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(1)あたしが寮監!?

 

 3月の終わりも終わり。もうすぐ4月っていうのにこの暑さはなんだっつーの。汗がだらだらと流れてくるのよ?おかしいでしょ。

 ゴロゴロゴロゴロと、いい加減聞くも不快なスーツケースの音がいらいらを増大させる。

 スーツなんて着てくるんじゃなかった。ハイヒールなんて履くんじゃなかったといまさらながらに後悔しても仕方がない。

 そう、仕方がないんである。

 でもしかし。

「ざけんなっクソオヤジ。今度あったら半殺しにしてやるぅぅぅぅぅぅぅぅーーーー」

 20を超えた妙齢な女性が使うには似つかわしくない言葉で叫んで、あたしはこの場にいない元凶とのやりとりを憎々しげに思い出した。






 おいでませ私立白鷺高等学校橘男子寮へ

 (1)あたしが寮監!?






 時は遡ること数時間前。

 こんなことがあっていいのだろうかと、あたしは目の前でにっこり邪気のない笑顔を浮かべている父親と告げられた言葉を呆気にとられて見つめていた。

 その笑顔は他人にすれば、それはもう虫さえ殺さない人が良さそうなものに見えるけれど、生まれてこのかた22年付き合ってきたあたしからすれば胡散臭いことこの上ない。

 あたしは胡乱げな目で、理事長とプレートの置かれた机にどうどうと座っている父親にもう一度と聞き返した。そうそう、聞き間違えたってこともあるんだし。

 だから違うといってよ、お願いだから。神様仏様天使様悪魔様、ああもうこの際何だってお願いするから。

 そんなあたしの心情を知ってか知らずか―――いや、絶対に知っているに違いない―――、相も変わらないにっこり笑顔のオプション付きで楽しくて仕方がないというように父親は云った。

「もう一度いうからちゃんと聞きなさい。男子寮の寮監をやるように」

「今年で22歳を数えるうら若き乙女なあたしにやれって?」

「………乙女?どこがかい?」

 たっぷり10秒間をとりつつも、にこにこにっこり。

 笑顔で、けれど突っ込むところは欠かさず突っ込んでくる父親に、軽い殺意さえ覚えたって仕方がないっていうもんだ。

 確かにね、あたしは見た目からして乙女じゃない。

 子供のころからお転婆、じゃじゃ馬、はねっかえり、男勝りと呼ばれて、でもそれはそれで文句はないし、小学校から続けている合気道のおかげで、そんじゃそこらの男どもよりも強いと自負している。

 でもだからって、今はそこが問題じゃないでしょーが。父上さま。

「正真正銘乙女じゃん」

「その言葉が君の口から出るとはねぇ。いやはや人生何が起きるか判らないものだ」

 爽やかな嫌味は流すにかぎる。

「今年大学卒業したばっかのピチピチな新人教師のあたしに男子寮の寮監をやれと?」

 こだわっても話が進まないから妥協して、あたしはムダに立派な理事長机にばんっと手をついた。ああむかつくわ、さすがマホガニーの机。びくともしない。

「体面っていうのを考えなさいよ、理事長」

「それじゃなにか、君は教え子と不純異性行為にでもふけるつもりなのかい?」

「ふ、ふふふふ」

「不気味な笑い方はやめたほうがよろしいね、詠心うたこちゃん」

「ばかじゃないの、クソオヤジ!!!」

 とうとう爆破したあたしに、少しも崩れない笑顔で理事長兼父親はなんでもないようにさらっとのたまった。

「義理の息子ができるのか、それは楽しみだ」

 孫は女の子がいいななどとのたまうこの父親を誰かどうにかしてちょうだい。

 どこの世界に女教師が生徒と結婚することを喜ぶ理事長がいるっていうのよ。それも正真正銘血の繋がった実の娘なのに。

 いまさらはじまったことじゃない父親の言動だったけれど、あたしはくらくらする頭を抱えてつつ深くふかーくため息をついたのだった。






 そうして今に至る。

 ゴロゴロと足元で転がるスーツケースがうざい。

 なんでこんな心臓やぶりの坂道が続くのよ、とぐちぐち云いながら、あたしはひたすら歩き続けている。

 くっそ、車を持ってくればよかった。運悪く車検に出してて、使わないからと代車ももらわなかったことに後悔山盛り状態だ。

 結局というか、あのまま父親に押し切られ、あたしは嫌々ながらも寮監をすることになった橘男子寮とやらに向かっている。

 私立白鷺高等学校はあたしの祖父が建てた高校で、父親は二代目だ。典型的な世襲制ならば次は一人娘であるあたしということになるのだろうけど、今のあたしにとってそれはどうでもいいことだ。

 だってあたしは今年から教師になったばかり。ルーキー。そんなあたしが理事長だなんてまだまだ先のはなし。

 この世に数ある職業のなかで教師を選んだのは自然の流れだ。別に子供の頃からの夢じゃないけれど、祖父や父の姿をみてなんとなくそうなるべきだと思っていた。

 だから希望も夢もたーくさんこの胸に詰まっていたのだ。カワイイ生徒に囲まれて「先生」なんて呼ばれたらいいな、なんて教師なら誰だって思うこと。

 確かにね、勤め先は、あの一筋縄じゃいかない父親に「娘が他の学校の教師になってどうするの」なんて笑顔でいわれて強引に決められたけれどね。っつーか、理事長の娘が教師にいて支障はないのかどうなのか。

 でもなんで男子寮の寮監なんぞやらなくちゃならないんだ。せめて、せめて女子寮の寮監とかにならないもんなのか。

 とかなんとか考え事をしていたせいか、足元に転がるでかい石に気づくのが遅れてしまった。

「あ」

 でかいスーツケースが石に乗り上げぐらりと揺れる。しまったと思ったときにはもう遅かった。

 まるでスローモーションの画像をみているように取っ手から手が外れた。だってここは坂道。ついでにいうと上り坂。必死になって登ってきたんだ。こんな状態でスーツケースから手を離してしまったならば―――?

 そう、答えはひとつ。

 ゴロゴロゴロと大きな音をたててスーツケースは転がり落ちた。

「嘘嘘嘘嘘嘘。誰か嘘だっていってよ、マジで」

「―――ああ嘘だよ」

 は?

 おもいがけず近くで声をかけられて振り返る。

「ま、スーツケースが転がり落ちてるのはホントだけどな」

 確かに嘘だって云ってほしいっていったけど。

「だ―――」

 誰?っていいたかったのに、その人物はめんどくさそうにその隣のいた人物に転がるスーツケースを追いかけるように命令した。

「リョーチョーオーボー」

「文句は漢字を使えるようになってから云え」 

 それでも命令された人物は文句をいいつつも走ってスーツケースを取りにいく。

 ゴロゴロ大きな音をたてて目の前に持ってきてくれて、ようやくあたしは二人が制服を着ていることに気づいた。まさしくあたしが勤めることになる白鷺高等学校の制服。ということは生徒か。

「はいどーぞー」

 間延びした口調は癖らしく、いまどきの生徒っぽい。っつーか、ダッシュしたように見えたし、こんなに重たいスーツケースを運んで坂道を登ったのに息も切れてない。若いからか。羨ましい。

「ありがとう。助かったわ」

 お礼、お詫び。誰が相手だろうときちんとするっていうのがあたしの信条だ。

「もしかして、お姉さんが寮監センセ?」

 スーツケースを持ってきてくれた子の言葉に目をみはる。

 ちょっとー、お姉さんってなんなのそれ。

「もしかしなくったってそうだろ。この坂の上には寮しかねえよ。生徒以外に登ってくるヤツなんていねえだろが」

 リョーチョーと呼ばれた子がにやにや笑ってあたしを見る。なんだか子供っぽくない印象にあたしはつと目を細める。

 ん?リョーチョーってのはまさか“寮長”か?いやいやいや名字ってこともありえるじゃないか、と考えてしまうあたしは往生際が悪いのだろうか。だってこの子なーんとなく気に食わない。

「そうなんだ。キレイなお姉さんでラッキー」

 元気印な男の子がにこにこ笑う。

 そうそう。高校生だったらこういう笑顔をじゃなきゃ。

 でもキレイなお姉さんってCMじゃないんだから…と、突っ込むところはそこじゃないでしょ、あたし。でもまあ褒められて悪い気はしないけどね。

「あのね、仮にも先生に向かってキミね」

 早速生徒としての姿勢を正してやろうと思った途端、ストップと“リョーチョー”に止められた。

「話は寮でしようぜ。立ってるのたりいし」

「そうだね。センセも疲れたっしょ?」

 不完全燃焼だけど、この子たちのいうとおりだ。この坂道とクソオヤジのせいで、いい加減疲れた。ぐったりよ。

「俺俺。桑原太朗。たろちゃんって呼んで」

 そう云うなりスーツケースをスタスタと運んでいく。どこにもっていくのと慌てて追いかけようとしたら、のんびりと声をかけられた。

「あいつは体力バカだからいいんだよ。で、センセの名前は?」

 むか。

 なんだかわかんないけど、ほんとこいつむかつく。

「……ひとに名前を聞くときはまず自分から」

 無礼には無礼を。これもあたしの信条。

 にこりともせずに云い捨てると、久しぶりにはいたハイヒールをかつかつ鳴らしてあたしはスーツケースを取り戻すべく歩き出す。

 少しの間のあと後ろから返ってきた苦笑は低くて、ほんとにこいつは高校生かっつーくらい子供っぽくない。

 あたしはね、けっこう一生懸命歩いている。なのになんで置いてきぼりにしたはずのこのかわいくない子はゆうゆうとあたしの隣に並ぶのよ。

 ちらりと見たら、決して低くない身長のあたしよりも10センチは上にある目の位置に、これもまたむかつく理由だと気づいた。だからリーチも違うってか。ああやだやだ、かわいくないったら。

「…鷹司」

「は?」

「名前。鷹司率。ついでにいえば寮長をやってる」

 ああ名前ね。タカツカサなんて仰々しい。漢字を聞いてますます仰々しい。ま、なんだか似合ってるけどね。そんでもってやっぱり寮長なわけね。

「で、センセは?」

 やっぱり聞かれたか。聞かれたら答えないわけにはいかない。

「……深草詠心よ」

 嫌々ながらに教えてついでに漢字も説明してやると、ああと微妙な表情を浮かべて鷹司は笑った。

「なぁるほど。理事長の娘ってわけか」

 なんで学生が理事長の名前を知ってる?と少し不思議に思ったけれど、別に隠してるわけじゃないしと思い直す。

「悪かったわね、理事長の娘で」

「いや別に」

 別にといってるわりに浮かべている笑顔はほの黒いのは気のせいか?なんだか当分見たくない父親の笑顔に通じるものがあるような。

「とにかく」

 疑わしいと見つめるあたしの視線を振り切るようにして鷹司は云った。

「ようこそ、私立白鷺高等学校橘男子寮へ。寮生を代表して歓迎するよ詠心さん」

「―――バカタレ。先生と呼べ」

 疲れてるせいかここまで隠してた地が出てきたけど、もうなんかどうでもいい。

 軽く目を見張った鷹司は、やがてさきほどまでとは違う、優しげとでもいえばいいのか、そんな笑みを浮かべた。

「じゃ詠心先生」

「深草先生」

「詠心先生」

「深草先生と呼べ」

 こーんなやりとりが続くことおよそ10数回。結局名前で呼ばれることを了承してしまった自分自身が憎い。

 だってね、あの父親を相手にしていると諦めが早くなるのよ、ほんとにさ。






 ということで、あたしは教師とともに寮監をすることになった。

 その夜。熱狂的とでもいうような生徒達の大歓声に包まれたあたしは、ほんのちょーーーっとだけ寮監を引き受けてよかったなんて思ってしまったのだった。

 ま、そんなことあのクソオヤジには口が裂けたって教えてやんないけどね。 





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