第0話 プロローグ
燃える、燃える、燃える、燃える、燃える、燃える、燃える、燃える、燃える、燃える、燃える、燃える、燃える、燃える、燃える、燃える、燃える、燃える、燃える、燃える、燃える、燃える、燃える、燃える、燃える、燃える、燃える、燃える、燃える、燃える、燃える、燃える、燃える、燃える、燃える……。
周囲一面が燃えているどころの話ではない。
世界全土が炎に包まれている――否、"炎"と言うには生易しい。
これは"獄炎"だ。
全てを燃やし尽くす地獄の炎が四方に拡がっている。
水分は蒸発し、鉄は融けて、地面は焦土と化して、空気さえも消失していく。
ありとあらゆる有機物が地獄の業火に焼かれて存在価値を失っていく。
地獄の権化と評すに相応しい舞台の上において尚、頑なとして座する者が1つ存在した。
その者は空をも覆う巨躯を持ち、全身を炎に包まれながらも微動だにせず胡坐をかいている。
彼こそがこの世を地獄たらしめた元凶。
業火に身を纏い、この世全てを滅ぼす終末の象徴。
"全てを滅殺する。塵芥も残しはしない"、と唸りを上げる彼の『破壊神』こそ、後の世で『魔王』と呼ばれ、畏怖される存在である。
言葉はなくとも伝わる殺意、狂気、憎悪、憤怒、悪意……といった夥しい数の負の感情が、天地全てを地獄の業火で包み込む。
結果……世界の全てが焦土と化して、残存する生命体は彼を置いて他にはいなくなった。
彼の嚇怒によって世界は終焉を迎えるのだ。
よって、彼の目的は終ぞ果たされた。
……かに思えた、その時――。
赤と黒の2色だけだった世界に六筋の閃光がどこからともなく煌めいた。
赤、白、黒、翠、黄……そして青。
六色かつ極細の閃光は『破壊神』に向かって真っすぐ飛翔する。
これらの閃光は全て残影だ。
目にも止まらぬ疾走によって生じた残像が連続した結果、色とりどりの閃光を生み出している。
常人離れした速力を持ち、死地において生き永らえている彼らは、世界の終わりを阻止せんと『創造神』によって生み落とされた六人の益荒男達。
世界最後の希望。
物質を原子レベルで融解し、死滅させる極限の世界において尚、存在することを許された究極の生命体。
『破壊神』に対抗するべく『創造神』が創生した『英雄』、それが彼らである。
将来における人類の原型であるが故に人並みの体躯しか持ち合わせていない。
『破壊神』に比べればミジンコのような矮小な存在であるにもかかわらず、彼らは恐れることなく空をも覆う巨神に牙を剥く。
あらゆるものが蒸発し、存在価値を失っていく中で、何故彼らは自己を保っているのか。
それには当然のことながら理由があった。
彼らを守っているのは、己の内から溢れ出て身を包んでいる色とりどりのオーラ。
つまりは『神殿』である。
『神殿』とは、すなわち彼らの『神格』が世に流れ出て結界と化したもの。
彼らは『創造神』から生み落とされたが故に『神格』を有している。
結果、神の御業の一部を揮うことが可能となっている。
彼らは己が『神格』を身に纏うことで、世界を焦土に変えた獄炎から身を守っているのだ。
故に、彼らの世界である『神殿』は、『破壊神』でさえも突破できない。
そして、『破壊神』に対抗する手段は『神殿』だけではない。
彼らが手に持つ武器もその一つだ。
武器の名は『神器』。
『神器』とは、すなわち彼らの『神格』を具象化したもの。
彼らは自らの武器である『神器』を手に握りしめ、己が『神殿』で自分の身を守りながら、『破壊神』を打倒するべくひた走っている。
ー。
――。
―――。
『破壊神』に向かって突き進む横並びの六つの影から一つが飛び出し、先行した。
その正体は黄色の英雄だ。
彼を包み込む『神殿』は黄色を通り越してもはや黄金色の光を纏い、『破壊神』とは異なる意味で視た者を焦がす程の鮮烈なオーラを放っていた。
もはや生命体としての限界を超えた速度で死地を踏破するそれは、他の者らよりも一層大きな黄金色のオーラを身に包み、一筋の流星と化して加速する。
黄色の英雄は己の陰影を後ろに捨て置きながら、目前の夥しい障害など物ともせずに踏破して、そして――。
「破壊の神よ……ここが貴様の死に場所と知るがいい!!」
――『破壊神』の足元……直線距離にしてわずか百メートルの地点にまで迫ったところで足を止めて、両手で握った両刃剣を上段に振り上げた。
足を止めたことで露わになる黄色の英雄……その姿。
金色の髪に金色の双眸、黄金比の顔立ちに金色の鎧と……剣を頭上に掲げるは、全てを黄金で纏った見目麗しい青年。
彼の体躯から立ち昇る金色のオーラが頭上の剣先を越えて、遥か高くに天昇する。
無限に湧き出る光輝は今や『破壊神』の頭上を越えて、獄炎さえも届かぬ虚空へと手を伸ばしている。
黄金のオーラを極限まで集束させた両刃剣、その矛先を『破壊神』へと突き立てた。
ー。
――。
―――。
この世を終末に誘う『破壊神』とは……語尾に名の付く通り『神』の一柱である。
『神』に対抗する為には同等の『神格』を有する必要があり、『創造神』が生み落とした六人の英雄は『破壊神』に対抗しうる『神格』を有している。
加えて、『破壊神』に対抗しうる『神格』は次の三つの形で具現化することが可能である。
一つ目は『神器』であり、彼らの『神格』を武器と化したもの。
二つ目は『神殿』であり、彼らの『神格』を結界と化したもの。
そして、これから起こる事象こそ、三つ目の対抗手段であり、『破壊神』を滅する可能性を秘めた一撃である。
ー。
――。
―――。
天高く上昇する極光は唸りを上げて、振り下ろされる時を今か今かと待ち望み――。
「神威解放――覇王が揮いし極光剣!!」
――全てを浄化する断罪の刃が『破壊神』の頭身へと振り落とされた。
光が猛り、暴風が巻き起こる。
解き放たれた極大の神威は『破壊神』の頭身のみならず、全身を包み込んで浄化へと誘った。
『破壊神』が身に纏う獄炎さえも呑み込む光の渦。
この御業こそ三つ目の対抗手段である『神威』である。
『神威』とはすなわち、指向性を持たせた『神格』の具現。
武器の枠に収まっている『神器』から、その枠外へ『神格』を押し広げる為の手段。
言うなれば、彼らの『神格』を光線と化したもの。
『神器』を媒介に外界へと己が『神格』を射出する指向攻撃こそ『神威』の真価である。
光輝の奔流に呑まれた『破壊神』は為す術なく、ただただ浄化の光を受け入れるのみ。
その、はずだった――。
「――ッ!!」
――黄色の英雄が怪訝な表情を浮かべる。
何故ならば、本来であれば極光の中から聞こえてくるはずの苦悶の声も、浄化による影の揺らぎも、皆無だったからだ。
光の中からひしひしと伝わってくるのは一片たりとも薄れぬ純粋無垢な殺意のみ。
なればこそ、その殺意が己を攻撃する不届き者へと向けられることは自明の理だった。
指向性を持った殺意は黄色の英雄へと向けられて、そして……音もなく……ただただ静かに益荒男の一柱、その存在全てを滅却したのだった。
ー。
――。
―――。
「なるほど。奴は武神の一撃が効かぬほどの耐久力を有するらしい」
『破壊神』へと向かう足を止めて、静観を決め込んでいた五人の英雄。
彼らの中で、最初に静寂を破ったのは赤い英雄だった。
味方が宿敵に屠られた後に呟いた最初の一言。
それは、哀悼でも、同情でも、憐憫でもなければ、ただの戦況分析であり……。
次いで紡がれる言葉もまた然りだった。
「これは私一人では荷が重いかな……ついてこい。カスティタス、インダストリア」
『破壊神』を今度こそ仕留めるべく赤き英雄が動き出す。
先を行く彼の呼びかけに応じた英雄は二人。
「了解ッ!!」
「仕切るな、俗物が……」
一人目はアルビノのように全身が白く、そして生気が感じられない瘦せ細った男児。
二人目は黒一色に全身を包んだ長髪長身の女傑だった。
先陣を切った彼に追従する形で黒と白の英雄もそれに続く。
先行する彼らを後方から眺めながら翠色の英雄が青の英雄に問いを投げる。
「なぁ……お前さんはこの勝敗の行く末をどう見る?」
それは英雄らしからぬ疑問だった。
何故ならば、英雄は世界の希望であるが故に勝利以外の選択肢はあり得ない。
彼の問いは、己が勝利を疑うとも取れる疑問だ。
それは英雄にあるまじき言動であると同時に、一つの確固たる現実を見据えていた。
なればこそ、青色の英雄も本音で語るのが道理だろう。
「私たちに勝ちの目は微塵たりともないでしょうね」
彼のはっきりとした声音が、それを断固とした事実として突きつける。
「最強の武人の一撃が通用せず、彼は一瞬で『破壊神』に敗れ去った。これの意味するところはつまり、私たちのどんな一撃をもってしても『破壊神』を傷つけることは叶わず。しかし、『破壊神』には私たちを倒す手段があるということに他ならない」
故に絶望しかなく、赤、白、黒の英雄も遠からず『破壊神』に敗れ去るだろう。
青の英雄の悲観的な見解に対して、翠色の英雄が続けて問いを投げる。
「じゃあ、お前さんはこの戦いを放棄するのかね。我らが母君である『創造神』によって、『破壊神』を打倒するべく造られたわしらの存在意義から目を背けると……そういうことか?」
翠色の英雄の厳しい眼光に、青の英雄は鼻で笑って応じる。
「まさか……打倒はできずとも彼を無力化する術ならあるのですよ」
「ほう……」
難色を示していた翠色の英雄の声音に力強さが戻ってくる。
「なら、わしはお前さんに賭けてみようか」
「ご自由に……私は彼らが『破壊神』の行動を制限している間にするべきことがありますので……」
これにて失礼、とその場から立ち去る青色の英雄を横目に、翠色の英雄は戦場へと視線を向ける。
「さて、わしはわしなりにできることをやろうかの……」
希望を示してくれた彼の言葉を信じて、と翠色の英雄は戦場へと再び走り出したのだった。
―。
――。
―――。
「神威解放――幻想喰らう狂気の縛鎖ッ!!」
「神威解放――遍く魔を退けし鉄の壁」
白と黒、相反する英雄の一撃が解き放たれる。
どこからともなく現れた無数の鎖が『破壊神』に絡みつく。
黒の英雄の前に現れた巨大な盾から放たれた光線によって『破壊神』の肉体が腐食する。
「縛鎖と腐食……二種類の弱体化に加えて私の『神格』をもってすれば、貴殿の”破壊”など恐るるに足らん」
天高く、『破壊神』の頭上よりも高い位置で赤い英雄が呟く。
彼の言う通り、『破壊神』には二種類の弱体効果が生じている。
そして極めつけが彼の『神格』である。
彼の『神格』の能力の一つに”持ち主に都合の良い未来が訪れる”というものがある。
よって、赤き英雄にとって不都合な『破壊神』の攻撃は全て無効化される。
しかし、彼の能力はこれだけではない。
彼の『神格』は六英雄の中でも最高峰であるということ。
それがこれから示されるのだ。
彼は右手に持つ赤い短槍を大きく振りかぶると、胸を反らせて投擲の構えをとり――。
「神威解放――全て無に帰す雷霆」
――右腕をしならせて、赤い短槍を『破壊神』へと投擲した。
射出された赤槍は高密度の赤いエネルギーを纏いながら雷の速さで獲物へと飛翔する。
赤槍は空気を切り裂きながら、後塵に渦を作って吸い込まれるように『破壊神』へと向かい、そして――。
「――ッ!!」
――直撃と同時に轟雷と爆音を生じさせながら、周囲諸共一掃した。
その威力はさながらツァーリ・ボンバー。
人類史上最強と名高い水素爆弾の一撃に匹敵するだろう。
直径十数キロメートルにも及ぶ爆風と土煙が威力の凄惨さを物語っている。
爆発後も轟雷は鳴り止まず、追撃と言わんばかりに赤雷の嵐が降り注ぐ。
この『神威』の攻撃範囲では、ネズミ一匹生きることさえ叶わないだろう。
そう断言できるほどの威力と規模を誇っている。
「戦いの技術では黄色の英雄に劣るがな……神器の質に関しては私の方が遥かに上を行く。私の『神威』は『破壊神』といえどもただではすむまい――そう、思っていたのだがな」
轟雷の衝撃によって発生した土煙。
依然として『破壊神』の姿は視認できない。
しかし、煙が晴れるまでもなく伝わってくる圧倒的な存在感が土煙の向こう側に存在した。
どうやら『破壊神』には六英雄最強の『神威』さえも通用しないらしい。
なればこそ、必然として黒と白の英雄の『神威』も『破壊神』の前では無力だった……。
弱体効果だと……それがどうした。
『破壊神』は全てを凌駕し、破壊する。
それは有機物、無機物に関わらずありとあらゆる事象の全てが対象だ。
『神威』の能力も、『神器』の威力も全てを蹂躙する。
例えばそれは『持ち主に都合の良い未来をもたらす』という『神格』の力さえも……。
前述の言を証明するかの如く、『破壊神』の意識が攻撃を仕掛けた三英雄へと向く。
それはつまり、彼の”破壊”が三英雄に向けられるということ。
こうなってしまってはもはや彼らに助かる術はなく、神の裁定が下るのを待つのみ。
しかし、死を覚悟していた三英雄の耳に希望の声が届いた。
「助太刀するぞ、お前さん方」
声が聞こえた方へ振り向いてみれば、『破壊神』から遠く離れたその先に翠色の英雄が一人、三又槍を片手に仁王立ちしていた。
「名前に恥じない力を示せよ、神槍」
彼は己が『神器』にそう語りかけると、両腕で槍を持って、刃先を下に向けて上段へと構えた。
「神威解放――天地震わす破槍の一撃」
『神威解放』の詠唱とともに三又槍の刃先を地面に突き立てると、大地が震え始めて各地で地割れを引き起こした。
尋常ならざる揺れに『破壊神』の焦点が三英雄からずれて、彼らは”破壊”の一撃から免れた。
「助かったぞ、我が同胞よ。やはり私は運が良い」
『破壊神』の攻撃範囲から脱するように、しかし気品を感じさせる立ち振る舞いで三英雄が翠色の英雄と合流する。
礼を述べる彼らに翠色の英雄が『破壊神』打倒に向けた攻略の糸口を伝える。
「時間を稼ぐぞ、青いのに何やら考えがあるらしい。準備するのに時間が入り用みたいだ」
「主役を譲るのは業腹だが、最後に勝つのが私であればそれで良いか」
「青い英雄の為に……というのは気に食わんが、これも我が母君の御心のままにという奴かな。足止め程度であればいくらか稼げよう」
「……」
翠色の英雄の言葉に赤と黒の英雄が肯定の意を返す。
白の英雄は端から興味がないのか、終始無言を貫いた。
「さて、では同胞の準備とやらが整うまで時間稼ぎをさせてもらおうか」
「だから、貴様が仕切るなと何度言わせれば気が済むのだ」
青と黄を欠いた四色の英雄は再び『破壊神』へと向き直り、攻撃態勢を整えた。
―。
――。
―――。
「さて、この辺りで良いでしょうか」
『破壊神』との距離を目視で測りながら青い英雄が独り言ちる。
両者間の距離は今や千メートルを超えている。
「あとは彼らの戦いが終わるのを待つばかりですか……」
そもそも翠色の英雄に発言した”すべきこと”など大してないのだ。
強いて挙げるとすれば、これから実行することを『破壊神』に極力悟られぬように距離を置くことと……。
彼らの敗北を見届けることだけ。
「まあ、戦いにすらなっていないので、すぐに決着はつきそうですがね」
防戦一方。
四人の英雄は『破壊神』との戦いにおいて土俵にすら立っていない。
ごくたまに赤い英雄が雷霆を揮うが、それでも『破壊神』に傷一つつけることは叶わない。
赤、白、黒、翠の色とりどりの戦線を地獄の業火が塗り潰している。
『破壊神』には攻撃手段があるのに、四人の英雄にはそれがない。
綺麗な色彩で描かれた絵画を真っ黒な絵の具で上塗りしているかのようだ。
そんな感想を抱いたのも束の間、やはりと言うべきか。
淡い期待を抱かせることもないまま、一つ、また一つと英雄は破壊の魔の手によって消滅していき――。
「準備が整いましたね。では、いきますか」
――最後の一色が消滅したことを見届けてから、青い英雄が『神威解放』に向けて動き出す。
彼の『神器』は剣、勾玉、鏡と三つあり、いずれも祭器としての側面を併せ持つ。
祭器とは神を崇め奉るもの。
怒れる神を鎮める為のものである。
すなわち、神を封じる力を有しているということ。
元来、神とは殺すものではなく、敬服するものであり、神が怒れば贄を捧げて怒りを鎮める。
そして、『破壊神』の怒りを鎮める為に五色の魂が贄として天上へ召し上げられた。
舞台は整った。
『破壊神』よ、ここからが本番だと知るがいい。
力比べだけではない。
戦の何たるか、その神髄がこれから解き放たれる。
「『破壊神』よ、あなたは私の『神威』によって封殺します」
『破壊神』を中心に赤、白、黒、翠、そして黄色の光の円柱が立ち昇る。
位置関係は東方向に翠の光の円柱。
西方向に白の光の円柱。
北方向に黒の光の円柱。
南方向に赤の光の円柱。
そして最後に中央……破壊神を包むように黄色の光の円柱が立ち昇っている。
「――ッ!?」
『破壊神』が異変に気付く。
しかし、何をされているのかも分からなければ、術者が何処にいるのかも分からない。
異変の元凶を突き止めるべく視野を広げる破壊神に最後の審判が告げられた。
「神威解放――因果定めし封殺の理」
詠唱が紡がれたと同時に『破壊神』は元凶の所在を看破した。
直線距離にして千メートル強。
随分と器の小さな者が我に牙を剥いたものだ、と――。
殺す、殺す殺す殺す殺す殺す――、と嚇怒の魔手が青い英雄へと伸びるが、青い英雄に悲観の色は見当たらない。
「少し遅かったですね。これより、あなたが持つ強大な力を分割します」
彼の魔手は青い英雄に届くことなく、動きを停止した。
ありえない、と声にならぬ雄叫びを上げる『破壊神』。
「時間があれば、私の封殺の理も”破壊”したのでしょうが、あいにくと既に術式は発動しています」
みしみしと軋む音が『破壊神』の内から生じて、それは次第に全身へと拡がっていき……。
パリンッ、と何かが割れたような音が聞こえたと同時に。
『破壊神』という存在は無数に砕けて光の柱へと吸い込まれていったのだった。
―。
――。
―――。
「これで私もお役目ごめんということでしょうか」
自身の内から生気が急速に失われていくのを感じながら青い英雄は呟いた。
世界でたった一人の生者。
寄る辺など当然皆無。
地面に膝をつき、今にも倒れこもうとしている彼の下へ――。
「――見事」
――黒い外套の人物が姿を現した。
それは六英雄と同じ”人”なのか……。
周囲の風景は正確に認識できているのに、その人物だけが靄がかかったように正確に認識できない。
正体不明な存在を前に、毅然とした意識を取り戻して青い英雄は問いを投げる。
「あなたは何者ですか?」
震えるように揺れる黒い影。
その姿はさながら笑いを堪えている様だ。
「私は何者でもない……あぁ、強いて挙げるならば観測者ということにでもしておこうか」
飄々と答える黒い外套に青い英雄は敵意で返す。
「では、観測者とやらよ。何をしにここへ来たのですか?」
「何のことはない。君に賛辞を送りたくてね」
「それは一体、何に対して、何の為に……」
「『創造神』と『破壊神』……戦いにおける二柱の力関係は一目瞭然だった。『神格』で言えば同格であるにも関わらず、こと戦においては『破壊神』が遥か上を行く。故に『創造神』は『破壊神』を倒すことができる存在を創造したのだ……」
君たちのようにね、と黒い外套は青い英雄に視線を送るような仕草をしたが、依然として青い英雄は黒い外套の姿を正確に認識できない。
黒い外套は未だに訝しる青い英雄の視線を他所に言葉を紡ぐ。
「しかし、『創造神』が創造する者は己よりも不完全なものであるが故に戦に特化した存在を造ったとしても、『神格』が『破壊神』に劣ってしまう。戦いの結末は火を見るよりも明らかなはずだった」
トリックスターもしくは稀代の詐欺師か……三文芝居を演じるかのような大仰な振る舞いを見せる黒い外套に青い英雄は不信感を募らせる。
「だが、現実は『創造神』に軍配が挙がっている。『破壊神』が封印されたことによってね」
「……」
「力で劣るが故に力比べではなく、知恵で勝利を掴んだと言えよう。人らしく……。誇りたまえ。『破壊神』という名の魔の頂点――『魔王』を封印し、世界を救った英雄よ。『魔王』を倒した証左として、君はこれから『勇者』と名乗るが良い」
「賛辞については有難く受け取りたいところですが、生憎と私の命は今にも尽きそうな風前の灯……ですので、何の為にここへ現れたのか、目的を知りたいところですね。賛辞を贈りたいが為だけにここへ訪れた訳でもないのでしょう?」
「それは失礼した。では最後に……」
三門芝居を止めて、黒い外套は青い英雄の前で立ち止まると、こう口にした。
「君に願望はあるかね?」
何を言っているのか、と驚きを隠せない青い英雄を気にせず黒い外套は続ける。
「大抵のものは叶えられるが……どうかな?」
思案する青い英雄。
急にそんなことを言われても困る。
そんな思考が顔に出ていたのだろう。
黒い外套がすかさず助け舟を差し出した。
「例えば、次の命――来世がほしいというのはどうかね?」
そんな願望は願うまでもなく。
もし叶うならば喉から手が出るくらいほしいに決まっている。
『破壊神』と戦う為に生まれて、倒せばお役御免の命など虚無以外の何物でもないのだから。
「では来世を望みましょうか……願わくば平和で自由な日常を希望したいところです」
「心得た。君が満足するまでその願いを成就させよう」
「……ありがとうございます」
まさか、怪しげな黒い外套に感謝をする時が来ようとは、と自らの喜劇に青い英雄はふっと笑みを浮かべて静かに目を閉じる。
それは彼にとって紛れもなく救いの言葉だった。
『破壊神』を打倒する為に創生されて、役目を果たした後は消滅する運命だった彼に違う道を示してくれたのだ。
黒い外套に感謝の意を示すことは当然の帰結だった。
「これが虚言であれ本当のことであれ、私は安心して逝くことができますよ」
「心配せずとも君の願いは叶うよ。君が満足するまでね」
両膝を地面に着け、最後まで倒れることのないまま、青い英雄は今世における生を全うした。
六英雄は全員戦死し、『破壊神』は封殺された。
こうして『破壊神』と六英雄の戦いは幕を閉じたのだった。