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第二章

父の横暴と従属に慣れてしまった智加はるかは、逆らうことをしなかった。言霊の能力のせいで、誰とも心から話すことのできない智加が、唯一話せるのが明来あきだった。何故か、明来には力が通じない。智加は明来に興味を持ち始めた。

第二章



 翌朝五時、智加は道場の掃除をしていた。斎服に身を包み、毎朝の日課だ。自宅の敷地内にあるが、学校の体育館の半分ほどの大きさだ。ただ掃除するだけではなく、穢れを祓う神事を行いながら、道場の穢れを祓っていく。父の書いた掛け軸だけが、いつも念が強くて払えなかった。

 その前に座して、両手を膝の上に置いた。

 しんと静まり返った道場。ここは東辞専用の道場で、使うのは父と自分くらいだ。

 智加は掛け軸の文字を睨み付けた。そこには、「白是真」と書いてあった。真実を白日の元に晒せ、なのか。真実こそ、白山神道と言いたいのか。もう私怨としか言いようがない。

 その時、道場の入口から高宮が入ってきた。白いシャツにネクタイ姿で、珍しくジャケットを着ていなかった。

「智加さん。お父様がお呼びです。書斎へどうぞ」

 智加は無言で立ち上がった。だいたいの予想はついていた。

 高宮とともに本館の父の元へと行った。頭を下げて入室すると、父は書斎のデスクの脇に立っていた。相変わらず、鼻につく、いばり腐った態度である。

 智加は父に近づくことはなかった。用があれば、いつも向こうから近づいてきた。手前にある応接セットの脇で、止まった。

 案の定、父が智加に近寄ってきた。父は体格がよく、顔も角ばっていかつい柔道家のような身体つきだ。身長は智加とさほど変わらないが、横幅があった。六十歳を過ぎたというのに、その二の腕は智加の倍はあった。

 いきなり、その腕が高く振り上がった。

 ガツンと骨にあたる音がして、智加はどっとソファの背に倒れこんだ。一瞬気が遠くなった。懸命

に意識を起こして姿勢を正すと、なんとも嫌な血の味が口中に広がっていた。

 智加は、足に力を込めた。

「昨夜の地鎮祭は」

 平然とした父の声がした。太く威圧感のある声は、いつも神経を逆撫でた。

「神事とは言えまい。のう高宮?」

 入口に控えていた高宮が、はいと声を出した。じっとこちらを見据えたままだ。

「お前はどう思っているのだ?」

「ですが」

 智加は、声を出した。途端、父の一喝が耳をつんざいた。

「言い訳など無用」

 智加は目を伏せた。このヒステリーは毎度のことで、自分の思うようにならない時はいつもこうだ。

「己の力に酔ってないか?」

「いえ、決して」

「ではなんだ、あの様は? なにもかも消し去りおって。焼け野原同然ではないか。あそこに産土神が降りるか? これほど浅はかだとは思わなんだ。情けなくて呆れたは」

 智加は答えなかった。

「市長の前でさぞや鼻高々だったろう。あれだけのパフォーマンス、マジックショーには十分だ。私がどれだけ恥ずかしい思いをしたか、お前に判るか」

 父の威圧が突風となった。現在、東辞の総代を務めている男だ。能力が落ちたため、神事は全て智加が行っているが、流石にこの怒りには圧力があった。

 智加は耐えた。顔は真っ直ぐ上げたままだ。父の覇気で髪が切れ、皮膚が皮一枚で切れていった。つんとした痛みが頬に走った。

「この東辞の面汚しが。馬鹿な女の血が混じっているせいか。犬畜生にも劣る間抜けさだ」

 父の言霊としての能力は、ほとんどが疾うに失せていた。が、これだけの罵詈雑言を発して、智加が無傷でいるのが悔しいのだろう。

「祝詞霊験集八巻から十巻だ。これを二日で暗唱しろ。高宮、判ったな」

 辞書ほどの厚さの本を、父は高宮に差し出した。

 智加はなにも答えなかった。

「それと、お前の進路だが、國學院の神学部で出している。それ以外は許さん」

「はい」

 搾り出すようにそれだけ言うと、智加は書斎を出た。

 高宮が背後から追ってきた。

 今更、希望の大学など叶わないと諦めていたが、神学部で何を学べというのだろう。既に神職であるわが身には、國學院の卒業証書など無意味だ。が、その紙切れが要ると言うのだろう。

「貸せ」

 智加は高宮から分厚い本を奪うと、さっさと歩いていった。



 昼休み、屋上へ行くと、明来が待っていた。満面の笑みで、今日のお弁当は自信作だと言った。

 ちらりと見ると、智加を恐れてか、鼠が随分減っていた。どうせ地面の下に隠れているのだろう。智加が消えれば、また大量に出てくるはずだ。

 智加は気にせず、明来の横にどかっと座った。

 弁当の蓋を開けると、昨日とはだいぶ様子が違っていた。まず見た目は合格としよう。豚肉の生姜焼き、エビチリ、インゲンの胡麻和え、かぼちゃの煮物と野菜多めで彩りも綺麗だ。そして焦げた卵焼きが入っていた。

 智加は、まず卵焼きから食べた。

「四十五点」

「ええ、ちょっと辛くない? オレ頑張ったんだよ」

 明来の目を見ると、少し赤くなっている。これだけのメニューだ。だいぶ早起きをしたに違いない。

「昨日は零点」

「ぐ。ご尤もです」

 明来は口を尖らせた。ぶちぶちと小言を言いながら、合わせた手をもじもじさせている。

 智加はその様子を見ていた。智加にとっても、自分の言霊の影響を受けず、ただの同級生というのは初めてだ。

「はい、先生。何が足りないんですか?」

「めげないな、お前」

「おう。取り得は元気で明るい性格だぜ」

「単純ってことだ」

「えー?」

 オーバーなリアクションをして、明来は突っ伏した。しかしすぐさま顔を上げた。

「そんなことないもん。お母さん、オレのこと明るくて素直で、周りまで元気にさせるって言ってたもん。わっはっは」

「はいはい」

「で、この卵焼きのどこが四十五点なんだよー」

「よく見てみろ。なぜ焦げたと思う?」

「え、それは、ほら、焼き過ぎとか」

「違うな。昨日と焼き方は変えてないだろう。焦げたのは砂糖の入れ過ぎだ。味見したか? 食ってみろ」

 明来は不安そうに自分の卵焼きを口にした。もぐもぐしていたかと思うと、うっと唸って顔を伏せた。

「甘いだろ? これじゃお菓子だ」

「う。うん」

「みりんも入れただろ?」

「ピンポーン」

「ピンポンじゃない。ったく、甘すぎて卵の味が消されてるんだ。甘さは最後に舌に残る程度でいい」

「だってー、東辞が甘いのにしろって言ったんじゃんか」

「それも程度だ。普通に考えろ」

「もう、文句ばっか。そうだ、これは卵焼きじゃない、お菓子だ」

「俺は、卵焼きが食いたいんだ」

「我がままだな。そんな注文ばっかじゃ、誰もお嫁さんに来てくれないぞ」

「別に。不自由はしてないからな」

 明来が思い切り目を細めて、胡乱気に見てきた。

「へえーそうですか。東辞が言うとなんかやらしいな」

 智加はふんと鼻で笑ってやった。

「なんだよ、その笑い」

「お前、彼女いないのか?」

「いねーよ。三年間いませんでした」

「既に過去形か。友達ならいるだろ? 蟻が」

「きぃー。その口塞いだろか」

 明来は智加の首に手をかけて、ふざけて締めるような格好をした。

「あはは。冗談。悪かった」

 智加は笑った。刹那、ぴたりと動きが止まった。思わずその口を手で押さえた。

 つと横を見ると、明来がむくれっ面で弁当をほうばっていた。

「卵ケーキ、最高」

 わけの判らないことを言っている。

「とうじ、豚食べてみろよ。絶対美味いはずだ」

「ああ」

「なにぼーっと見てんだよ」

「え?」

「オレの顔になんかついてんのか?」

 明来はもぐもぐと口を動かしながら、自分の顔を撫でた。

「あ、べんとついてた」

 明来は、口元のご飯粒を拭った。指先の絆創膏が見えた。

「おい、豚。豚だって」

「そう、豚豚言うな」

「なんだ、豚嫌いなのか?」

「違う。お前が言うと、俺が豚になってしまいそうなんだ」

「へ?」

 智加は至極真面目に言ったつもりだった。だが、明来はぷっと吹き出して、大声で笑いだした。

「あはは。それいい。東辞が豚になったら、生姜焼き決定な」

「豚しゃぶがいい」

「自分、喰うんか?」

 お互いの笑い声が響いた。

 九月の空は晴れ渡り、筆で書いたような薄い雲が浮かんでいる。風は銀杏の熟れた匂いを孕んで、二人の元に届けていた。穏やかな陽光が、明来の髪を照柿色に染めた。


 跳ねた毛先から、光の粒がきらきらと反射していた。

 智加はただ黙っていた。

 明来は横でお弁当を食べている。

 ふいに明来が顔を上げた。飲み残しのサイダー水を空中にかざした。ペットボトルを横に向けるとレンズのように光って、明来はそれを目に当てて空を見上げた。

「うわー。しゅわしゅわー。綺麗ー」

 明来が振り返った。

「とうじもやってみろよ」

「ばかか」

「ほら。いいから」

 明来が智加の目の前にペットボトルをかざした。

 受け取って目に当ててみると、光を反射したソーダ水は、まるで宝石のようだ。炭酸が弾けて、攪拌かくはんして、キラキラと光っていた。

 ペットボトルを回した。しゅわしゅわっと耳音で綺麗な音がした。まるで自分がソーダ水の中にいるようだ。

「あっ、ずるい。オレも」

 明来が智加の肩に手をかけると、ぐっと顔を寄せてきた。

 ソーダ水を通して空を見た。どこまでも透明で、ずっと続いている。遠くで予鈴の音がしていた。




 授業が終わり、智加は帰宅しようと廊下を歩いていた。そこに数人の女生徒が立っていた。通り過ぎようとすると、一人の女子が正面にきた。

「あの、私、隣のクラスの柴田弘美って言います。いきなりで済みません」

 髪が長く、時折それを掻き揚げて、真っ赤な顔で喋っていた。

「東辞君、メアドを教えて下さい」

 智加は視線を外すと、済みませんと言った。

「お願いです。迷惑はかけません。メアドだけでいいんです。宝物にしたいの」

 女生徒は胸元に携帯を握り締めた。哀願するような顔つきだ。ストラップのビーズがガチャガチャと煩く揺れていた。光るものが好きなのか、ガラスやラメのような派手なものが多かった。

 無視して歩き出そうとすると、女生徒が前に立ちはだかった。お願いします、と何度も頭を下げてきた。背が低く、髪を茶色に染めているので、生え際の黒い部分がだらしない。

 智加は、済みませんともう一度言って、彼女を避けて歩き出した。

 後ろでわっと泣き出す声が聞こえた。

「弘美、だからやめなって言ったじゃない」

「いやよ、いや。だってっ」

 智加の後ろで、泣き声はいつまでも続いていた。

 ふと向かいに視線を移すと、廊下を歩く明来が見えた。廊下をうろうろと、不自然に歩いているのだ。智加は気になって、渡り廊下へ移動した。

「何をしている?」

「あ、東辞。ちょっと落し物しちゃって」

「何だ?」

「いや、全然大丈夫。ないならないでいいんだ。あはは」

「そうか」

 そうでもなさそうな真剣な顔だ。

「じゃあ」

 明来は慌てて走っていった。その少し後ろを大量の鼠がついて行く。なぜ鼠なのか、それは明来が後生大事に持っているものが、理由だった。

 こっそりあとをついていくと、廊下を出て、体育館へ移動していた。そこは一階で、体育館と本館が渡り廊下で繋がっていて、地面続きだ。やはり下を気にして、時には壁の上や花壇の中まで手を突っ込んで調べていた。

 夕暮れも迫り、秋のつるべ落としは早い。体育館の入口にどかりと座り、明来はこうべをうな垂れた。

「明来」

「わっ、びっくりした。帰ったんじゃなかったのか?」

「なかったんだろ?」

「え、ああ。うん、まあ」

「俺が見つけてやってもいい」

「え? 無理だよ。こんなに探したのに。それにもう暗いし、もう見えない」

「見つけるのは簡単だ。方法があるからな。だが条件がある」

「条件? そりゃ見つけてくれるんなら助かるけど。ほんとは、とても大事なものなんだ、とても。あれがないとオレっ」

 明来はぷつりと言葉を切った。そのまま顔を伏せ、なにかを言い淀んでいた。

 智加はその先を想像した。

(生きていけない、か)

 あんな腐ったものを肌身離さず持つのだから、それは明来にとってかけがえのないものだろう。眉根を寄せ、ぎゅっと唇を噛み締めて、黙り込んでいる。

 その唇を、智加は見ていた。

 明来は顔を上げようとしなかった。

「それが何なのか、言いたくないんだろ? だから人にも頼めない。中を見られたら困るからな」

 明来はぎょっとして顔を上げた。無言のまま、じっとこちらを見つめている。智加は淡々と言った。

「何も言わなくていい。知りたいとも思わない。だが俺には探せる」

「え、なんで?」

 明来は表情を強張らせた。

「安心しろ。誰かに言うつもりはない。俺の条件を飲めるなら、見つけてやろう」

「何だよ? お金とかだったらないぞ」

「誰がそんなカツアゲみたいなこと言うか。ばか」

「ご、ごめん。そうだよな」

「十月二十一日、付き合って欲しい」

「それはいいけど。どこか行くのか?」

「俺の家に来て、両親と喋ってくれればいい。それだけだ」

「両親と? なんだ、そんなことか。全然オッケーだよ」

「契約成立だな」

 智加はそう言って、バックを肩から下ろした。渡り廊下から地面に降りると、ふむと言って辺りを見回した。部活の生徒も帰宅して好都合だ。制服のネクタイに指を差し入れると、ぐいと引っ張った。絹の擦れるシュッという音が響いた。

「何すんだよ?」

「見てなくてもいいが」

「いや。見る」

「ちょっと離れてろ」

 智加は目を閉じて呼吸を整えた。意識を空気の波長に繋げていく。風が智加の周りに渦を巻き始めた。


「風の神志那津比古之志那津比賣之命

是の元津気を以て

世に所有物を生幸へ給へ

最も奇比成る御恩頼に報い奉らむと為て

稱辭竟奉る状を平けく安けく聞食と白す」


 パンという拍手の音とともに、地面の土ぼこりがざっと舞い上がった。足元から湧き上がる風が、柱のように一直線に智加の髪を逆立てていく。右手を大きく上げて、智加は風を放った。

 風が上空へ舞い上がった。落ち葉や砂埃を巻き上げて、まるで美しい魚が尾びれをはためかせて泳ぐようだ。

 明来は呆然と空中を見ていた。

 ものの数秒後、ざざっという音とともに、風が智加の手に舞い降りた。その手にあるものは、小さなお守り袋だ。

「これだろ?」

 明来の目の前にかざしてやった。が、当の本人はぽわわんとほうけた顔だ。口をあんぐり開けて、思考メーターが振り切れたらしい。

 腐臭を嗅いで学校中探し回るより、手っ取り早いし、明来ならいいかと、言霊を使ったのだ。

「おーい、正気に戻れー」

 明来の目の前で、お守り袋をぷらぷらさせてみた。

「はっ。あ、それ。それだよ、それ」

 明来はいきなり我に返った。そして智加に抱きついた。

「ありがとう、東辞。ありがとう。本当にありがとう」

 半分涙目で、お守り袋に頬づりをしている。

「忘れるなよ」

「もちろんだよ。もうなんでもやるよ。かくし芸でもマジック大会でも。ご両親を喜ばせてやるからな」

 明来の脳内で勝手に変換されたらしい。別に演芸大会をして欲しいわけじゃないんだが、なんでもとは有難い。

「約束だからな」

「おう、任せとけ。男同士の約束だぜ」

満面の笑顔で、明来は親指を立てた。


(続く)

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