第一章 後日談な始まり
第一章 後日談な始まり
「そんな……春音に、春音に……」
あまりの衝撃に頭の中が真っ白になる。全身から血の気が引き、体から力が抜けていく。立っているのも困難になり、ガクリと膝を折り、玄関に座り込んだ。春音と孝典のために買ってきた牛乳のパックがひしゃげてしまったが、そんなことはどうでも良かった。
「あ、あの、どうしたんですか? 大丈夫ですか?」
春音が心配そうに肩に手を置き、ゆっさゆっさと体を揺らす。まるで大丈夫じゃないので反応できない。
「おい、どうした春音」
「お兄ちゃん。えっと、それがね……」
まさか二年ぶりに会った愛娘に……向こうからすればたった一時間弱振りのはずだが、いや、むしろだからこそ、そのお父さんっ子だったはずの春音に真顔で「誰ですか?」なんて言われるとは思わなかった。春音はいつもニコニコとしていて、もう高校生なのに幼い頃と変わらず僕にベッタリの、親離れさせないとなー参ったなー、と贅沢な悩みを抱えるぐらいの子だったのに。その春音がまさか「誰ですか?」って。誰ですかって……。
「この人が親父!?」
「う、うん。リビングで洗濯物を畳んでたら、知らない人の声でお父さんですよーって玄関から聞こえたの。鍵閉めたはずなのに誰だろうって見に来たら、この人がいたの」
ああどうしよう。我が子から誰ですかって言われてしまった。どうしようどうしよう。そ、そういえば春音には反抗期がなかった。高校二年生で反抗期というのは遅いような気もするけど、孝典だって高校三年にしてようやく反抗期になったんだし、春音が今から反抗期になっても全然おかしくはない。反抗期は成長の証。ようやく反抗期になって、僕のことを嫌いに……って、そんなっ! 春音に嫌われるなんて、そんなこと……。
「よく分からんが、どう見ても親父じゃねーだろ」
「孝典までっ!?」
がーん。既に反抗期だった孝典まで僕が親父じゃないと言い出すなんて!
「あ、あれ。今度は頭を抱えて唸り始めちゃった」
「この人、今俺の名前を……」
どうして、どうしてこんなことに。僕が育て方を間違えたというのか? 厳しくし過ぎた? 甘やかしすぎた? 片親が駄目だった? 仕事をせず家事に奔走する父親は尊敬できなかった? むしろ恥ずかしかった?
「具合悪いんですか? 病院行きます?」
具合なら最悪です死にそうですオロロロロ。
「春音、この人に俺のことを教えたか?」
「ううん。だって春音は誰ですか? って聞いただけだもん」
「そうか……」
これから僕はどうすれば……。いくら彼らが僕を嫌っていても、僕が親であることに変わりはない。だからたとえ嫌われていようとも、親として、愛を持って育てていくことなんら不満もないし、将来二人が一人前の大人になれば、それだけで僕は嬉しいのだけど……天国にいる志音はどう思うだろう。
「……なあ春音。この人の右手首見てみろ。分かるか?」
「右手首? ……あっ」
ああだめだ。きっと志音は「子供に嫌われるなんて、どういう教育をしてきたのですか。私はご立腹です!」って怒るに違いない。怒って、口を聞いてくれなくなる。いつか僕が天国に行っても、そこは地獄じゃないか!
「そ、それじゃあこの人って。でも、そんな……」
「気持ちは分かる。だがな、あれを持っているのは世界で一人、親父だけだ。親父があれを誰かに渡すはずがない。それもセットでだぞ? 万に一つもないだろ?」
ああ、なんか眠くなってきたよトウモコロシ。ちなみにトウモコロシとは小さい頃に自宅近くにいた大きな犬の名前で、飼っていたおじさんが幼い頃にとうもろこしをトウモ殺しと本気で思っていたみたいで、それをそのまま犬の名前に……。
「……うん。うんっ! そうだね。そうだよっ。パパはそんなことしない! 絶対しないんだから!」
「だったら」
「うん」
そういえば最近とうもころし食べてないなぁ……。あれ、とうろもこしだっけ。ゲシュタルト崩壊してきた。
「そんじゃいくぞ」
「うんっ。せーのっ」
『親父、今日の晩ご飯はなに?』
「はい、今日は孝典の好きな茶碗蒸しですよ!」
条件反射って凄い。我が子から呼ばれただけであれほどガタガタと震えていた膝がピタリと止まり、すっくと立ち上がって元気良く返事できたのだから。
「……本当にパパなの?」
「……本当に親父なんだな」
どこかに飛んでしまっていた意識が元の位置に戻ってきてみれば、孝典と春音が驚愕したように目を見開いて僕を凝視していた。愛する我が子から同時に見つめられるのは嬉しい反面ちょっと恥ずかしい。そんなに熱心に見つめるとおかずが一品増えてしまう。なんで増えるの? と聞かれても困るので聞かないように。
「はい。あなた達の大好きな雅則お父さんですよ」
愛の大きさを表わすように、いつでも飛び込んできてオーケーウェルカムと両腕を広げる。まあ飛び込んでくることは早々ないのだけど。
と思って両腕を下げようとしたら、
「パパぁー!」
なんと春音が僕の胸に飛び込んできた。久しぶりのハグ。春音からすれば二、三日振りなのかもしれないが、僕からすれば二年と一ヶ月十二日振りのハグで――
「……あれ?」
そこでようやく違和感に気付いた。最近計っていないため正確な僕の身長は分からないけど、それでも一五九センチの春音よりは高かった。だがどうだろう。今僕は春音の胸に顔を埋めている。これでは僕が春音にハグされているようではないか。
「春音。ちょっと待ってください」
「ん? どうしたの?」
何故か頭を撫でる春音を押し返して距離を取る。
「……あれ?」
首を傾げる。離れてみても春音の顔が僕より高い。顎を上げて見上げなければならないのだ。春音が一段高いところにいるわけでもなく、僕が膝を曲げているわけでもない。純粋に僕の方が低いようだ。
「親父。もしかして気付いてないのか?」
「何をですか?」
孝典を見上げる。これは本当に見上げるという言い方がしっくりくる程の見上げるだ。孝典の短めの黒髪に触るのにも一苦労しそうだ。
孝典がチョイチョイと指差した。その先に視線を向ける。そこにあったのは大きな鏡。玄関を出る前に最後の確認と、春音の要望で置いた姿見だ。
映っていたのは春音と孝典。そして見知らぬ女の子だった。
茶色の髪は肩まで伸び、外国人のようなマリンブルーの瞳は宝石のように輝き、しかし眠たそうに下がった瞼のせいで、その姿を三分の一ほど隠している。肌はほどよく白く瑞々しく、桜色の唇は厚くもなく薄くもなくちょうどいい。胸もそれなりの大きさがあり、しっかりと女性らしく成長している。
「あ、どうもこんにちは。孝典と春音の父です」
孝典か春音の友達だろうか。いい父親だと思われるには第一印象が肝心。和やかに挨拶をする。
しかし、いつの間に家に入ったのだろう。玄関のカギは入ったときに閉めたはずだ。それに服。ワイシャツとジーンズというありがちな格好だが、ワイシャツは男物を着ているし、どう見ても体のサイズに合っていない。どちらもブカブカだ。今の女子高生にはこういうファッションが流行っているのか?
「それ、親父だよ」
となると、元から家の中にいたということになる。僕が買い物に行っている間にやってきて……。
「……え? 今なんて言いました?」
考え事をしていたせいで聞き漏らしてしまった。いや、実際は聞こえていたのだが、きっと聞き間違いだろう。うん。そうに違いない。だから聞き返した。
「いやだから、それ今の親父」
だがしかし、孝典は僕を指差し、その後鏡を指差した。鏡の中の見知らぬ女の子をだ。
…………ちょっと待って。
「これが僕? いやいや」
そんなはずはない、と手を振る。そうしたら女の子も同様に手を振っていた。なにこれ寸分違わず真似されてる怖い。
「違いますよね?」
鏡に向かって語りかける。知らない人が見たら危ない人だ。しかし、やはり女の子は僕が喋ると、同時にその桜色の唇を動かした。
……思考フリーズ。
「……も、モノマネが上手な子ですね」
プルプルと震えだした手で彼女を指差し、同意を求めるように孝典と春音に視線を送る。
「親父がそれでどうすんだよ」
「お兄ちゃん言い過ぎ。誰だって突然女の子になったら混乱するって」
孝典が肩を竦め、春音が苦笑する。
さらっと爆弾を落としやがりましたようちの子。女の子? 二人は何を言っているんだろう。僕は二羽雅則というれっきとした男であり、君達二人の父親で……。
「ったく。ほら!」
「孝典、突然何を」
顔を両手で挟まれ、強引に鏡の方を向かされる。視線の先には孝典に両手で顔を挟まれた女の子の姿があった。
僕の顔を孝典が、けれど鏡の中の女の子も孝典に顔を挟まれている。
僕が孝典を見間違うわけがない。僕も、その女の子も、同じ孝典に顔を挟まれている。孝典は一人しかいない。
つまりそれは、
「僕がこの女の子、ってことですか」
鏡の中の『自分』を指差す。
「やっと理解したのか」
「そうだよパパ」
孝典がため息をつき、春音がいつもの優しい笑みを浮かべる。
「なるほど。これは僕でしたか。は、ははは……うーん」
視界がグルリと回る。
『親父!?』
遠くに我が子二人の声を聞きながら、ゆっくりと意識が遠のいていくのを感じた。
◇◆◇◆
「あっ、お兄ちゃん。パパが目を覚ましたよ」
「親父、大丈夫か?」
目を開くと、眼前に春音の顔が合った。視線を巡らせると、そこは慣れ親しんだ我が家のリビングだった。春音に膝枕をされ、ソファーで寝かされているようだ。すぐ近くには孝典もいる。
「はい。大丈夫です」
体を起こしながら返事する。が、いつもとは違う音程の高い少女のような声に違和感を覚える。少し痛む頭を手で押さえると、サラサラとした感触が手を包んだ。
髪が長い。それに茶色い。視線を下ろせばブカブカのワイシャツとふともも。……ふともも?
「あ、ズボンはパパを運んでる時に脱げちゃった。ユルユルで全然あってなかったし、ワイシャツが大きいから別に良いよね?」
「はあ、まあ……」
現状を理解できず、気の抜けた返事だけしてしばらく呆然する。数秒後、ようやく思い出して自分が置かれた状況を理解した。
「ああ、そうでした……。僕は女の子になったのでしたね。……ぬぐぐぐ」
理由は分からないが、事実そうらしい。自分で言って自分で苦しむ。現実とは無慈悲なものだ。苦労してやっとあちらの世界から戻ってきたというのに、さっそくこの仕打ち。試練の末の試練。もし人の運命が神によって仕組まれているのだとしたら、一体ヤツは僕に何をさせたいんだ。もう充分頑張ったじゃないか。これからさらにまだ何かしろというのか? 鬼め悪魔め! 神だけど。
よーし。こうなったらいるかどうかも分からない神とやらを次元とか越えてでも見つけ出して、その腐った根性をたたき直して――
「本当にあなた、マサノリなのね。随分可愛らしくなっちゃってまあ」
弾かれたように顔を上げる。大人びた艶のある女性の声。それはここではない遠い世界で何度となく聞いた声だった。
「サラ! なんでここにサラがいるんですか!?」
ウェーブのかかった金色の長い髪を背中に流し、黒を基調としたフード付きローブを着た女性。稀代の魔導師、さすらいの魔導哲学者、そして我が勇者パーティーの金庫番、サラ・セイナートが部屋の壁に背をもたれ、切れ長の瞳をいやらしく曲げてニヤリと笑みを浮かべていた。背筋がゾクッとする。相変わらず雰囲気がエロイ。
「お久しぶり。あなた自慢の子供に、あなたの知り合いだと言って上がらせてもらったわ」
春音と孝典に視線を送る。戸惑った様子ながらも二人は小さく頷いた。彼女の言う通りらしい。
しかし……頭には現代の物とは思えないデザインのサークレット。手にはファンタジー物の映画で見るような魔導師の杖。そんな格好でよく通してもらったもんだ。僕なら危険人物と判断して絶対上げない。
「こっちの世界に興味があったからついてきたのよ。それと、あなたのことが気になって、ね」
そう言ってサラが片目を閉じる。自分の体を見下ろし、なるほどとサラを見て肩を竦める。
「案の定ってところかしら。あなたも大変ね」
苦笑を返すことしか出来ない。
「そのもったいぶった言い方。サラは原因を知っているのですか?」
「ええ。おそらくは、だけれど」
少しあやふやな、しかしその目はしっかりと僕を見据えていた。サラに関係があること。とすれば選択肢は二つ。より確率が高いのは……。
「――まさか」
「概ねそれで合っていると思うわ」
僕の答えを聞くことなく、サラは大きく頷いた。やっぱりそういうことか。だったらあのとき、もっと優しくしてやって、恨まれないようにするべきだっただろうか。いや、どちらにしても結果は変わらないのだから一緒か。
「ねえパパ」
クイクイと袖が引かれる。そちらを見やれば、春音が怪訝な顔をしていた。そりゃそうか。完全に置いてけぼりを喰らわされているのだから。何がどうなのか、知りたいのだろう。
僕の考えがサラのそれと合っているのか、その確認のためにも、そろそろ二人にも話すべきだ。
「サラ。二人にも話して良いですか?」
「構わないわ。公にでもならない限りは、知られて困る物でもないし。第一、魔力のないこちらの世界の住人がアストラル界を越えてあたし達の世界に来るなど到底不可能だろうから」
ああもう説明する前に不可解な単語を出さないでほしい。ただでさえ信じがたい出来事なのに。ほら、二人がサラのことを怪しんでいるじゃないか。少々残念な人を見るような目になってるじゃないか。実際別の意味で残念だが。
「孝典、春音。安心してください。今から話します。サラのこと、そして僕が何をして、どうしてこうなったのかを」
隣にいる春音の肩に手を置き、逆隣の空いたソファーをポンポンと叩きながら孝典を見上げる。遠慮がちに腰を下ろした孝典の短い黒髪を二度軽く撫でた。
そうして僕は二人に語り始めた。こちらの世界では僅か数十分、しかしあちらの世界では二年以上に渡る長い長い物語を。
「あ、その前に。サラには二人を紹介してなかったですね。こっちの男の子が高校三年生の長男の孝典。それでこっちが二年生の長女の春音。それぞれ部活は――」
「いいから先に話してあげなさいよ……」
◇◆◇◆
僕は地球人である。あ、孝典、僕を変な目で見ないように。至って冷静です。
僕は地球人である。普通の地球人である。言い換えれば、この世界のごく一般的な優しいお父さんである。しかし、別世界の勇者でもある。正確には世界を救った英雄だから元勇者、が正しいのかもしれない。だから春音、僕はいたって正常ですって。疲れてもいません。だから無理矢理寝かしつけないように。
それは初夏を迎えたばかりの今日。ついさっきのこと。翌日の分の牛乳を買いに一人家を出てスーパーに向かっていた時のことだ。
近所の公園の前を通りかかった際に、突如足元に真っ暗な円が現われ、その中に吸い込まれてしまった。嫌な予感に襲われつつ気付けば、そこは赤いカーペットの敷かれた石造りの大広間。僕はその部屋の円形に描かれた幾何学模様の中心部に立っていた。
「おお、勇者よ。よくぞ参られた」
「まったく参られてませんがここはどこですか」
マントを羽織った口髭爺さんが偉そうに言うもんだから、こちらも若干刺々しく返してしまった。瞬間、僕を中心にブワッと衝撃波が発生した。なんだなんだと気が動転している僕を余所に「少し声を荒げただけでこれとは……」だとか「これならいけるぞ……っ」と盛り上がる野次馬共。偉そうな口髭爺さんも「これならあの憎き彼奴めを亡き者にしてくれようぞ!」と誰よりもはしゃいじゃって人の質問に応えようとしない。さすがに軽くキレてしまった僕は、軽く殺意を乗せて口髭爺さんを睨み付けてやった。するとソイツは泡を吹いて倒れてしまった。やり過ぎたかなと思ったが、おかげでこっちの話を聞いてくれるようになったので良しとした。
偉そうな人は本当に偉い人で、この国の王だった。その王が言うには、近年この国の近くに大魔王が現われ、民がとてもとても困っているのでソイツを倒してほしい、ということだった。
魔界の権力者である大魔王は二年前に突然この地に現われ、「今日からここは私の物」と高らかに宣言し、王国に宣戦布告した。その行いは傍若無人を極め、近衛騎士団団長率いる王国の精鋭が果敢にも挑んだが、軽く蹴散らされ歯が立たない。そこで古代より伝わる禁術により異世界人を召喚し、大魔王を倒してもらおうと考えたらしい。
話を聞いた後、まず僕は王を殴った。そりゃそうだろう。そっちの都合で勝手に召喚された身としてはたまったもんじゃない。国の危機だとか、僕達の世界にコンタクト不可能という分を考慮してさらには百歩譲ったとしても、せめて満漢全席を用意して土下座で頼み込むくらいの好待遇と申し訳なさを醸し出してほしいものだ。もちろんこれは喩えだが、それくらいの誠意は見せて然るべきだろう。それが「よくぞ参られた」とか「勇者よ。我が国の民のため、大魔王を打ち倒すのだ!」とか、俺かっこいいじゃんみたいな自己陶酔発言をされちゃ大人しい性格の僕だって殴りたくもなる。こっちは強制的に我が子と引き離されたのだ。殺さなかっただけマシというものだ。
王を殴った僕を近衛騎士が慌てて取り押さえようとしたが、誰も僕を止めることはできなかった。禁術の効果もしくは副作用により、外見中身共に十代まで若返った僕は、筋力で規格外の数値を叩き出し、魔力その他特殊能力においても反則的な強さを手にしていた。
ということで王をもう一発殴った。いい感じに中年親父になっていたのに、それをナシとされた罰だ。誰も彼も若返らせたら喜ぶと思ったら大間違いだ。
その後、埒の明かない王に代わり、聡明な王妃と話し合いの場を設けた結果、僕の狼藉は不問とし、大魔王を倒せばちゃんと元の世界に戻してくれることを約束してくれた。
王妃としては、子供達のためにすぐにでも僕を元の世界に戻したかったらしいが、大魔王が展開する世界規模の魔力干渉のせいで、僕のいた世界から誰かを召喚することはできても、こちらの世界から元の世界へ送還することはできないのだという。
王に騙された感満載なのだが、こうなっては仕方ない。あの口髭じじいを殴ったところで、元の世界に帰れる訳ではない。僕は旅の経費全てを援助してもらうことを条件に渋々大魔王討伐の旅に出た。コンニャクゼリー型初級モンスター相手に小銭稼ぎなどやっていられないのだ。
道中で僕を勇者と認めない近衛騎士団団長の元勇者や、やたら雰囲気がエロい(実際エロい訳ではない)稀代の魔導師、そしてがたいの良い如何にもパーティーの盾! という戦士の三人を仲間に加えて意気揚々と大魔王城へ向かった。途中で大魔王四天王と名乗る輩が現われたりもしたが、ちょっと本気を出してみたらもの凄い勢いで土下座して魔界に帰って行った。まったく何をしたかったのか分からないが、おかげでライバル視されていた元勇者から「お前がナンバーワンだ」と認めてもらうイベントが発生して親友となったから良しとした。
そしてメインイベントである対大魔王戦。
割愛。
あーだこーだと苦戦した末、僕達はなんとか大魔王を倒すことに成功した。最期の間際、「これで終わったと思うなよ! 私は何度でも甦る! お前には呪いを――」などと叫んでいたが、大魔王が落ちた奈落に戦略級火炎魔法を打ち込んだら静かになったので、ただの捨て台詞だったようだ。大魔王も所詮人の子か。次は神龍にでも生まれ変われば良い。
王の元へ戻り報告すると、その瞬間から国を挙げての盛大なお祝いが始まった。フェスティバルである。やたら対応が早いなと思ったら、実は大魔王の呪いでずっと寝たままだった王の娘が目を覚ましていたようで、僕達が帰ってくる前にそれとなく知っていたらしい。
誰よりもはしゃぐ王を見て、民がと言いつつも娘のことが心配だったことを知り、今更ながら王を見直した。
そうして約束通り僕は元の世界へ戻ることになった。何故か僕のことを潤んだ瞳でジッと見つめる姫や、親友と書いて戦友と読むほどの仲になった元勇者、最期までやたら雰囲気がエロかった魔導師と戦士に見送られ、もう訪れることはないであろう異世界と別れを告げた。
◇◆◇◆
「そうしてやっと元の世界に戻って来てみれば、そこは異世界に行く前と同じ場所、同じ時間だったというわけです」
この二年間のことを思い返しながら語ること小一時間。信じてくれるだろうかと内心ドキドキしつつ話したのだが、終わってみれば孝典は「すげー」と素直に感心し、春音に至っては「パパ良かったね」と目に涙を浮かべていた。信じてくれるのは嬉しいが、お父さんは二人の将来が心配だ。
「そして自分の外見の変化に気付くことなく家へ帰ってみれば、我が子に誰ですか?と言われ傷ついた、と」
「……なんですか。その棘のある言い方は」
「普通そこまで変わっていたら気付くでしょ」
「うぐっ」
痛いところを突いてくる。僕もそれを痛感しているところなのだからそっとしておくのが優しさってものだと思う。
「しかし、よくこの子があなた達の父親だと分かったわね。あたしは魔力を読めば分かるけど、あなた達は外見だけで判断したのでしょう?」
「もちろん愛ですよ!」
「マサノリには聞いていないわ」
サラが冷たい。
孝典と春音が僕を挟んで目を合わせる。そして僕の右手首を指差す。
「そのブレスレット。俺と春音が小さかった頃に、手作りして親父にプレゼントしたものなんだ」
そう言って孝典がはにかむ。そうだ。そうだった。春音の「誰ですか?」にショックを受けすぎて忘れていたが、この革のブレスレットは二人からプレゼントされた物だった。
「へぇ~。旅をしている間も肌身離さずつけていたのはそのためだったのね」
「ほらっ、やっぱり愛ですよ!」
「はいはいそーね」
サラが素っ気ない。ふん。まあいいか。きっと僕達家族のことが羨ましいのだろう。たしかサラは二十四で独身だと言っていたし。
「マサノリ。今あんた失礼なこと考えたでしょ」
「いえいえまさかそんな」
これみよがしに両隣の春音と孝典の頭を撫でる。春音は嬉しそうに肩を寄せ、孝典は面倒臭そうに顔を背けた。顔が僅かに赤いから照れているのだろう。短い黒髪をワシャワシャする。ツンデレツンデレ。
「この状況でよくヘラヘラ笑っていられるわね」
「この状況?」
首を傾げる。サラに盛大にため息をつかれてしまった。
「そんな姿になって、明日からどうするのって聞いてるのよ」
「へ? サラがなんとかしてくれるんじゃないんですか?」
またため息。今度は首を横に振るオプション付き。
「原因が不明なのに解きようがないわ。なによりそれは大魔王が死に際にかけた呪いの類いの可能性が極めて高い。そうなると、おいそれと解呪できるものではないわ」
……ん? 解呪できない……だって?
春音と孝典の頭を撫でていた手がピタリと止まる。
「ち、ちょっと待ってください。サラ、あなたほどの稀代の魔導師がなに寝言を言っているのですか。諦めるなんてとんでもない。その雰囲気オンリーエロイズムは飾りなのですか。お父さんはそんなやわな子に育てた覚えはありませんよ」
「育てられた覚えはないし雰囲気オンリーエロイズムって何よ。あんたこそ落ち着きなさい。若干混乱してるわよ」
「これで落ち着けと言う方が無理ですよ!」
床をドンッと鳴らし立ち上がる。
「僕は二人の父親なんですよ? こんな二人と同い年くらいにしか見えない姿では、父親としての威厳がまったくないじゃないですか! 子供達からは尊敬する父の背中を見て育ちましたーとか、将来パパと結婚するーとか、そういうこと言われたいんですよ!」
「別に親父の背中見て育ってねーよ」
「パパのことは好きだけど、さすがに高校生にもなってそんなこと言わないよ」
『威厳もないし』
「子供がひどい!」
心臓を抉るような言葉に打ちのめされてフラフラとソファーに腰を落とす。項垂れているとヨシヨシと春音に頭を撫でられた。
「あの、親父はもう戻らないのでしょうか?」
孝典が僅かに眉尻を下げてサラに問いかける。サラは「そうね」と目を閉じて、指先で顎を撫でた。
「全ての魔法には持続時間というものがあるわ。永久的に続く魔法なんてない。……ああ、例外として術者が永続的に魔法をかけ続けた場合はその限りではないわ。しかし大魔王が死んだ今はその心配もない。大丈夫。あなたのお父さんはちゃんとお父さんに戻れるわよ」
「そ、そうですか。良かった」
サラが似つかわしくない優しげな笑みを浮かべる。孝典と春音が胸を撫で下ろしたのが見ていて分かった。
「けれど、相手があの大魔王だから、数日や数ヶ月で解けるとは思えないわ。下手すると数年、あるいはそれ以上かかるかも」
「数年……」
上げて落とすとはこのことを言うのだろう。子供達の表情が暗くなっていく。って、きっと今の僕の顔も同じくどんよりと曇っているに違いない。なぜなら今すぐにでもお風呂には行って膝を抱えドナドナでも歌いたい気分なのだから。
数年かあ……。その間ずっとこの姿。ふふふ……。
まったく父親っぽく見えないじゃないか! ご近所から「あの兄妹の親御さんはどこに行ったのかしら。もしかして子供を置いて夜逃げ?」なんて陰口叩かれたらどうしよう!
「どうにかならないのですか?」
孝典が立ち上がり、サラに詰め寄る。意外だ。孝典は絶賛反抗期中だから、僕のことをちょっとは気にしつつも(気にしてほしい)、放って置くだろうと思ったのに。
「もちろんこのままなはずがないわ。そのためにあたしはここに来たのよ」
「さっき暇だったから来たって言いませんでした? 僕が女の子になったと気付いたのもこっちの世界に来てからじゃ――」
「マサノリうっさい」
「サラは時々口が汚くなりますよね」
杖を突きだして魔法を詠唱し始めたのでこれ以上弄るのは止めよう。家と子供達が危ない。
「とにかく、これは稀代の魔導師と謳われたあたしへの挑戦状と受け取ったのよ。ええ、解いてみせるわよ。持続時間切れする前にあたしの手で破壊してやるわよそんなチンケな魔法!」
ああなるほど。プライドが傷つけられたというわけか。威力そのものはともかく、魔法の種類やら知識は勇者である僕でさえ彼女の足元にも及ばない。サラにとって魔法とは自分の命に次に大事な物。自分の範疇を超える魔法の存在を許せないのだ。
「そんなわけだから、しばらくはあたしもこっちの世界にいるわ。これから忙しくなりそうね。取り急ぎ必要なのは戸籍と住居、仕事の確保、それから化粧品かしらね。こっちの世界のはかなり品質が良いみたいだし楽しみだわ。あとは……」
サラは指折り数える。何よりまずサラに必要なのはローブ以外の服だと思う。今の格好で外を出歩くと警察に職務質問されること請け合いだ。
しかし、どうしてサラはこっちの世界のことに詳しいのだろう。向こうの世界に戸籍なんて言葉はないはずだ。
と、思案しているときだった。
「とりあえずはこんなところかしら。ああそうそう。大事なことを忘れていたわ。マサノリの新しい戸籍と転入届もよね」
「転入って、サラはどう見ても生徒より先生だと思いますけど?」
ギロリと睨まれた。怖い。
「ちゃんと人の話を聞きなさい。あたしじゃないわよ。あなたよ。あ・な・た」
僕を指差し、一文字ずつ区切ってはっきりと言う。
「僕?」
「そう。マサノリ・フタバ。あなたのことよ」
……うん? サラは何を言っているんだろう。戸籍? 転入届? 僕にはどちらも不要だ。戸籍はちゃんとあるし、学校も短大まで卒業済みだ。今更大学に編入学する気もないし、何を――
「マサノリ。今のあなたは女の子なのよ。あとはもう、言わなくても分かるわよね?」
いやらしく目尻を下げ、サラが小悪魔的に笑う。悪い予感がして、背筋がゾクッと震えた。
「な、何か知りませんが、とりあえず嫌です」
「あら残念。でももう遅いわ。既にあなたのお母様に話は通してあるから」
……えっ。
「今なんて言いました? お義母さん? お義母さんですか!? 一体お義母さんに何を話したんですか!? そもそもなんでサラが僕のお義母さんを知っているのですか!? 話を通したっていつの間に!?」
「何ってもちろんあなたのことをよ。お母様については向こうの世界にいる時に調べておいたの。話ならあなたが英雄譚を語っている間にそこのコードレスフォンで。電話って便利ね」
「順応し過ぎです!!」
伝書鳩か糸電話がせいぜいなローテク異世界人が、見たこともないはずの電話をどうして使いこなせているんだ。
「今こっちに向かっているらしいから、詳しい話はお母様と二人でよろしく」
「なっ! お義母さんを呼んだのですか!?」
「呼んでないわよ。お母様が自分から来るって言ったの。それじゃ、あたしは忙しいからこの辺で。バーイ」
「待ちなさい!」
叫びながらサラに手を伸ばす。しかしその手が届く寸前に、彼女が唱えた魔法『テレポート』が先に発動してしまう。サラの姿は数瞬で消え去り、僕の手は何も掴むことはなかった。