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真夏の夜に  作者: 裕
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メランコリー2

 目覚まし時計代わりにしている携帯電話が、昨晩セットし直した時間ちょうどに耳元で鳴った。

 多少睡眠時間が延びたところで、自分の意思とは関係なく起こされると眠気は残るものなのかと、アラームを消しながらはっきりとしない頭で考える。

 着替えて部屋を出るとキッチンに立っていた侑莉が振り返った。

「え? あ、れ香坂さん今日はお休みですか?」

「いや、今から」

「そうなんですか……」

 頭の上に疑問符をいくつも付けたような顔で見てくる侑莉に近づいて、凌は彼女の背後で火で熱せられているフライパンを覗き込んだ。

「焦げるぞ」

「あっ!」

 慌ててフライパンに向き直って作りかけのホットケーキの焼き加減を窺う。

 もう既に出来上がって皿の上に置かれている物を一枚取って、部屋全体に充満している甘い匂いの原因を口に含んだ。

「バターとか」

「いらん」

 一番近くにあるイスを引いて腰掛け、ぼんやりと侑莉の後姿を眺めた。

 普段ならもうとっくに家を出ている時間に、まだ凌はこうやってパンケーキをほうばっている。

 スーツではなく、Tシャツに黒いパンツという格好で。侑莉はそれを不思議がっていたのだが、何故と理由までは聞いてこなかった。

 凌もわざわざ面倒な説明などしない。いつもなら。いつもならそんな事思いつきもしないのに、侑莉の背中を見ていたら何となく口が自然と開いた。

「今日から移動になったんだ」

「え?」

「昨日までは本社だったけど今日から店舗配属になった。しかも始まる時間が遅いし本社より断然近い」

「それでゆっくりしてるんですか。良かったですね」

 振り返って向けられた侑莉の笑顔は、今まで凌が何度も見た事のあるものだった。


 遡る事一週間ほど前、凌は侑莉を押し倒した。特にその後何があったわけではないが、それで侑莉の態度がおかしくなるには十分な理由だったように凌は思える。

 もしも侑莉に何か変化があって、凌が少しでも煩わしいと感じるなら直ぐにでも出て行けと言おうと思っていたのだけれど、予想は見事に外れた。

 次に顔を合わせたときに侑莉は、仕事帰りの凌に「お帰りなさい」と言って笑った。

 しかもきっちりと凌の分の晩ご飯の用意も万端、とまるで新妻のような甲斐甲斐しさを見せられると拍子抜けもいい所だ。

 あまつ昨日、久しぶりに会った友達である新岳に事のあらましを伝えれば盛大に笑われる始末。

「すげぇー凄すぎる!」

「何が」

「侑莉ちゃんに決まってんだろ。お前の口からこんな話を聞く日が来るとは」

 凌にとっては面白くもなんとも無い。うるさいと睨みつけても、新岳の笑いを止める事は出来なかった。

「でもマジで信じらんないね。凌が同じ空間に誰かとずっと暮らすなんて芸当ができるなんて。しかも実は出て行ってほしくないだろ?」

「は?」

「は? じゃねぇよ。あーやだやだ、この歳で恋愛初心者とか」

「レンアイ? お前馬鹿か」

 凌自身はその当時から馬鹿らしいと思っていたが、恋愛なんて単語を口にするのは青臭い盛りの中高生だけだろうと、同い年で現在は侑莉がバイトをしているコンビニの夜間店長をしている新岳に、呆れながら目の前に置かれていたカップに入っているお酒を飲み干した。

「馬鹿はお前だっつの。よーく考えろよ? 侑莉ちゃんと一緒にいると苛々するのは何でか、他の奴でそう感じたことあるか、いつでも出て行かせればいいと思ってんのに長続きしてる理由、何で侑莉ちゃんに手を出さないのか」

 マニュアルでもあるのかと疑いたくなるほど、新岳は淀みなくスラスラと質問事項を述べた。

 頭の中で反芻しているのか難しい顔をしている凌にまた笑いそうになって唇を噛む。

 侑莉に戸惑っている理由など、第三者の新岳からすれば問題にならないほど解りやすいというのに、頭のいいはずの凌にとっては難題らしい。

 昔から人を人とも思わない性格で、常に他人を突き放して生きてきたのだから仕方のない事かもしれないが。

 新岳は凌の態度が気にならないからこうやって一緒にいる事も出来るが、凌は将来絶対に女に刺されて死ぬなと思っていた。

 ここに来てそれが変わりそうな予感がした。いや、もうすでに変わり始めているようだ。新岳が長年出来なかった事を侑莉はわずか一ヶ月でやってのけた。

「悩め悩め。あと一つ言っておいてやる。俺の予想だと侑莉ちゃんは凌にかなり好意的だ。じゃなきゃ毎日お前のためにご飯作ったりしないし、そもそも傍若無人なお前と暮らせない」

 二人が会話しているところを直接見たわけではないが、凌はいつもの調子できつい言葉を投げかけている事だろう。

 それでもあのマンションを出て行かないのは侑莉が凌を憎からず想っているからだと容易に想像できた。

 ここまで言えばさすがの凌も何か察するだろうと思った新岳は見通しが甘かった。

「別に毎日あいつのメシ食ってるわけじゃない。まずほとんど会ってないし」

「ほ、本物の馬鹿がいる……。毎晩毎晩帰ってくる時間がまちまちなお前のご飯いる日いらない日が侑莉ちゃんに分かるわけないんだから、毎日作ってたに決まってるだろ。そんくらい気付いてやれよ! 更に言うならお前がどっか女ん所に泊まってた日にだってな! うわー泣ける。このキングオブ馬鹿!!」

 一体この短時間で何回ほど馬鹿と言われただろうか。くっ、と泣き真似をしている新岳を放って凌は回数を数えた。そうやって思考を意図的にずらそうとして、何でそんな事しなきゃいけないと自問する。

「もう絶対答えが出るまで今日は寝るなよ? そして俺がこんなにも親切に講義してやったんだ、ここの代金は凌持ち! あと、家帰ったら冷蔵庫開けろ。いいな、分かったな!」

 不満を言いたげに口を開いたが、結局何も言わずに伝票を引っ手繰って凌は立ち上がった。新岳の言う通りにするのは癪だったが、家に帰って冷蔵庫を開けてみて舌打ちをした。

 中には侑莉が来てから途端に増えた食材と、すでに出来上がった料理が一食分入っていたのだ。

 侑莉の分にしては多い。明らかに凌のために作られたもの。


「香坂さんもう一枚いります?」

「いや、いい」

 自分の世界に入っていた凌は侑莉に問いかけられて我に返った。

 凌の思考はずっと違うところに行っていたが、その間侑莉の方を見ていたから、まだ食べたりないと勘違いされたようだ。

「今日は俺の晩飯作るな」

 もうホットケーキを作り終えて片付けに入っていた侑莉は、手を泡だらけにしたまま凌を見た。

 一応、凌の分も毎晩作っている事を気付かれていないと思っているから、どうしていきなりそんな事を言い出したのだろうと首を捻る。

「冷蔵庫にあるやつって俺のだろ? あれでいい」

「冷蔵庫? あ! いえ、あれは私が昼と夜に別けて食べ……」

「横取りする気か」

「香坂さんにはちゃんと違うの作りますよ!」

 どうやら昨日のものを凌に食べさせるつもりはないらしい。気が弱いくせに、変なところで強情な侑莉は一歩も引かない。

 時間もそろそろ押してきて、面倒になってきた凌は手っ取り早く侑莉が黙る強硬手段に出た。

 長い髪を一つに束ねて顕になっている項をそっと撫でてから「残しとけよ」と耳元で低く囁けば、案の定、時間が止まったように侑莉は動かなくなってしまった。

 そのまま凌はリビングを出て行って、暫く経ってからようやく何が起こったのか理解した侑莉は泡だらけの手で真っ赤になった顔を触り、慌てて洗い流したりと一人で挙動不審で意味不明な行動をとっていた。


 思い返すまでもなく出会いからして普通じゃない。

 侑莉は突飛な行動を取るばかりで凌の話を全く聞こうとせず、それにつられたように凌自身も自分で信じられない事に侑莉を家に招き入れてしまった。

 常識の無い、押しの強い女かと思うと一歩も二歩も下がった気の弱い性格をしていて、でも強情。

 一貫性のない様は以外にも見ていて飽きないと感じさせた。唯一つだけ、侑莉に対して苛々とする時がある。

 凌は何も思っていなくても、すぐに申し訳なさそうに謝ってくる、あの時の目が気に食わない。別に責めているわけではないのに、怯えと恐れを多分に含んだ表情をされるとたまらなく不快だ。

 そう感じるのに出て行かせようと思い至らなかったのは、自分で感じている以上に侑莉といる空間が心地良かったからだろう。

 もともと凌は誰かに感情を左右される事は少ない。煩わしいと思う前に相手を切り捨ててしまうからだ。

 新岳は凌がどんなにキツイ言葉を投げかけても、けろっとして堪えない。だから友人という位置についていられる。

 侑莉も凌が何を言っても笑って流すだけだから、その点では二人は似ていると言えた。

 相手に気を遣って話す気など更々無いが、それでも一々突っかかってきたり泣かれたりするのは鬱陶しくて仕方が無い。

 それがない侑莉を凌は実は気に入っているのだ。

 愛だの恋だのと凌にとって理解し難い領域の想いかどうかは判断のつけようはないが、そうであっても無くてもどちらでもいい。

 ただ侑莉に名前を呼ばれるのは嫌いじゃない。

 仕事から帰って来たときに自分の部屋に明かりが灯っているのも、侑莉がいるのだと思えば悪くない。

 これが凌の行き着いた答えだった。



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