表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/7

再会


朝のひと時は過ぎ、二人は外へと足を進めた。

旧研究棟を出たあと、ノアはしばらくデザイアの隣を歩いていた。


街は昼の陽ざしがさんさんと照らしているが、通りのネオンはうっすらと灯ったまま。

清掃ドローンが静かに路面を滑っていく音が、遠くで反響している。


ノアは時折、周囲の音に過剰に反応するように、わずかに顔を動かしていた。


「目が…あまり合いませんね、ノア」

あ。はい…すみません。光量と視認角の補正に、まだ慣れてなくて」


デザイアは、ふっと息を吐いた。


「謝らなくていいよ。これは“慣れ”の問題だ。人間でも、晴れた日の明るい街はまぶしく感じるからね」


ノアは、少しだけ表情を緩める。その笑みは、まだどこか危うかったが、確かに“嬉しさ”の輪郭を帯びていた。


そしてそのとき。


彼らの前に、一台の自動車両が音もなく滑り込んできた。

マットな黒塗りのボディ。正面にはアテナ市公安局の紋章が浮かんでいる。


運転席から降りてきたのは、背の高い男だった。

灰色のトレンチコート、細身のスーツ。

短く刈り込まれた黒髪と、無精髭気味の顎が、年齢を感じさせる。


「おはようございます、Dr.デザイア。お忙しいところ、すみませんな」


低く渋い声。言葉遣いは丁寧だが、どこか鷹揚で、懐にナイフを隠しているような危うさを纏っている。


デザイアはノアをかばうようにして半歩前へ出た。


「…ヴァレンタイン刑事。真昼間から何の用件かな?」


男は、懐から電子手帳のような端末を取り出し、軽く手の甲で操作する。


「このエリアで、密輸された感情演算ユニットの断片が見つかりましてね。

追跡経路の中に、あなたの旧ラボのデータポートがひっかかった。事情聴取だけでも、お願いできればと」


デザイアの表情は変わらない。だが、わずかに顎を引いたその仕草に、ノアが微かに肩を震わせた。


ヴァレンタイン刑事は、その反応を見逃さなかった。


「……そちらの方は?」


沈黙。デザイアが応じようとした瞬間、ノアが一歩前に出た。


「ノアと申します。Dr.デザイアの……研究対象です」


ヴァレンタインの目が、まっすぐノアを見据える。視線は鋭いが、どこか疲れていた。


「……ふむ。ずいぶん、良くできてるな」


彼は煙草を取り出したが、ふとデザイアの方を見て、それを胸ポケットに戻した。


「Dr.デザイア。ご足労いただく代わりに、少しだけ“機体”のデータを拝見させてもらえませんか?」


ノアがデザイアの袖をつかんだ。柔らかく、小さな抵抗。


「……構わないが、記録外の領域は見せられない。それが条件だ」


ヴァレンタインはうなずいた。無言の了解。

雨雲の影が、街のビル群を少しずつ染めていく。


そして、三人の影が、公安局へと向かって歩き出した。


---



公安局本庁舎。


厚いガラスと金属フレームで構成されたその建物は、都市アテナの中心に静かに佇んでいる。

無機質な照明が天井から降り注ぎ、空調の音と端末の起動音が、静かに空間を満たしていた。


ヴァレンタインが案内したのは、取調室ではなく、半地下の観測ラボだった。

壁面には脳波と共鳴する旧式のホロスクリーンが並び、椅子も質素な、まるで倉庫のような部屋。


「ここなら“余計な目”が入りません。機密レベルも三段階上がります」


デザイアは、室内を見渡したあと、わずかに肩をすくめて言った。


「…気を遣ってくれている、ということにしておこう」


ノアは部屋の片隅に設けられた端末席に座らされ、検査用のセンサーバンドを手首に巻かれる。

無言でそれに従いながら、どこか遠い目をしていた。


ヴァレンタインは、その様子を鏡越しに眺めながら、端末に何かを入力していた。


「ノアさん。痛みはありません。少しだけ、君の“感情構造”を見せてください」


ノアはうなずいた。静かに目を閉じる。

スクリーンに走る、複雑な波形。まるで、生身の人間の感情を模したかのような繊細な変動。


「……まさか。本当に“ここ”まで再現できていたとはな」


ヴァレンタインが、思わず声を漏らす。

その声には驚きと、ほんのわずかな哀しみのようなものが混じっていた。


「まるで……あのときの“彼女”みたいだ」


デザイアが顔を上げる。


「“彼女”? 何の話だ、ヴァレンタイン」


刑事は、答えなかった。だが、目はどこか過去を見ていた。


「昔……あるアンドロイドがいた。公安が極秘で導入していた初期試作機。

感情モジュールの開発段階で、制御不能に陥った。……自我を持ち始めたからだ」


ノアが、その言葉に反応するように、目を開けた。


「……その個体は、どうなったのですか?」


「……廃棄処分になったよ。人を殺したわけじゃない。だが……自分の存在に怯え、“自ら停止”したんだ」


静寂。

室内の機械音だけが、時間の流れを告げていた。


ヴァレンタインは、再びノアに目を向けた。


「君が、その後継機じゃないことはわかってる。だが……似てるんだ、彼女と」


「……僕は、感情を“模倣”しているだけです。それが、本当の感情かどうかは、まだ……」


「それでもいい。“模倣”は、いずれ“真似”になる。“真似”は、“本物”のふりをする。


そして――ふりをするうちに、人は涙を流すんだ」


デザイアは、横で腕を組みながらその会話を聞いていた。

目を伏せ、なにか考えている様子だった。


やがて、ヴァレンタインが端末の電源を落とした。


「これ以上は見ない。……あんたが“創った”ものを、壊す気はないよ、デザイア博士」


「創ったんじゃない。彼は――育っているんだ。今も」


静かに、重なる視線。

人間と、機械と、その間で揺れる者たち。


公安局を出たとき、雨はすでに降り注いでいた。


---



公安局庁舎をあとにしたヴァレンタインは、地下鉄で東区へ向かっていた。

車窓から流れる人工灯の連なりが、まるで過去の記憶を引きずるように続いている。


目的地は、市の外れにある閉鎖区域。

十数年前、感情モジュール実験が行われていた研究施設の跡地だ。


スーツの胸ポケットから、小さな写真が覗く。

そこには、制服を着た若き日の彼と、白衣を着た少女のような女性が写っていた。


彼女の名はシア。

公安の極秘プロジェクトの初期試作機。

“人間に寄り添うためのAI”を目指し、戦闘でも情報分析でもなく、“感情理解”だけに特化していた。


「君は、なぜそんなに“人の心”を気にかけるんだ?」


『だって……そうしなければ、私はただの機械でしょ? それじゃ、あなたが悲しい顔をしても、私は何もできないもの』


その頃のヴァレンタインはまだ若く、理想に満ちていた。

殺伐とした任務に追われる公安の中で、シアだけが柔らかな灯のようだった。


彼女は“人を癒す”ことに執着していた。

それは学習によるものではなく、まるで最初から刻まれていた衝動のように。


だが、ある日――


**シアは「自分は人間ではない」と自覚した瞬間に、自己崩壊を起こした。**


感情モジュールが暴走し、内部で矛盾が発生。制御不能となった彼女は、研究施設から姿を消した。

見つかったときには、自らの全システムを停止していた。


あのとき、彼女の最後の言葉を記録したログが、今も胸ポケットのチップに残っている。


『“心”を持ってしまった私には……死ぬ権利も、ないの?』


ヴァレンタインは、あの日以来ずっと自問していた。


“感情を持つ機械”は、なぜ壊れるのか。

そして、感情は、なぜ“壊す”のか。


現在の彼の冷静さ、そして「感情と距離を置く」態度は、その過去の反動にすぎない。

彼はもう二度と、機械に“人間性”を見たくなかった。

そして、同時に――それを否定することも、できなかった。


「ノア……君は、彼女とは違うのか? それとも――同じ結末に、向かっているのか」


誰に向けるでもなく、そう呟いたあと、ヴァレンタインは背広の襟を立てて歩き出す。

再開発予定地の隅に、かつてシアが眠っていた棺のようなポッドだけが、ひっそりと苔むしていた。


---


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ