148.警戒せずにはいられないけど
ぽかん、と。伊織は口を半開きにする。
その表情があまりにもあどけなくて。ただでさえ幼く見えていたってのに、より一層子供っぽい印象を抱いた。
「えっ、と……そんなの、交換条件みたい……」
「みたいじゃなくて、交換条件だっつってんだよ」
悪役顔を近づけてやる。ぽかんとした表情のままで、とくに怖がる様子はなかった。
呆けているからビビらないわけじゃない。元々肝が据わっているのか、それとも慣れているのか……。
とにかく伊織相手に、勢いだけで本心を明かしてもらうわけにはいかなさそうだ。
だったら腹を割って話すしかない。そのためには、俺も本心でぶつからなければならないだろう。
「それはともかくとしてだ。飯を食おうぜ。せっかく伊織が作ってくれたってのに冷めちまう」
「あ、う、うん……」
伊織は新しい茶碗を出して山盛りにご飯をよそった。さっきもあれだけ食べていたってのに……小さいくせによく食べるよな。
俺たちは黙々と食事を済ませた。食べながら話そうかと思ったのだが、伊織の食べっぷりが良すぎて躊躇ってしまったのだ。
「ご馳走様でした。それじゃあ片付けるね」
「作ってもらったんだ。洗い物くらいは俺がする」
「え、別にいいよ」
「俺がやるっつってんだよ。妹なら兄の言うことを聞け」
ここぞとばかりに兄貴という立場を主張して後片付けをする。借りは少しでも返しとかないと、いざって時に自分の首を絞めそうだからな。
とはいえ、伊織は警戒しているのか、俺が食器を洗うのをすぐそばで見つめていた。
「……」
無言で見つめられるとやりづらい……。ただ食器を洗っているだけなのに、なんでこうも警戒されてんの?
伊織という少女からは、なんというかちぐはぐな印象を受ける。
いつもニコニコしていて、それは俺が住んでいたアパートの火事を前にしても変わらなかった。なのにさっきは妙に真剣な顔をしたりして……最初に抱いたイメージと合わない。
腹違いだけど郷田晃生と同じく、とんでもない身体能力があって。でも男女の関係には初心なところがあった。
そして、夏樹の言葉……。
「わたしの秘密って……何が知りたいの?」
そろそろ洗い物が終わりそうなところで、伊織が話しかけてきた。
「あん? そうだな……伊織は俺のことを知っているみたいだけど、俺は異母妹がいたのも初めて知ったからな。聞きたいことなんて山ほどある」
食器を全部洗い終えて、手を拭きながら伊織に顔を向けた。
「まず聞きたいのは、そうだな……なんでここで一人暮らししてんだ?」
この部屋を用意したのは親父だろう。
だけど親父はともかく、母親の気配や痕跡がまったくない。俺を家に上がらせておきながら、伊織から親や兄妹が帰宅するのを考慮した様子がなかった。
「わたし、一人暮らしだって言ったっけ?」
「誤魔化すのが下手糞だぞ。別にそこは隠す必要もないだろ」
そうだ。それ自体はどうでもいい。
それを言うなら俺だって一人暮らしだ。郷田晃生と母親の仲を考えれば、伊織の境遇を詮索する気にはならない。
ただ、伊織が俺に接触してきた事実自体が問題なのだ。
原作では郷田晃生に兄妹がいるなんて描写はなかった。
それなのに、なぜ伊織が俺に接触するという事態になったのか?
原作と現実は違うと言ってしまえばそれまでだろう。けれど、何か理由があって俺を後継者候補から脱落させないといけなくなって、こうしてわざわざ転校して一人暮らしをしなければならなくなったんじゃないだろうか。
「……」
伊織はすぐには答えなかった。
俺はこの沈黙の時間を使って、頭の中を整理する。
問題は、伊織がなぜ俺を後継者候補から脱落させようとしているかということ。
腹違いの兄妹がどれだけいるかは知らないが、親父はハーレム婚をしている。子供が俺と伊織だけではないはずだ。
俺を脱落させることが目的では、伊織自身の勝利に直結するとは思えない。下手をすれば伊織自身がマイナス評価を受けかねないからだ。
だから伊織ではない他の奴が絡んでいるはずだ。後継者争いをしている、他の腹違いの兄妹って奴がな。
「うん……お兄ちゃんの言う通り、わたしはここで一人暮らししているよ。どうしてって言われると……ちょっと言いづらいね」
伊織が笑顔を貼り付ける。ニコニコと、見慣れた笑みだ。
伊織と顔を合わせた時間はあまりにも短い。
だから本心がわからない。その笑顔が本物なのか偽物なのか、今の俺には判断できなかった。
「言いたくなかったら言わなくていいぞ。今すぐじゃなくても、言いたくなった時でいい」
「でも、それじゃあ秘密を明かしたことにはならないんじゃないの?」
「そうだ。だから俺も伊織の質問には答えない。さっき言った通り、これは交換条件なんだからな」
俺だけ一方的に本心をさらすつもりはない。
共に育ってきた兄妹なら、話しやすくしてやるために自分の心のうちってやつを教えてやるのが優しさなのかもしれない。
しかし、俺と伊織は出会ったばかりの異母兄妹だ。
無条件に優しくしてやる義理はない。あくまで対等に。秘密を明かし合うという交換条件は、俺なりに精一杯の譲歩だ。
「……」
伊織は床に視線を落とす。
一人暮らしをしている理由がそんなにも言いづらいことなのか? まずは軽くと考えていたものだったが、早速地雷を踏んでしまったかもしれない。
「まっ、これからお隣さんになるんだ。気が向いたら教えてくれや」
「お兄ちゃん」
別に問い詰めたいわけじゃない。
俺は忘れ物がないかを確認して、玄関に向かう。
「飯も食ったし、もう帰るぞ。ご馳走してくれてありがとうな」
「お、怒ったの? わ、わたしが答えないから……」
不安そうな顔で追いかけてきた伊織の頭を乱暴に撫でる。どうせこれから風呂に入るんだろうし、髪形が乱れたって構わないだろ。
「怒ってねえよ。言っただろ? これからお隣さんになるんだから、ああいう話は好きな時にできるんだ。焦らねえでいいから、ゆっくり落ち着いた時にでも話してくれよ」
「う、うん……」
俺はクールに伊織と別れて、自分の部屋に戻った。
「……」
玄関のドアを閉めると、一気に力が抜けて思わずドアに背を預ける。
大きく息を吐いてから、自分が緊張していたことに気づいた。
「なんとか……無事に伊織の家から出てこられたか……」
なんだかんだで一番警戒していたのは俺だった。命の危機が訪れなくて本当に良かった。
どんな罠があるかわかったもんじゃなかったからな。これでも気を張っていたのだ。
「でも、思っていたよりは……」
伊織の顔を思い出す。
不気味に感じていた笑顔が、少しだけ違って見えるようになった気がする。
俺は伊織とどうやって向き合っていけばいいのだろうか。そんなことを考えながら、新たな住居での夜は更けていくのであった。
◇ ◇ ◇
そして、新居に引っ越してから最初に迎えた朝。
「おはよう晃生くん! 朝から君の顔を見られるなんて、早起きは得だね!」
……なぜか、夏樹が明るい笑顔で俺の寝顔を見つめていたのだった。





