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真夏の夜に  作者: 裕
10/41

距離4

「えと、取り敢えず大丈夫だから!」

「それは初めっから今何でこの学校にいんのかまでを順序だてて話してもらってから判断する」

「はい……」

 完全に巧に主導権を握られている。初めからってどこから話そう。

 小首を傾げて斜め前を見ると、さきほどからずっと黙っていた砂原と目が合った。

 何故か砂原は侑莉を凝視している。

「お姉さんと先輩ってギャップ萌え?」

「お前は関係ない、黙ってろ」

「ほらー絶対そう! あー先輩がツンだけなのはお姉さんがデレだからか! 二人で一つみたいな」

「黙るのか死にたいのかどっちだ……」

 答えを聞く前に巧が砂原に向かって拳を振るった。それはいい音を立てて頭に当たり、結果砂原は痛みで話すどころではなくなった。

 この学校はホント変な奴多いよなぁ。凌は恐々とする侑莉の隣で巧と砂原をぼんやりと眺めていた。

「改めて聞くと居候ってか家政婦だな」

 侑莉が凌のマンションでの暮らしぶりを話し終えての、凌の第一声だ。

 まるで他人事のような言い回しに巧は顔を歪めた。この男の言動は一々癇に障る。

「お前ら一緒に住んでるって言っても殆んど生活時間合ってないじゃないか」

 話によれば今日を入れても数回しか顔を合わせていない。侑莉の身の安全を考えればその方がいいのだが、気がかりな事もある。

 言われるまで気にしていなかったと凌と侑莉は顔を見合わせた。変な所で意見の一致する二人だ。

「この男のマンションにいても侑莉は一人って事だな」

「うん、そうなるかな」

「親父だって反省してると思うし、侑莉だってさすがにもう怒ってないんだろ?」

 これ以上、凌のマンションに置いておくのは危険だ。凌は関係なく、今はまだ大丈夫でも侑莉は遠からず限界が来る。一人にしてはおけない。

「うん……、怒ってはないけど」

「だったら家帰るぞ」

「え?」

「見ず知らずの人間の家にまだいるつもりかよ」

 見ず知らずというには同居している日数が経ちすぎているが、この二人にはピッタリと当てはまる距離感だ。

「家に戻りたくないんだったら美保でも、皐月さんの家にでも行けばいいだろ。親父には言っておいてやるから」

「あ、出て行くならちゃんと荷物片付けてからにしろよ」

 凌は見るともなしに近くにあったメニューをパラパラとめくりながら、どうでもいい事のように言った。

 当事者のはずなのに、一度もちゃんと会話の中に入ってこようとしない。

「香坂さん、私がもう少し居候させてもらったら迷惑でしょうか?」

「どっちかっていうと」

 歯に衣着せぬ凌の言動は毎度の事で、侑莉は力なく笑った。

「でも飯が自動で出てくるのはいいな。美味いし」

 持っていたメニューをポイと放って侑莉を見た。

 その目は侑莉の苦手な強さを持っていて、緊張に体を強張らせた。

「さっきも言ったけど、ほとんど顔合わさないし、俺がいない間は好きにしてりゃいい。まだいたいんなら勝手にしろ」

 射抜くような目とは裏腹に、言われた内容は侑莉にとって嬉しいものだった。

「い、いいんですか?」

「話聞いてなかったのか」

「いえ、あの、ありがとうございます!」

 手を叩いて喜ぶ侑莉と、苦い顔をする巧。

 信じられなかった。凌は侑莉から最も縁遠い部類の人間だ。話していてもたまに緊張しているのが見て取れた。

 怖いのだと思う。なのに、なんで一緒にいようとするんだ。他にも行くところなんていっぱいあったはずだ。どうして選りにも選って。

 こんなにも侑莉の考えている事が分からなくなったのは初めてだ。溜め息を吐くと、心配そうに巧の様子を窺ってくる姉と目が合った。

「我が侭言ってごめんね、巧。ちゃんと帰るから。もう少しだけ……」

「いいよ、言い出したら聞かないのはいつもだろ。親父にも黙っててやる」

 父親に知れたら警察沙汰になりかねない。むくれて、不満を露わにしながらも折れてくれた巧は、本当に出来た弟だ。

 いつだって文句を言いつつ自分の味方になってくれる。侑莉は立ち上がって巧の側までいくと、そっと抱きしめた。

「ありがとう」

「夏休みが終わるまでだからな」

「うん」

 侑莉が巧から離れるタイミングを見計らったように凌が立ち上がって部屋から出て行こうとした。

「ちょっとアンタに話がある」

 侑莉は「先に出てろ」と言われ、素直にそれに従った。

 二人の会話がちゃんと成立しているのか少し気になって、聞き耳を立ててみてもボソボソとした声さえも漏れてこない。

 まさか巧が「侑莉の事をよろしく」なんて言うとも思えないし、一体何を話しているんだろう。

 勝気で言いたい事を直球で発言する巧が凌の機嫌を損ねてなければいいのだけれど。

 そういえば、こういう所は二人とも似ていなくも無い。

 巧の場合は笑ってかわせるのは慣れと、弟だという事が手伝ってか。

 なら凌に対する苦手意識は彼の言動よりも年上だからという理由が大きいかもしれない。

 今まであまり自分よりも年上の人と接する機会が多くなかった侑莉に、その理由はしっくりきた。

「まぁ見た目の問題もありそうだけど……」

 巧に聞かれたらどやされそうだな、と笑いを零していると凌が出てきた。

「一人でニヤニヤして気持ち悪いな」

「ええ!? いえ、そうでしょうね……。で、巧はなんて?」

「無理難題押し付けられた」

 どう考えても自分に関する何かだろう。

 「なんて言われたんですか?」と尋ねても凌は答えなかった。

 面倒くさい事とか、どうやってやるのかも分からんし無理、という曖昧な言葉でしか返って来ない。

 最終的には「やる気ないから気にするな」と言われて侑莉は口を噤んだ。

 そんな事言わないでやってくださいよって言えない弱いお姉ちゃんでごめん、と心の中で巧に謝りながら凌の後をついて歩く。

「あ?」

「ぶっ」

 突然、凌が立ち止まったせいで小走りだった侑莉はそのまま背中におでこをぶつけた。凌は気にせずジーンズの後ろポケットを探って携帯電話を取り出した。

「……今マンションに瑞貴が待ち伏せしてるらしいけど、帰るか? 俺は会う気ないけど」

「じゃ、じゃあ香坂さんに任せます」

「なら放置」

 返信もせずに凌はまた携帯電話をポケットにしまった。

 しばらく何の反応も示さなければ諦めて帰る事を知っているからだ。その時にはまた抗議の電話でも来るだろうが、それだって悪態で返せば済む。

 彼女の存在をすっかりと忘れ去っていた侑莉は、凌の素っ気無い態度にホッと息を吐いた。

 会いたくないと言っては相手に失礼だが、できればそうしたい。

 実際には恋愛に発展しそうな要素は皆無な同居生活だけれど、相手にとって突然現れて凌の家に転がり込んだ侑莉は面白くない存在に違いない。

 瑞貴という人のためには巧と一緒に帰った方が良かった。そうしなかった事を申し訳なく思うが、この状況は侑莉にとって挑戦なのだ。

 父親の影響の届かないところで自分がどこまで出来るのか。夏休みが終わるまで。たったこれだけの時間を自由に過ごしたい。

 だからもう少しの間、本来あなたがいるはずの場所を貸して下さい。



 学校を出てからも街を一通り案内してもらって、帰ってきたときにはもう夕食の時間で。

 当然もう瑞貴の姿は無かった。ご飯を食べ終えテレビを見て、お風呂に入ってまたテレビを見て。

 実に穏やかに時間は過ぎていった。

 巧に会うという予想外な出来事はあったが、朝侑莉が危惧していたような気まずい雰囲気にはならずに一日が終わりそうだ。

 三人が座れるほどのソファに、二人は微妙な距離を保ってテレビを見ていた。

「お前夏休みっていつまで?」

「九月末、です」

「じゃあまだ一ヶ月はここにいんのか。長いな」

 どんなに侑莉が家に帰りたくないと思っても、凌には関係のない話で、勝手にいてもいいとは言っていたがやっぱり図々しすぎたようだ。

 分かっていたけど、それでも迷惑だと面と向かって言われればズキリと胸が痛む。

 急に俯いて黙り込んだ侑莉が泣いているように見えて凌は眉間に皺を寄せた。意味が分からない。どうして泣かれなきゃいけないのか。急に湧いた鬱陶しさと、妙な苛立たしさから侑莉の顎に手を添えて無理やり上を向かせた。

 見開いた瞳に涙はなく、驚いて凌をまじまじと見つめてくる。安心して手を離しても暫く侑莉の視線は外れなかった。

 安心? 何だそれ。不安なんて感じた覚えもないのに。自分の感情すら理解できず、更にイラつく。

「香坂さん、あの……ごめんなさい私――」

 今度こそ泣きそうに顔を歪ませて、途切れ途切れに言いかけた侑莉の口を塞いだ。

 煩いと言うよりも早く自分の口で黙らせて、そのまま侑莉を後ろに押し倒して覆いかぶさった。

「学習能力のない奴だな。お前に謝られるとムカつくんだよ」

 最初から、侑莉の謝罪は不愉快だった。

 でも何故? そんなもの考えた事無い。

 良かれ悪しかれ他人に感情を左右されるなんて有り得ない。

 だったらこの、自分を見上げる怯えた表情にさえ、今すぐ止めろと怒鳴りたくなるほど腹が立つ、これは何だ。

 理解の出来ないものが自分の内にある。それしか凌には分にはからなかった。


 不機嫌を露わにしながら凌がリビングを出て行くと、一人取り残された侑莉は起き上がって、唇をかみ締めた。

 本当に自分のバカさ加減に嫌気が差す。凌が怒り出すのも当然だ。

「ごめんなさい……」

 本人に向かってはもう絶対に口に出来ないけれど。

 ポツリと呟いた。



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