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真夏の夜に  作者: 裕
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 正直、これほどまでに怒りを感じたのは今日が初めてだと、頭の隅っこの冷静な部分で分析する自分がいた。

 やられた。計画はきちんと立てていた。その通りに事は運んでいたはずだった。

 だけど誤算があったのだ。騙すはずの父親のほうが一枚上手であるという事実をすっかりと失念してしまっていた。


 謀ろうとしていた父親の思わぬ反撃に耐え切れず、宮西みやにし 侑莉ゆうりは家を飛び出した。

 手には携帯と財布に化粧ポーチが入っただけのバックを握って駅へ走り、適当な金額を入れて無作為にボタンを押して切符を買って。

 料金表を眺めて行けるギリギリまで乗ってやってきたのは知らない街。


 距離で言えばそこまで遠くへ来たわけではないが侑莉が住んでいる所より少しばかり緑が多い。

 駅を出ても目的地などないのだから右へ行ったものか左へ行ったものかも決まらない。

 でもここでジッとしているわけにもいかず、街頭がより明るい左へ曲った。

 その先はなだらかな上り坂が続く住宅街が広がっていた。

 一年の中でも一番陽が上っている時間が長いこの季節において、既に空に月がほんのりとした淡い明かりを灯してから随分と経つ。

 だが、街頭のお陰でそれほどは暗くない一本の大きな道をとぼとぼと歩いて上がる。

 昼間のような汗の噴出すほどの暑さは無いものの、風が凪いでいるため湿気とまだ冷めていないアスファルトからの熱で蒸し蒸しと、熱気が体に纏わりついてくるようで、まだ数分しか経ってないのに、このまま歩き続けるのは無理と判断した侑莉は道の脇にあるマンションの一階に設置されてあるコンビニに駆け込んだ。


 自動ドアが開くと共に冷たい空気が肌に触れて、ほうと息を吐く。

 ただ単に涼むのが目的で入ったのだから買いたいものなんて無いのだが、入り口に立っているわけにもいかず、飲み物でも買おうかと店の奥へと進んだ。

 数え切れないほどの種類のペットボトルを前にして、どれにしようか悩みながら思考はこれからどうするのかという方へといつの間にか摩り替わっていた。


 行く当てなんてあるはずがない。

 侑莉の立てた計画は父親によって壊され、後先も考えず飛び出してしまったがこれから一体どうすればいいのか。

 だが、このまま父親がいる家に帰る気にはさらさらなれなかった。 顔を見ればこの怒りをぶつけてしまいそうだ。

 思考に浸る侑莉の隣に手が伸びてきて、それに現実に引き戻された。

「あ、すみません」

 一歩退いた侑莉にちらりと視線を向けただけで何も言わずにペットボトルを取って行ってしまった男を眺めて、何となく気恥ずかしくなり、これ以上そこに立っていられなくなって適当に一本手に持ち、足早にレジに向かった。

 レジを済ませ、また外に出るのを億劫に思いながらも重い足取りでドアに向かって歩いていると、ふと駐車場に黒塗りの外車が停まっているの目に飛び込んできた。


 ――あの車は……


 車に詳しくない侑莉には車種までは分からないものの、それは確実に侑莉の知っているものだった。

「おわっ」

 前で誰かの驚いたような声がしたようだが、今はそれを気にしている余裕なんてなかった。

 その声は咄嗟に侑莉が前にいた男を壁代わりにするために引っ張ったせいで上げられたものだったのだが、そこまで考えが及ばない。

「おい」

「ヤバ……どうしよ、何でここにいるの?」

「おい離れろ!」

 男は体を捻っても離れることなくしがみついている侑莉に舌打ちをして、次にどのような行動を取るべきか考える。

「どうしよう、どうしましょう?」

「あ? 知るか、離せつってるだろうが」

 さっきから視線は車に向いているものの、話しかけてくるような口調につい反応してしまった自分に男は舌打ちした。

「あれ父の車なんですよ。絶対そうですよもう……」

「訊いてねぇよ。つうか俺の話を聞け」

「あ! そうだ。もうこのまま一緒に出ちゃえばそれって一石二鳥。すみません、腕組んでもいいですか?」

「いいわけ……おい!」

「ちょっとだけですから」

 尋ねておいて返事をする前に腕を絡めた侑莉は、半ば男を先導するようにコンビニの外に出た。

 外に一歩出た瞬間から車に気付いていないかのように、傍をすり抜けて前だけを見て歩く。

「暑い!」

「そうですねぇ……」

 まるで上の空だ。

 男が何か言えば答えてはいるものの話を聞いているわけではないらしく、右から左に流しているだけだ。

 神経のほとんどはまだはるか後ろにいるであろう車に向いていた。

 時間にすればほんの二、三分。

 坂を上がり続けていると突然男が歩みを止め、その反動で侑莉も少し体勢を崩しながらも立ち止まった。

「だーっ、お前いい加減にしろよ!?」

 不機嫌を露わにしながら男が腕を力任せに振り払うと、今まで引っ付いていたところに風が通って、生暖かいそれでさえ冷たく感じて、汗を掻いていたことに気がついた。

 真夏に腕を組んだりすればそうなるのも当然だ。

 そうぼんやりと考えて、侑莉はここに来て初めて目の前にいる男の顔をきちんと見たのである。

 そしてどうして自分がこの男と一緒にいるのだろうかと今更ながらに疑問に抱く。


 ああ、この人はさっき横から飲み物取って行った人だ。

 それから、私が引っ張って壁代わりにして。

 お父さんから逃げるために無理やり連れてきちゃったん……だっけ?


 一つ一つ整理するように頭の中で確認していくにつれ、自分の非常識な行動に恥ずかしさが体中を目まぐるしく駆け回るような、それをどうにかしたくてぎこちなく辺りを見回してみるけど結局どうしようもなくて、どんどんと顔が熱くなっていくだけだ。

「え、あ……、ご……ごめんなさい!」

 今の今まで全く話を聞こうとしなかったのに、手のひらを返すように態度を変えた侑莉に男は一瞬目を見開いたが、すぐに無表情に戻って溜息を吐いた。

「私……、あのさっきの」

「黙れ、訊いてない」

 声を張り上げて言ったわけではないけれど、有無を言わさない低い声に侑莉の体がビクッと反射的に跳ねた。

「ごめんなさい……」

 消え入りそうなほどか細い声で言った侑莉の言葉も聞かずに目の前にあったマンションに入っていこうとする男に侑莉自身、どうしてそんな事をしたのか後になって考えてみてもはっきりとした理由が見つからない、突飛な行動に出た。

「ちょっ、……申し訳ないんですけど……っ」

 さっさと歩き出した男に駆け寄ってその腕を両手でしっかり掴み、搾り出すように言って顔を上げて男の瞳を睨むように見つめた。

「……今晩泊めていただけないでしょう、か?」

 強い視線とは裏腹な弱々しい発言の内容に唖然として思わず立ち止まってしまった男には、相手の体温のせいだろうが腕の掴まれた部分だけが、さっき腕を組んでいた時よりもやたらと熱く感じたのだった。

 男は一瞬何を言われたのか理解できなかった。

 もしかしたらコイツは酔っているのだろうか。

 だが、見上げてくる侑莉の目はしっかりと男を捉えている。

「今晩行くところがないんです! お願いします」

「お前女だよな?」

「え? ええ」

 レースのついたキャミソールに下はデニムのミニスカートにレギンスを履いた格好の男というのは珍しいだろう。

 だが、それを疑ってしまうほどに、突飛な発言だった。

 男だとしても、見ず知らずの人間にこんな事を言うのはどうかとも思うが。

 どっちにしろ、侑莉とこれ以上関わり合いになる気はなかった。

「大丈夫、お前なら適当に話し掛けりゃ男はだいたい家に入れてくれるだろうから他あたれ」

「あ、あなただって男ですよね」

「お前……」

 男が何かを言いかけたとき、マンションの入り口が開いて制服を着た男の子が入ってきて不思議そうに二人を見る。

「乗らないんですか?」

 エレベーターを指差す。男は舌打ちをして侑莉の腕を掴み返してエレベーターに乗り込んだ。

 三階で男が侑莉の腕を引っ張って降りるよう促したので、ペコリとまだ上の階の住人だったらしいもう一人の男の子に頭を下げて降りる。

 明らかに不機嫌な男と、挙動不審の女。

 そんな組み合わせの二人に男の子はニコリと笑ってエレベータを閉めた。



 男の部屋は角部屋だった。

 靴を脱いで上がると、十分すぎるほど広い2LDKで、必要なものしか置かれていない簡素さが更に部屋を広く見せている。

 物珍しそうに部屋中を観察しているうちに男は寝室へ行って取ってきた服を押し付けるようにして渡し、もう一つの部屋に侑莉を入れた。

 ベッド以外は何も置かれていない少し小さめの部屋だった。

 普段は使っていないらしく、布団さえもない。

「クローゼットん中に何かある。風呂に入りたいなら勝手に入れ。但し俺が入った後でな」

「あ……はい、ありがとう、ございます……」

 自分が無理やりに頼んだ事なのに、普通では考えられない事態に頭がついていかず、生返事をする侑莉を無表情に眺めて男は溜息を吐いた。

「朝早くからコキ使ってくれるウチの会社に感謝するんだな」

「へ?」

「今晩だけだ、明日中には出てけ」

 言いたい事を言って男はドアを閉めた。そのドアを侑莉はしばらく呆然と眺めていた。

 男が出て行ってしまうと部屋はしんと静まり返っている。侑莉はこの部屋唯一の家具であるベッドに腰掛けた。


 何をやっているんだろう。

 知らない人に思い切り嫌な顔をされて迷惑をかけて

 家にまで上がりこんで……


 それが良い事か悪い事かは別として、普段の侑莉からは想像も出来ないほどの行動力だ。

 いつもは他人に自分の都合を押し付ける事などほとんどしない。

 だけど、そんな侑莉が迷惑を省みずに赤の他人の家に上がりこもうとするくらいに、父親の元になど帰りたくなかったのだ。今はまだ顔も見たくない。

 車を見たとき、恋人らしき人と一緒にいれば父親もこれ以上何も余計な事はしてこないだろうと考えた。

 事実追ってくる様子は無かった。

 逆に怒り出して車に引きずりこまれるかとも思ったが、父でもそこまではさすがに出来なかったらしい。

 何かと侑莉の行動に口出しをしてくる父親だったが、今回ばかりは度が過ぎて、本気で人を叩きたいという衝動に駆られたのは初めてだというほどに怒りが沸いてきて、今もまだ治まらない。

 ほとぼりが冷めるまではどこかで匿ってもらおう。


 誰に?

 友達の家だときっと連れ戻されるかもしれない。どこかいい所はないだろうか?

 考えても答えは出ず、いつの間にか侑莉は眠りに落ちていた。


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