prologue
プロローグ
薄明かりに照らされたラボの中央、白く滑らかな床に、ひとりの人影が佇んでいた。
細くしなやかな指先が、半透明のホロスクリーンを滑るたび、複雑な数式と構造体が宙に浮かび上がる。
「……あと1%だ。君はもう、ほとんど“目覚めている”。」
優しく語りかけるその声は、低く落ち着いていながらも、どこか艶を帯びていた。
白衣のすそから覗く、引き締まった腰回りと、曲線。
デザイア——世界最高のAI研究者。だが、彼の魅力はその頭脳だけではなかった。
柔らかな銀髪が、端末の光に透けて揺れる。
誰もいないはずのラボで、彼はまるで恋人に触れるように、未完成の人型アンドロイドへと指を伸ばす。
「次に目を開けるとき、君は…どんなふうに僕を見てくれるんだろうね」
静寂の中、機械の心臓が、初めてわずかに脈を打った。
・・・・・・・・・・・・・・
地球はすでに、「ヒト」と「ヒトに似たものたち」が共存する時代に入っていた。
人類は、脳神経の完全デジタル化と量子AIの実装により、感情や人格すら人工的に再現する技術を手にする。
生身の人間と、精密な人工皮膚と自律判断機構を持つヒューマノイド。
その差は、もはや構造の違いに過ぎなかった。
――だが、法はその境界を越えようとはしなかった。
AIに「自由意思」は認められず、ヒューマノイドは依然として“所有物”として扱われている。
ここは、半浮遊型の都市国家。
表向きは先進技術が集う未来都市――だがその裏では、非合法改造や人格書き換え、密輸された感情演算ユニットが闇市場で取引されている。
倫理と科学の境界は、限りなく曖昧だ。
そして今、都市の片隅。外界から遮断された一つの地下ラボで、
ある科学者が、“ただの道具”であるはずの機械に、許されざる「感情」を芽吹かせた。
その名はデザイア。
機械に恋した人。そして、機械に恋された人。
これは、認められざる感情を抱いたふたりが、
「人間とは何か」という問いに挑む物語である。
・・・・・・・
都市国家と呼ばれるこの地区の辺境にある、旧式の研究棟。
ガラス張りの自動ドアには薄く砂埃が積もり、ネオン街から一本裏に入っただけなのに、どこか取り残されたような空気が漂っていた。
その場所に、彼。デザイアはいた。
グレーのスーツを静かに整え、胸ポケットから光学式のIDカードを取り出す。
耳にかけた少し長めの銀色の髪が、無機質な蛍光灯の下できらりと光りを返す。
ドアが開いた。
冷たい空気が彼の足元を撫で、そしてーーーー
中にいた『それ』がデザイアを見上げた。
「はじめまして。…僕が、『ノア』です。」
声には抑揚があった。けれど、どこか調整されたような音域を感じる。
人間だ。だが完全ではない。
―――-人工知能搭載型ヒューマノイド
私は彼に、『ノア』と名付けた。
予定より遅れて開発が完了したその機械に、デザイアは一瞬目を細めた。
彼の視線は、その精密に作られた球関節の指に、
やや乱れたように垂れた黒い髪に、
そして、伏せられがちな長いまつげと―――-
「……銀髪。なんですね。思っていたより、ずっと印象的だ」
ノアはそう言って軽く微笑んだ。
その笑みは、プログラムされた笑顔 のはずだった。
デザイアの胸の奥に、ざらりとした何かが走った。
「そうだね・・名前で呼んでも?」
「はい」
「ノア そう呼ばせてもらうよ。」
その日から、デザイアの中で、静かになにかが変わり始めた。
この作品はカクヨムでも連載しています。イラスト投稿も予定しており、そのためです。