声で叫んで、瑞貴はそそくさと出て行った。
カギ……開けっ放しだったのか。
思い返してみると、自分が帰ってきた時に掛けた記憶が無い。堂々と瑞貴が侵入出来たわけだ。
今度はきっちりと施錠してリビングに戻ると、スリッパに硬いものが当たった。それは凌が瑞貴に投げた金属の灰皿。
拾い上げてみると、結構しっかりした作りをしていて、これをぶつけられたのはかなり痛かっただろうと思う。
「香坂さんってタバコ吸う人だったんですね」
今まで凌が吸っている所を一度も見たことがなく、灰皿があった事さえ気付かなかった。凌は何故か不機嫌そうにチラッと侑莉を見た。瑞貴の捨て台詞のせいだろうか。
「まぁときどきな。別に無くても問題ないし、お前絶対タバコ嫌いだろ」
「えと……はい。得意ではない、です」
考えが当たっていたからか、やっぱりなと凌は少しだけ笑った。侑莉に気を遣っての事ではなかったかもしれない。それでも侑莉の事を気にしてくれていたんだろう。
ああほら、この人のどこが最低なの。
勝ち誇ったような気分になった。
「侑莉」
「は、い」
そっと伸ばした手が侑莉の頬に触れる。侑莉が払いのけないのをいい事に、そのまま撫でて、抓った。
「間抜け面」
「香坂さんのせいじゃないですか!」
自然に触れてくる凌は、それが当然のように顔色一つ変えず、こういった事に慣れているのだと思わせる。
逆に慣れていない侑莉はどんどんと顔が熱くなっていくのが感じられて、恥ずかしいから離れないといけないのに、触れられているのが嬉しくて動くに動けない。
気ばかり焦る侑莉を暫く下から眺めてから凌はイスから立ち上がった。すると、今度は侑莉が凌を見上げる事になる。
冷たい凌の手が、じわじわと侑莉の赤みを帯びた顔から熱を吸い取っていく。徐々に近づいてくる凌の顔をぼんやりと眺めて、キスされそう、とどこか冷静に思った。
というよりも、いまいち頭がついていっていないだけだ。ちゃんと理解したのは暫くして、凌が少しだけ離れてから。
それでもまだ近すぎる位置にいる凌の顔を見れなくて、目を伏せた。
もうこれ以上は心臓がもちそうにない。
身体全体が震えているように感じるほど大きく脈打つ鼓動を紛らわせたくて、あれやこれやと必死に何か言わなければと言葉を捜す。だけど、幾ら考えても一つの疑問しか頭に浮かんでこなかった。
「どう、して?」
「……さぁ」
凌の短い答えで、侑莉は現実に引き戻された。凌は別に、今の行動に何か感情があったわけではない。ただしてみただけ。そんな所だろう。
だけど頬に当てられた手が、間近でみた表情が優しかったから、勝手に期待して勝手に落胆するなんてあまりに惨めだ。
「お風呂、入ってきますね」
精一杯に笑顔を作って、なるべく不自然にならないように凌から離れる。
知っていたつもりだったのに。侑莉のこの気持ちは、凌にとって煩わしいものでしかないという事。今更ながらに、何度も言われた「迷惑だ」という凌の言葉が突き刺さった




